第7話「シナリオにない脅威」
俺が勘違いの渦の中心で胃を痛めている間に、季節は巡り、学園は年に一度の学園祭の準備で活気づいていた。
俺はもちろん、準備委員会のような面倒ごとには一切関わらず、ひたすら影に徹していた。
このまま学園祭が平穏無事に終わり、俺の知らないところでヒロインと攻略対象たちがイチャイチャしてくれればそれでいい。
そう願っていたある日の午後。
俺はアレンやカイルに無理やり引っ張り出され、学園祭で使う木材を運ぶため、学園の裏手にある森に来ていた。
リリアとソフィアも、なぜか「お手伝いですわ!」「私も行きます!」とついてきてしまっている。
カオスなメンバーだ。
「しかし、ジークは何でも知っているな。この森のどこに、丈夫な木が生えているかまで把握しているとは」
アレンが感心したように言う。
『いや、ゲームの資材収集イベントで知ってただけです』
「ジーク様がご一緒なら百人力です! このカイル、どんな木でも切り倒してみせましょう!」
カイルがやる気に満ちあふれている。
『だから、そういうのはいいから……』
そんな気の抜けたやり取りをしていた、そのときだった。
森の奥から、空気を震わせるような、低い唸り声が響いた。
地面が、わずかに揺れる。
「……な、なんだ?」
カイルが警戒して剣の柄に手をかける。
森の木々が、ざわ……っと不自然に揺れた。
鳥たちが一斉に飛び立つ。
尋常ではない魔力の気配。
濃密で、邪悪で、そして何より――強力だ。
俺の背筋に、ぞわりと冷たい汗が流れた。
『なんだ、この魔力は……? ゲームでは、こんなイベントはなかったはずだ』
次の瞬間、木々をなぎ倒し、俺たちの前に姿を現したのは、巨大な魔獣だった。
三メートルはあろうかという巨体に、猪のような頭、熊のような体、そして岩のように硬質な皮膚。
その目は、憎悪に満ちた赤黒い光を放っていた。
「グォオオオオオオッ!」
咆哮だけで、周囲の空気がビリビリと震える。
「オ、オーガキング……!? ばかな、なぜこんな低級魔獣の森に、準A級の魔獣が……!」
アレンが驚愕の声を上げる。
だが、俺はすぐに気づいた。
あれはただのオーガキングじゃない。
全身から立ち上る瘴気の量が異常だ。
目が赤く充血し、よだれを垂らしている。
明らかに、何らかの手段で異常強化され、凶暴化している。
「みんな、下がれ!」
俺は咄嗟に叫んでいた。
カイルが俺たちの前に立ちはだかり、剣を抜く。
「ジーク様たちはお下がりください! ここは俺が!」
「ばか! 一人で敵う相手じゃない!」
オーガキングが、地響きを立てて突進してくる。
絶体絶命。
誰もがそう思っただろう。
だが、俺の頭の中は、前世の知識が高速で回転していた。
ゲームの知識。
この森のマップデータ。
隠し通路。
地形効果。
そして、オーガキングの隠し設定。
「アレン! 魔法障壁を! 正面じゃない、奴の右側面、少し高めに集中させろ!」
「なっ、なぜだ!?」
「いいから早く! 奴は右目がみえていない! そちらからの攻撃には反応が遅れる!」
原作ゲームでは語られない、開発段階での没設定。
だが、俺はそれを知っていた。
アレンは一瞬ためらったが、すぐに俺の言葉を信じ、指示通りの場所に強力な光の壁を展開する。
オーガキングは案の定、障壁に気づかず激突し、一瞬動きが止まった。
「カイル! 今だ! 奴の左膝の裏を狙え! そこが唯一の急所だ!」
「承知!」
カイルが俺の指示に寸分の迷いもなく従い、オーガキングの巨体の下にもぐりこむ。
そして、的確に膝裏の腱を斬り裂いた。
「ギィイイイッ!」
悲鳴を上げ、オーガキングが片膝をつく。
だが、まだだ。
奴は最後の力を振り絞り、巨大な腕を振り上げた。
ターゲットは、聖なる力を感じ取ったのか、後方にいたリリアだ。
「リリア、危ない!」
ソフィアが叫ぶ。
「リリア! 動くな! 足元に聖なる祈りを集中させろ!」
俺の声が飛ぶ。
リリアは恐怖に震えながらも、俺の言葉を信じて、必死に祈りを捧げる。
すると、彼女の足元から柔らかな光があふれ出し、地面から生命力に満ちた蔓が伸びて、オーガキングの腕に絡みついた。
「今だ! アレン、最大火力で頭を狙え!」
「分かった!」
アレンの放った灼熱の炎槍が、動きを封じられたオーガキングの眉間に突き刺さる。
巨体はけいれんし、やがて地響きを立てて動かなくなった。
森に、静寂が戻る。
残されたのは、荒い息をつく俺たちと、倒された魔獣の巨体だけだった。
「……助かった……。ジーク……君は、なぜあれほどの的確な指示を……? まるで、全てを知っていたかのようだ」
「ジーク様、お見事です! あなたの指示がなければ、我々は皆……!」
カイルが興奮した様子で駆け寄ってくる。
リリアとソフィアも、畏敬と、そして少しの恐怖が混じったような目で俺をみていた。
俺は彼らに答えることができなかった。
安堵よりも、はるかに大きな疑念が、俺の心を支配していたからだ。
『なぜ、ゲームにいなかったはずの魔獣が? なぜ、こんな異常な強化が施されていた?』
これは、ただの偶然じゃない。
この世界は、俺の知るゲームのシナリオから、少しずつ、しかし確実にズレ始めている。
そしてそのズレは、俺の破滅回避どころではない、もっと大きな災厄の前触れなのではないか――。
俺の平穏な生活を守るための戦いは、新たな、そしてより深刻な局面を迎えようとしていた。




