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【完結】妹として迎えた婚外子が、私から夫まで奪いました  作者: モーヒアス


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番外編 エレノアの恋 第7話「王子として、一人の男として」

 港にはざわめきが広がっていた。


「まさか……」

「本当に第一王子殿下だったのか……」


 驚いているのは、この国の者たちだけではない。

 ヴァルハイム王国から来た商人たちまで、互いに顔を見合わせていた。


「俺たちも、まったく気付かなかったぞ」

「王都で何度かお見かけしたことがあるはずなのに……」

「いや、あの方は完全に商人だった」

「立ち居振る舞いも、値段交渉も、積み荷を見る目も、どこからどう見ても歴戦の商人だったじゃないか」


 彼らは自国の情勢に誰より敏感な商人である。

 王族の顔も当然知っている。

 それでも誰一人として、目の前の"担当者ウィル"が第一王子だとは気付かなかった。

 それほどまでに、ウィリアムは王子としての威厳を隠し、一人の商人として港に溶け込んでいたのである。

 エレノアも思わず苦笑する。


 品の良さ。


 教養。


 自然と滲み出る気高さ。


 それらは隠し切れていなかった。


「ウィリアム第一王子殿下」


 その呼び名は、港中へあっという間に広がった。

 先ほどまで「担当者のウィル様」と親しげに話していた商人たちも、遠巻きに頭を下げる。

 めざとい商人たちですら気付かない

 誰もが距離を置き始める。

 当然のことだった。

 相手は、一国の第一王子なのだから。

 港へ戻る準備を終えた商会の船員たちも、一斉にその場へ跪いていた。


「殿下。本船は予定通り帰国いたします」


 副船長が恭しく頭を下げる。


「ああ、ご苦労だった」


 ウィリアムは穏やかに頷いた。


「私はもう数日こちらへ残類。帰国後は父上にも今回の交易結果を伝えておいてくれ」

「承知いたしました」


 商船はゆっくりと港を離れていく。

 エレノアはその様子を見送りながら、小さく首を傾げた。


「殿下は、お戻りにならないのですか?」

「交易の細かな調整がまだ残っています」


 ウィリアムは柔らかく微笑む。


「こちらの仕事を最後まで終えてから帰国する予定です」


 もちろん、そんなことは建前でしかなかった。

 本当は……。

 あと少しだけ。

 あと少しだけでも彼女と同じ時間を過ごしたかった。

 だが、そんな想いを口にすることはなかった。


 港には再び静けさが戻る。

 しかし空気は以前とは違っていた。




 先ほどまで気軽に話しかけてきた商人たちは遠巻きに頭を下げるだけになり、誰も近寄ろうとはしない。


「やはり、こうなりますか……」


 ウィリアムは苦笑した。

 隣に立ったロジャーが肩をすくめる。


「皆さん、悪気はありません」

「もちろん、分かっています」


 ウィリアムは静かに頷いた。


「だからこそ、少し寂しいですね」


 その視線の先には、一人だけ今までと変わらず立つ女性がいた。


「殿下」


 エレノアはいつものように穏やかに一礼する。


「……いえ」


 ウィリアムは困ったように笑った。


「できれば、以前のようにウィルと呼んでいただけませんか」

「それは難しいお願いですね」


 エレノアも微笑む。


「今は、多くの方が見ていますから」

「そうですね」


 二人は顔を見合わせ、小さく笑った。

 その自然な空気だけは、何も変わらなかった。




 午後。


 ヴァルハイム王国との正式な打ち合わせが終わると、ロジャーは執務室で一冊の報告書を開いていた。

 ウィリアムが交易期間中につけていた業務報告書である。


「ふむ……」


 今年のワインの出来。


 港湾設備の状況。


 輸送量。


 税率。   


 どれも王子らしく、実に丁寧な内容だった。

 だが、読み進めるうちにロジャーの口元が少しずつ緩んでいく。


『現地責任者は非常に誠実である』

『交渉は彼女の配慮により円滑に進んだ』

『彼女の判断は信頼できる』

『彼女のおかげで予定より三日早く契約がまとまった』

『今後も長く友好関係を築きたい』


 名前は、一度も書かれていない。

 だが、誰のことを指しているのかは一目瞭然だった。


「……殿下」


 ロジャーは思わず笑みを漏らす。


「仕事の報告書で、ここまで一人の人物を褒め続ける方は初めて見ましたよ」


 そこへ当の本人が入室する。


「何か問題でもありましたか?」

「いいえ」


 ロジャーは報告書を閉じた。


「エレノアという女性はとても優秀な責任者だったようですね」

「ええ」


 ウィリアムは迷いなく頷く。


「素晴らしい方でした」


 その返事に一切の迷いがない。

 ロジャーは内心で確信した。


(これは、完全に恋ですな)




 会談が終わる頃には夕日が港を赤く染めていた。


「エレノア様」


 帰ろうとした彼女を、ウィリアムが呼び止める。


「少しだけ、お時間をいただけませんか」

「もちろんです」


 二人は港の防波堤まで歩いた。

 海は穏やかで、水平線の彼方には商会の船影が小さく見えていた。


「数日後には、私も帰国します」

「そうですか」


 分かっていたことだった。

 いつかは帰る。

 それでも、その言葉を聞くと胸が少しだけ締め付けられた。


「短い間でしたが」


 ウィリアムは海を見つめたまま言う。


「エレノア様と仕事ができて、本当に幸せでした」

「私もです」

「今まで、多くの商人と契約してきました」

「ですが」


 少しだけ笑う。


「仕事が終わるのが惜しいと思ったのは、初めてでした」


 エレノアは返す言葉が見つからなかった。

 彼の隣にいる時間は、不思議と心が落ち着いた。

 無理に笑う必要もない。

 取り繕う必要もない。

 そんな相手は、いつ以来だろう。


「エレノア様」

「はい」

「一つだけ、お約束していただけますか」

「約束?」

「ええ」


 ウィリアムはゆっくり彼女へ向き直る。

 その青い瞳には、王子としてではなく一人の青年としての真剣さが宿っていた。


「どうか、ご自分を大切になさってください」

「……?」

「あなたは、いつも周りの人を優先されます。困っている人がいれば助け、損をしても笑って譲ってしまう……。確かにそれは、とても素敵なことです。ですが」


 少しだけ寂しそうに笑う。


「あなた自身が幸せになることも、どうか忘れないでください」


 その言葉は、誰よりも彼女を見ていたからこそ出た願いだった。

 エレノアは静かに頷く。


「ありがとうございます」

「その言葉、とても嬉しいです」


 風が吹き抜ける。

 しばらく二人とも何も話さなかった。

 その沈黙さえ心地よかった。

 やがて港から鐘の音が響く。


「そろそろ失礼します」


 ウィリアムは一歩後ろへ下がる。

 そして王族らしい美しい所作で一礼した。


「エレノア様。また、お会いできる日を楽しみにしております」


 それだけ言うと、背を向けて歩き出す。

 告白はしなかった。

 今の自分は王子だ。

 立場を利用して彼女を困らせたくはない。

 だから、自分の想いは胸にしまう。

 エレノアは遠ざかる背中を見つめていた。


「……また」


 気付けば、小さく呟いていた。


「また、お会いしたいですね」


 その声は風に乗り、海へ溶けていく。

 少し離れた場所で待っていたロジャーは、その様子を静かに見守りながら微笑んだ。


(殿下。帰国後は陛下も、きっと驚かれるでしょうな)


 そう心の中だけで呟き、夕焼けに染まる港をゆっくりと見上げた。


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