第1話「ファーストコンタクトと最初の誤算」
数年の歳月が流れ、俺は十五歳になった。
この世界の貴族の子息としては順当に、王立魔法学園に入学する日を迎えた。
この数年間、俺は来るべき学園生活に備え、入念な準備を進めてきた。
表向きは公爵家の嫡男として完璧な作法と教養、魔法技術を身につけつつ、内心ではひたすら「目立たない」「関わらない」「波風を立てない」の三原則を胸に刻み込んできたのだ。
特に、破滅フラグの塊である主要人物たちとの接触は、絶対に避けなければならない。
筆頭は、原作ヒロインの聖女リリア。
彼女との関わりこそ、俺の破滅への第一歩なのだから。
「新入生の皆さんは、こちらへ」
豪華な講堂で行われた入学式を終え、新入生たちはクラス分けのために指定された廊下を移動していた。
俺は人混みに紛れ、気配を殺し、壁の染みと化すことに全力を注いでいた。
『よし、いいぞ。このまま誰の目にも留まらず、教室までたどり着ければミッションコンプリートだ』
そう思った矢先だった。
前方の少し開けた場所で、人だかりができているのがみえた。
そして、その中心から聞こえてくる、甲高い嘲笑。
「まあ、ご覧になって。平民が紛れ込んでいるわ」
「お父様が寄付金を積んだのかしら? 見るからに貧相ですこと」
金髪縦ロールの典型的な取り巻き令嬢たちが、一人の少女を取り囲んでいた。
うつむき、栗色の髪を揺らすその少女の姿に、俺の心臓は警鐘を乱れ打った。
『リリアだ……!』
間違いない。
平民でありながら稀有な聖なる力に目覚め、特待生として入学してきた原作ヒロイン、リリア・オーブライトその人だった。
そして、このイベント!
俺は知っている。
これは、入学式直後に発生する最初のフラグだ。
原作のジークは、ここで嘲笑の輪に加わり、「身の程を知れ、平民が」とリリアに追い打ちをかける。
これが、彼女に対する陰湿ないじめの始まりであり、俺の破滅へのカウントダウンの開始を告げる号砲となるのだ。
『まずい、まずい、まずい!』
関わってはならない。
見るな、俺。
通り過ぎろ。
これは俺には関係のないことだ。
俺はただの背景、モブAにすぎない。
そう自分に言い聞かせ、俺は足早にその場を通り過ぎようとした。
だが、うつむいたまま固く拳を握りしめ、震えるリリアの姿が視界の端に映った瞬間、前世の日本人としての常識人な魂が、俺の足を縫い付けた。
『……いや、でも、これはさすがに胸糞悪いだろ』
集団で一人をいびる。
一番嫌いなやつだ。
前世でも、こういう場面ではつい口を挟んで面倒に巻き込まれることが何度かあった。
駄目だ、駄目だぞ俺。
ここで関われば、原作ジークと同じ土俵に上がることになる。
破滅フラグ直行便だ。
しかし、令嬢たちの嘲笑はエスカレートしていく。
「教科書も買えないのかしら? 汚れた制服ね」
「そもそも、私たちと同じ空気を吸うことすら烏滸がましいと思わないのかしら」
――カチン。
俺の中で、何かが切れた音がした。
気づけば俺は、引き返し、人だかりの中心へと歩みを進めていた。
「――そこまでだ」
地を這うような低い声。
俺自身、自分の声がこんなに冷たく響くとは思わなかった。
その一言で、騒がしかった場が水を打ったように静まり返る。
令嬢たちが、信じられないものを見るような目で俺を振り返った。
「ジ、ジーク様!?」
そうだ、この顔面偏差値の暴力。
公爵家嫡男というブランド。
俺が何もしなくても、この場の序列は俺がトップだ。
俺は令嬢たちを冷やかに一瞥し、それからリリアに視線を……いや、合わせないように、あえて伏し目がちに手前の床へと視線を落とす。
「くだらない」
少しだけ声を低くして俺が絞り出したのは、ただそれだけだった。
『そうだ、早く立ち去ってくれ! 俺はこれ以上関わりたくないんだ!』
という心の叫びを込めて、俺は令嬢たちを睨みつける。
令嬢たちは俺の冷徹な視線に射抜かれ、青ざめた。
「も、申し訳ありません! わ、私たちはこれで……!」
蜘蛛の子を散らすように、彼女たちは逃げ去っていく。
『よし、よし、追い払った! これで俺もすぐに立ち去れば、関わりは最小限で済む!』
俺はすぐさま背を向けて立ち去ろうとした。
これ以上、リリアと顔を合わせるわけにはいかない。
「あ、あの……!」
背後から、か細い声が俺を呼び止めた。
振り返ってはいけない。
絶対にだ。
俺は足を止めずに、しかしほんのわずかに歩みを緩めてしまった。
「……助けてくださって、ありがとうございます」
その声は、震えていた。
感謝と、そして少しの戸惑いが混じっているように聞こえた。
俺は結局、一度も振り返ることなく、無言のままその場を立ち去った。
これでいい。
これで接触は終わりだ。
冷たい態度で突き放した形になったから、これ以上関わってくることもないだろう。
俺は安堵のため息をつき、自分の教室へと急いだ。
だが、俺は知らなかった。
残されたリリアが、俺の去っていった背中を見つめながら、こう呟いていたことを。
「クラインフェルト公爵家の、ジーク様……。噂では、とても冷たい方だと聞いていたけど……本当は、違うのかも……」
そして、遠巻きに見ていた他の生徒たちが、こう囁き合っていたことも。
「おい、見たか? ジーク様だ」
「ああ。わざと冷たい態度を取っていたが、あれは新入生が貴族のいじめに遭わないように、釘を刺したんだ」
「なるほど……。全てを見通した上での行動か。さすがは次期公爵……」
俺の破滅回避のための行動は、こうして、俺の意図とは全く違う形で解釈され、最初の勘違いを生み出したのだった。




