あれが“最強”。
第9話です。
前回、〇〇〇ー疑惑をかけられたお兄ちゃん。
今回は、カレンに促され“ナニカ”から逃走するところから。
「とにかく走って! 付いてきて! そのおっさんはどこかに捨てて!」
「お前な! 人間なんだぞ、わんちゃんや猫ちゃんを捨てるみたいに言うな!」
「だから言ってるの! 犬や猫ならまだ可愛げがあるから許せた! だけどそのおっさんは、お兄の貴重な体力を削るだけのただの重石でしょ!」
「ハァ、ハァ……。ここ、ここで、別れようか……。もう十分に、世話になった……ッ」
急かされるままに隠れ家を飛び出したものの、俺の肺はとうに限界を迎えていた。
流れで付いてきてしまったが、この兄妹にとって、俺と一緒にいて得することなんて一つもない。
妹さんの言う通り、ここらでさっぱり切り捨ててもらうのが、互いのために一番いいはずだ。
「いえ、まだです! 僕は、あなたにまだ話したいことがあるんです!」
「お兄! いくら何でも遅すぎる! おっさんのペースに合わせて走らないでよ! また、あたしに抱っこして欲しいの!?」
「それは勘弁してくれ。兄としての何かが死ぬ!」
既に死に体の俺に比べ、二人は走りながらじゃれ合う余裕すらある。
歳の差か。
いや、二十年間スライムを追うだけで満足していた俺と、化け物を相手に戦い抜いてきた彼らとの、積み上げてきた地力の差なのだろう。
「待て! 一旦ストップ! ……いい加減、走っただろ」
俺の限界を察したのか、彼が立ち止まり、膝に手をついて肩で息をする俺を気遣うように視線を送った。
「もう十分離れたはずだ。円の縮小までは、まだ時間がある。……いい加減、僕たちが何から逃げてるのか教えてくれないか」
彼の問いかけに、俺も荒い呼吸を整えながら耳を澄ませた。
今までの傾向からして、円の縮小はまだ先のはずだ。それを予測して先回りしているのか、それとも――。
「…………」
兄が足を止めると、不満を隠そうともせずに妹も足を止めた。
目を尖らせ、獲物を取り上げられた子供のように不機嫌な顔をする彼女は、殺気を放っていた時とは別人のように年相応に見える。
……少しだけ、微笑ましいとすら思ってしまった。
そんなことを口に出せば、今度こそ八つ裂きにされそうだが。
「……“流星”」
「「流星?」」
俺と彼――二人の声が、見事なまでに重なった。
流星。つまり、流れ星のことか?
こんな地獄のような島に、今さら隕石でも落ちてくるっていうのか。
あまりに綺麗にハモったのがおかしくて、俺たちは顔を見合わせて、つい吹き出してしまった。
「手刀灰滅!」
「「あいたーっ!」」
鋭い手刀が、俺たちの脳天に同時に突き刺さった。
速い。速すぎる。
俺のスライムキラーとしての動体視力をもってしても、防ぐどころか反応することすら叶わない。
しかも、彼女は手甲を嵌めた左腕を容赦なく振り下ろしている。
左右同時に繰り出された一撃だが、威力と殺気において、俺と彼には天と地ほどの差がある――はずなのに、俺の頭にも、等しく脳が揺れるような衝撃がもたらされた。
「お、お嬢さん。流星ってのは、一体何のことなんだ……?」
彼は手甲のある「当たり」を引いた。未だに脳天を押さえて涙目で痛みと戦っている。
仕方なく俺が代わりに尋ねると、彼女の力強い瞳が真っ向から俺を貫いた。
正直に言って、蛇に睨まれた蛙のような気分だ。
だが、無視されて切り捨てられるよりは、余程いい。
「“流星ノ勇者”が、向かってきてるの」
「「流星ノ、勇者……?」」
「手刀灰滅!!」
「「あいたーっ!?」」
再びの衝撃。
こんなノリ、一体いつぶりだろうか。
俺にもガキの頃、馬鹿なことで笑い合える幼馴染や友達がいた。
あの頃はこうしてじゃれ合い、理不尽に怒られ、それでも明日が来るのを疑いもせず笑い合っていた。
四面楚歌の異常事態。背後には絶対零度の嵐が迫り、目の前には最強クラスの勇者がいる。
それなのに、こんな青臭い記憶を思い出すなんて。
きっと、目の前の二人が、この地獄においてなお、壊れることのない強い信頼関係で結ばれているからなのだろう。
その輝きが、俺の中に眠っていた枯れ果てた記憶を、一瞬だけ呼び起こしたのだ。
……もっとも、二度目の「当たり」を食らって地面をのたうち回っている彼を見る限り、彼は「信頼」よりも「生存」の方に必死なようだが。
というか「灰滅」ってなんだ?
彼女は意外にもオリジナルの技名を叫ぶタイプの勇者なのか?
「史上最強とまで言われてる勇者だよ。なんで知らないの! この田舎者! シスコン!」
「……自分を棚に上げてよく言うよ」
彼女の罵倒に、彼が恨めしそうに呟く。
史上最強。どうにも俺にはピンときていなかった。
強さの規模感がまるで想像できないからだ。スライムを二十年狩り続けてきた俺の物差しでは、測れる数値を超越しすぎている。
「……そんなに、やばいのか?」
未だに頭を擦りながら、彼が問いかける。
「今は……戦うべきじゃない。他の雑魚はいいけど、あいつだけは別格なの」
カレンの瞳に、わずかな焦燥が混じる。
「今は」という言葉の裏には、足手まといを庇いながら、他の勇者の介入を警戒して戦える相手ではない、という冷徹な計算があるのだろう。
「っ! こっち、隠れて! ……お兄、あとで頭撫でてあげるから早く!」
「カレン……僕、さっきの衝撃でちょっと馬鹿になったかも……」
「大丈夫、馬鹿なお兄も推せるから。あたしが一生、責任持って面倒見てあげる。……だから今は隠れて」
小さな、だが有無を言わさぬ圧力で促され、俺たちは岩陰の茂みに身を潜めた。
何事かと視線を彷徨わせると、夜空に浮かぶ「なにか」が見えた。
遠目だが、決して鳥やコウモリの類ではない。
それは確かに、優雅に、そして傲慢に宙を舞う、人の形をしていた。
「……カレン。お兄ちゃん、本当に馬鹿になっちゃったかもしれない。人が空を飛んでるように見えるんだ」
「安心して。ちゃんと人が空を飛んでるから」
一目見ただけで、本能が理解した。
あれが、史上最強。
「あたしも能力の詳細は知らない。でも、空を飛ぶ『だけ』なんてことは、絶対にないはず」
空を飛ぶ「だけ」。
それだけでも俺にとっては、神話の領域だ。
もし神様に会えるなら、この世の不平等について、一晩中説教を垂れてやりたい気分だった。
俺の二十年はスライムの粘液に塗れ、あいつの二十年は空を駆ける自由を与えられている。
「あ! あれ!」
彼が指差す方向に目を向けると、三人の勇者がいた。
彼らは武器を構え、果敢にも――あるいは無謀にも、宙に浮く「流星」へと向かっていく。
それは勇者の矜持か、それとも最強の名を奪わんとする野心か。
どちらにせよ、俺のような三流には到底真似できない、あまりに眩しく、そして危うい光景だった。
「命知らずなのか無知なのか。多分後者だね。丁度いい。少しでも情報が欲しかったの」
「っ…………」
何かを言いかけてやめた兄と、その手を強く握る妹。
察することは容易だ。
俺にしたようなお節介を焼こうとする優しい兄。それを静止する妹。
この構図は幾度となく繰り返されてきたのだろう。
そして次第に、お互いの妥協点が生まれたはずだ。それは『危険がない範囲なら渋々だが可』といったところか。
彼自身も身に染みて理解しているだろう。どうすることもできないと。
三人組は剣を抜いた。
何かを話しているようだが、ここからではよく聞こえない。
激しい攻防を予感したが――事実は全く異なるものだった。
それは、戦闘と呼べるものではなかった。
虐殺や蹂躙でもない。一方的な、あまりにも一方的な「清掃」だった。
“流星”と呼ばれたその勇者は、まるで夜風の涼しさを確かめるように、静かに右手を空へ掲げた。
ただ、それだけ。
詠唱も、気迫も、構えすらもない。
だが次の瞬間、世界から闇が消えた。
頭上の虚空に現れたのは、十や二十ではない。
百、いや、千に届くであろう、白銀に煌めく無数の剣。
切っ先を下に向け、空を埋め尽くすその光景は、神話に語られる神の裁きそのものだった。
対峙していた三人の勇者が、何かを叫んだように見えた。
盾を構えた者、回避行動に移ろうとした者、障壁を展開した者。
彼らは決して弱くなかったはずだ。空に浮かぶ異様な存在に果敢に挑む、それは紛れもなく自信の現れだ。だが――。
流星の手が、演奏を終えた指揮者のように、ふわりと振り下ろされた。
空が落ちてきた。
そう錯覚するほどの光の奔流。
防ぐ? この豪雨を傘一本で凌げるとでも?
逃げる? この光の檻のどこへ?
悲鳴はなかった。
肉が弾ける音も、骨が砕ける音も、すべては無数の剣が降り注ぐ圧倒的な剣鳴にかき消された。
光が収束した時、そこには三つの肉塊と、墓標のように突き刺さる無数の剣だけが残されていた。
あまりにも淡々と。あまりにもあっけなく。
彼らは自分が死んだことすら気づけなかっただろう。
大地を埋め尽くす剣の群れが、残光を放ちながら揺らめいている。
俺は呆けながら、場違いなことを考えていた。
綺麗だ、と。
血生臭い死体の上に広がるその光景は、まるで夜空に瞬く星々が、地上に舞い降りたようだった。
あれが、“流星ノ勇者”。あれが“最強”。
圧倒的な美しい絶望が、そこにあった。
第9話お読みいただきありがとうございました。
次回、お兄ちゃんの“力”が明らかになります。
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