番外編 エレノアの恋 第3話「嵐のあと」
ウィルが父王への報告書を作成してすぐ、三日間に渡って広範囲を嵐が襲った。
嵐が明けた翌日。
ヴァーレン商会の船へ積み込む予定だった荷馬車が、予定の時刻を過ぎても港へ姿を見せなかった。
「何かあったのでしょうか」
副船長が眉をひそめる。
積荷は香辛料や薬草。
予定通りに積み込めなければ、潮の流れに乗れず出港が遅れる。
一日遅れるだけで、損失は決して小さくない。
ウィルは港の時計を見上げた。
「昨日までの嵐で道中、何かあったのかもしれない」
その時だった。
一台の馬車が港へ滑り込んできた。
御者台から降りたのはエレノアだった。
「申し訳ありません、お待たせしました」
「何かございましたか?」
「昨夜の豪雨で橋が一本流されてしまったそうです」
「なるほど。では予定通りにはいかなさそうですね……」
「ですので、途中で荷を積み替えました」
ウィルは目を見開いた。
「積み替え?」
「ええ」
エレノアは地図を広げる。
「こちらの橋は使えません。ですが、北の農道ならギリギリ馬車は通れます。途中から小舟を借り、川を渡らせました。反対側には、あらかじめ別の荷馬車を手配しておりますので予定よりは少し遅れるかもしれませんが誤差の範囲ですむと思われます」
副船長が思わず声を漏らす。
「一晩でそこまで……」
「夜のうちに各方面へ使いを走らせました」
エレノアは当然のように答えた。
「皆さんが協力してくださいましたので」
ウィルは思わず笑ってしまう。
「皆さん、ですか」
「はい」
「私一人では、とても」
その言葉が実に彼女らしかった。
誰かの功績を、自分だけのものにはしない。
エレノアの想定通り荷馬車が次々と港へやってくる。
「エレノア様、さすがですね」
「私は指示を出しただけです。皆の協力が無ければ不可能でした。讃えるならば身を粉にして働いてくれた彼らにお願いしたします」
「あなたのような人格者は珍しい」
「褒め言葉として受け取っておきますわ」
荷物の積み込みが始まる。
しかし、その途中。
「ウィル様!」
見張りの船員が叫んだ。
「帆柱の滑車が割れています!」
「わかった!すぐに行く!」
ウィルはすぐに甲板へ駆け上がる。
見ると、昨日まで問題なかった滑車に大きな亀裂が入っていた。
「悪いことは重なるものだな」
「どういたしましょう」
無理に出港すれば、帆が落ちる危険がある。
「交換だ」
「ですが予備がありません!」
副船長が顔をしかめる。
ヴァルハイム製の特殊な部品だ。
この国では手に入らない。
「困ったな……」
エレノアが船を見上げる。
「応急処置では危険でしょうか」
「ええ」
ウィルは苦笑した。
「海は甘くありません」
その言葉を聞いたエレノアは、少し考え込む。
「少々、お待ちください」
そう言って馬車へ戻ると、一冊の分厚い帳面を取り出した。
「これは?」
「王都の職人名簿です」
ページをめくる。
「船大工……船大工……」
やがて指が止まった。
「あった。この方なら……。港の近くにある古い造船所にいるはずだわ。昔、王家の軍船を修理していた職人さんなんです」
ウィルが驚く。
「ご存じなのですか」
「以前、港湾整備のお仕事をご一緒しました。腕は確かです」
一時間後。
白髪の老人が工具箱を抱えて現れた。
船を見上げるなり笑う。
「ほう……ヴァルハイムの造りか。懐かしいな。……エレノア様、この老いぼれに声をかけてくださりありがとうございます」
「マートルさん、わざわざありがとうございます」
「エレノア様に呼ばれたとなれば、この老骨。どこへでも馳せ参じます」
マートル爺は工具を手に取り、迷いなく作業を始める。
二十分後。
老人は滑車を軽く叩いた。
「これでしばらくは保つ」
副船長が目を丸くする。
「嘘だろ……。ウィル様、これはもう新品と変わりません……」
マートル爺は鼻で笑った。
「まだまだ若い者には負けんよ」
去っていく背中へ、船員たちから自然と拍手が起こった。
夕暮れ。
出港準備も無事に終わり、港には穏やかな風が吹いていた。
「本当に助かりました」
ウィルが頭を下げる。
「いいえ」
エレノアは首を横に振る。
「私は人を紹介しただけです」
「紹介できること自体がすごいんですよ。皆さん、エレノア様だから来てくださったのでしょう」
エレノアは少し困ったように笑う。
「皆さん、お優しいだけです」
(違う)
ウィルは心の中で否定した。
人は、優しいだけでは動かない。
恩があるから。
信頼しているから。
だから夜中でも、どこへだろうと駆け付けてくれる。
その時だった。
港へ一人の少年が駆け込んできた。
「大変だ!」
「子どもが海へ落ちた!」
叫び声が響く。
考えるより早く、ウィルは外套を脱ぎ捨てて走り出していた。
桟橋から迷いなく海へ飛び込む。
冷たい水しぶきが上がる。
嵐は止んだと言えども流れは速い。
それでも一直線に子どもの元へ泳ぎ着くと、その身体を抱きかかえた。
「ロープ!」
船員たちが一斉に動く。
息の合った連携で二人を引き上げた。
子どもは海水を吐き、大きく咳き込む。
「生きてる!」
「あぁ、坊や!ありがとうございます!!!」
母親が泣きながら抱き締めた。
周囲から大きな拍手が起こる。
「すごい……」
「迷いがなかった」
「まるで騎士みたいだ」
エレノアは濡れたまま立ち上がるウィルを見つめていた。
(やっぱり。この人は、ただの商人じゃない)
商人なら危険を避け、まずは損得を考える。
だが、この人は違った。
真っ先に飛び込んだ。
しかも、その動きには鍛えられた者だけが持つ無駄のなさがあった。
ウィルはエレノアの視線に気付き、照れくさそうに頭をかいた。
「む、昔から泳ぎだけは得意でして」
「……ふふっ、そういうことにしておきます」
エレノアは小さく笑う。
その笑顔を見て、ウィルも思わず笑ってしまう。
互いに、まだ何も知らない。
けれど二人の距離は、潮が満ちるようにほんの少しだけ近づいていた。
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