第6話「ダブルヒロイン・パニック」
俺が望むのは平穏。
ただそれだけのはずなのに、俺の学園生活は日に日にカオスを極めていた。
原因は、言うまでもなく二人の女性だ。
一人は、原作ヒロインの聖女リリア。
彼女は、俺が破滅フラグ回避のために取った行動の数々を、「冷たい仮面の下に隠された、不器用で深い優しさ」と完全に誤解していた。
今では、廊下で会えば「ジーク様、こんにちは!」と満面の笑みで挨拶してくるし、図書館で本を読んでいれば「隣、よろしいですか?」とごく自然に隣に座ってくる。
俺が何か落とし物をすれば、どこからともなく現れて拾ってくれる。
その純粋で真っ直ぐな好意は、正直、心臓に悪い。
「ジーク様は、本当はとても優しい方なんです! 皆さん、誤解しているだけです!」
彼女が友人にそう力説しているのを、俺は物陰から聞いてしまい、頭を抱えた。
違うんだ。
俺はただの事なかれ主義者なんだ。
そして、もう一人が、俺の婚約者であるソフィア。
彼女は、俺が「王国の未来を憂う、孤独なカリスマ」であると信じて疑わない。
俺の言葉の端々から、深遠なる意図を読み取り、勝手に感銘を受けている。
「あなた様こそ、次代の王国を担うにふさわしいお方……! このソフィア、生涯をかけてお支えいたしますわ!」
お茶会をするたびに、彼女は熱烈なアプローチをかけてくる。
将来の円満な婚約解消など、夢のまた夢になりつつあった。
この二人からの、方向性の違う、しかし熱量は同じ好意の板挟みになった俺は、学園内で頻繁に奇妙な修羅場に遭遇することになった。
例えば、ある日の昼休みの中庭。
俺がベンチで一人、胃痛に耐えながらサンドイッチを食べていると、リリアが可愛らしいバスケットを持ってやってくる。
「ジーク様、もしよろしければ、私が焼いたクッキーはいかがですか?」
俺が「あ、ああ……ありがとう」と受け取ろうとした、その瞬間だ。
どこからともなく、ソフィアが優雅に現れる。
手には最高級の銀食器に載せられた、見るからに高そうなケーキが輝いている。
「お待ちになって、聖女様。ジーク様のお口に入れるものを、素性の知れぬ平民が作ったもので汚すわけにはまいりませんわ。ジーク様。こちら、王家御用達のパティシエに作らせた、新作のケーキでございます。お口直しにどうぞ」
リリアは「そ、素性が知れないなんて……!」と涙目になり、ソフィアは「事実ですわ」と扇子で口元を隠して微笑む。
そして、二人の視線が、俺に集中する。
二人の声がぴたりと重なり、俺を問い詰める。
「ジーク様、どちらを?」
『どっちもいらん! 俺はただ静かにサンドイッチが食べたいだけだ!』
俺は内心で絶叫しながら、「……どちらも、後でいただこう。ありがとう、二人とも」と当たり障りのない返事をして、その場を全力でダッシュして逃げた。
またあるときは、図書館で。
俺が魔法史の分厚い本を棚から取ろうと手を伸ばしていると、リリアが背伸びをして手伝ってくれようとする。
「ジーク様、お取りします!」
その彼女の肩を、すっと後ろから手が制する。
振り返ると、やはりソフィアがいた。
彼女は優雅に手を伸ばし、俺が取ろうとしていた本ともう一冊、関連資料であろう本を軽々と取り出す。
「聖女様には荷が勝ちますわ。ジーク様のお手伝いは、婚約者である私の役目ですもの。ジーク様、こちらの資料も必要ではありませんこと? きっとお役に立つはずですわ」
完璧なアシスト。
だが、リリアは負けていない。
「それなら、私はジーク様が読みやすいように、お席の準備をしてきます!」
そう言って、二人は俺を挟んで火花を散らす。
周囲の生徒たちは、胃痛に耐えて無表情で固まっているだけの俺を遠巻きに眺めながら、ひそひそと噂話をしていた。
「おい、また始まったぞ……。聖女様とヴァレンシュタイン公爵令嬢の、ジーク様を巡る静かなる戦いが……」
「信じられるか? あの二人を、ジーク様は同時に手玉に取っているんだぜ。クールな態度を崩さず、二人の嫉妬心を巧みに煽り、自分への好意を増幅させているとしたら……恐ろしい男だ。聖女と公爵令嬢、二人を同時に愛人にするつもりなのか……?」
「いや、あるいは……あれは壮大な痴話喧嘩にみせかけた、高度な情報交換なのかもしれない……」
勘違いは、もはや俺の想像を遥かに超えた領域に達していた。
いつの間にか俺は、学園内で『聖女と公爵令嬢を同時に手玉に取る、恐るべき色男』という、不名誉極まりない新たな称号を授かってしまっていた。
俺の胃は、もう限界だった。




