番外編 エレノアの恋 第6話「あなたが話してくださる日まで」
港は朝から慌ただしかった。
船員たちは最後の積み荷を確認し、甲板では帆を張る音が響いている。
「エレノア様」
秘書が急ぎ足で駆け寄ってきた。
「ヴァルハイム王国から使節船が入港するそうです」
「使節船?」
「はい。国王陛下からの親書を携えた正式な船団とのことです」
エレノアは少し驚いた。
「ずいぶん急な話ね」
「港の責任者も対応に追われています」
ヴァーレン商会の船が出港する日に、王国の使節船。
偶然にしては、不思議なタイミングだった。
その頃。
ヴァーレン商会の船では、船員たちが慌ただしく動いていた。
「積み荷の確認は終わったか」
「問題ありません」
副船長が頷く。
しかし、いつもの出港前とは少し空気が違った。
「まさか、王国から使節団が来るとはな」
若い船員が呟く。
副船長は苦笑した。
「我々も知らされていなかったからな」
「殿下もですか?」
「ああ、殿下も初耳だろう」
副船長は小さく頷く。
今回の殿下の訪問は、あくまで交易のため。
ウィル自身も、まさか帰国前に王国から迎えが来るとは思っていなかった。
「とにかく、礼を失するわけにはいかない」
「旗を新しいものに」
「甲板ももう一度磨け」
事情を知る船員たちは急いで準備を進める。
この船に、王族が乗っていることを知る者は限られていた。
昼前。
港に一隻の白い船が姿を現した。
真っ白な帆。
船首には金色の獅子。
ヴァルハイム王家の紋章だった。
「王家の船だ……」
「初めて見る」
港中がざわめく。
白い船が接岸すると、赤い外套を纏った騎士たちが整列した。
その中央から、一人の壮年の男が降りてくる。
「ヴァルハイム王国、外務大臣ロジャー・ボフキンである」
港の責任者が慌てて頭を下げる。
「ようこそお越しくださいました」
ロジャーは周囲を見回した。
「それはそうと……ウィリアム殿下は?」
その一言で、港の空気が変わった。
「……殿下?」
「もしかして王子殿下のことか?」
誰もが息を呑む。
ロジャーの視線が、一人の男へ向く。
「ウィリアム殿下」
ウィルは驚いた表情を浮かべる。
「……父上からですか」
「はい。急なことで申し訳ありません」
その瞬間。
使節団の騎士たちが一斉に膝をついた。
「ウィリアム第一王子殿下。お迎えに参りました」
港が静まり返る。
そして。
ヴァーレン商会の船員たちも、遅れてその意味を理解した。
「……殿下?」
「まさか……」
次の瞬間。
商船のクルーたちも、一斉に膝をついた。
今まで「ウィル様」と呼んでいた男。
共に船へ乗り、酒を飲み、笑い合った男。
その正体は――
ヴァルハイム王国第一王子ウィリアム・ヴァルハイムだった。
「……やめてくれ」
ウィリアムは困ったように息を吐く。
「今まで通りでいい」
しかし、誰もすぐには顔を上げられなかった。
エレノアは、その光景を静かに見つめていた。
ただ者ではないとは思っていたがまさか王子殿下だったとは……。
けれど、不思議と納得する部分もあった。
(やっぱり……)
以前から感じていた違和感。
ウィルは、どこか商人らしくなかった。
もちろん、商談の知識もあった。
判断力もあった。
しかし、それだけではない。
部下を見る目。
責任を背負う姿勢。
困っている人を放っておけない行動。
すべてが、一つの商会を任された者というより――
もっと大きなものを背負う人のようだった。
だからこそ。
王子だと知って、驚きはした。
けれど、違和感はなかった。
「エレノア様」
ウィリアムが歩み寄る。
「申し訳ありません」
「……」
「騙すつもりはありませんでした」
「分かっています」
エレノアは静かに首を振る。
「ウィリアム第一王子殿下に拝謁いたします」
その言葉に、ウィリアムが顔を上げる。
「私は……ウィリアム・ヴァルハイム。ヴァルハイム王国第一王子です」
改めて告げる。
エレノアは小さく微笑んだ。
「やはり、そうでしたか」
「……やはり?」
ウィリアムが目を丸くする。
「はい」
エレノアは少しだけ笑う。
「普通の商人の方ではないとは思っていました。皆さんがあなたを見る目が違いましたから。それに、あなたの判断は商人というより……」
一度言葉を止める。
「人の上に立つ方のものでした」
ウィリアムは苦笑した。
「隠せていたつもりだったのですが」
「バレバレでした。私、人を見る目には自信がありますから」
「はははっ」
エレノアは優しく続ける。
「だからこそ、聞かなかったのです。話してくださる時まで待とうと思いました。ウィル様のことを信用していましたから」
その一言に、ウィリアムは言葉を失う。
彼女は。
王子だからそう言ったのではない。
正体を知らない時から、ウィルという一人の人間を見ていた。
そして、正体を知った今も変わらない。
父王の言葉が脳裏によみがえる。
『肩書きを隠した時、それでも敬意を払ってくれる者を大切にしなさい』
目の前にいる女性こそ、その人だった。
「エレノア様」
ウィリアムはゆっくり頭を下げる。
「私を、ウィルとして見てくださってありがとうございました」
エレノアは少し困ったように笑う。
「私は、最初からウィル様を見ていましたよ?王子殿下としてではなく、誠実な一人の男性として」
その笑顔を見た瞬間。
ウィリアムの中で、もう答えは決まっていた。
この人を。
もう二度と手放したくない、と。
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