今日は手を繋いで一緒に寝ること!
第10話です。
前回、ちょっとだけ馬鹿になっちゃったお兄ちゃん。
今回は、最強の勇者が去ったところから。
「動くよ。わかってると思うけど静かにね」
「……ああ」
「…………」
“流星”の気配は、夜空に溶けるように消えていた。
周囲に人の気配はない。どころか、生物の息遣いすら聞こえない。
危機を悟った動物や虫たちは、あの剣の雨が降るよりも前に、この森を捨てて逃げ出したのだろう。
残されたのは、無機質な静寂だけだ。
「行きましょう。流星が戻ってくるかもしれない」
「いや……俺はここで別れるよ」
俺は死を目の当たりにして、そうするべきだと、そうしなければならないと思った。
優しい彼のことだ。「助けてくれ」と縋れば、きっと首を縦に振る。
一回りも年下の子たちに、これ以上甘えてはいけない。
「彼らのために」、なんて綺麗な言葉で飾るつもりはない。これは、俺のためだ。
最後に残った、大人としての小さなプライド。
「……悪いけど、ちょっとの間、二人きりにしてくれないか?」
俺の意図を察してか。彼は隣に立つ妹にそう提案した。
「はぁ? なんで――」
「頼むよ。……頼む。少しだけでいいから」
「~~っ! なんかあったらすぐに大きい声を出すこと! 今日は手を繋いで一緒に寝ること!」
「ああ。愛してるよ。カレン」
彼女は音もなく、あっという間に闇に消えていった。
危険はないと判断し、兄の少しのわがままを聞き入れたのだろう。
「素敵な妹さんだな」
「ええ。世界一可愛い自慢の妹です」
全く嫌味のない、少年らしい純粋な笑顔だった。
「一緒にいたら、危険な目に合わせてしまうから?」
今度は自嘲気味に笑いながら。
そんな笑い方は、もっとおっさんになってからするものだ。
「賢い奴との話は手間が省けていい。その通りだよ」
「賢いんじゃないです。同じなんですよ。僕たち」
同じ? 俺と……君が?
「僕の話をしてもいいですか?」
「……ああ。聞かせてくれ。凡夫の俺には妄想することもできないような、驚きに満ちた冒険譚をな」
周囲には音一つない。
心地よい夜風と、俺たちを等しく照らす月明かりだけが存在していた。
「“継承ノ勇者”――それが僕の二つ名です」
二つ名。勇者として認められた証。
王より拝命され、その者の本質を表す魂の称号。
スライムキラーという滑稽な名を持つ俺とは違い、その響きはあまりにも高貴だった。
「継承?」
「王様は、それはもう僕の顔までべちょべちょになるくらい大興奮でした。『これは伝説の始まりじゃ!』って」
ことの始まりから、やはり俺とは大きく異なる。
俺の時は、王はあくびを噛み殺していたというのに。
「僕は、他の勇者から能力を“託される”ことができます。その数に限りはありません。……相手の能力は失われてしまいますが」
俺は思わず息を呑んだ。聞く限りでは、とんでもない能力だ。
一つでも常人離れした力を持つ勇者の能力を、複数、あるいは無限に保持できる?
炎を操り、空を飛び、鉄壁の守りを得ることも可能ということか。
「伝説の始まり……! すごいじゃないか! それは紛れもなく、魔王を倒すための最強の力だ!」
「ええ。すごいですよね。僕もそう思います」
心からそう思う。自分のことのように誇らしい気分だ。
なのに、なぜ君はそんな顔をする?
まるで、空っぽの宝箱を見つめるような、寂しげな微笑みを。
「伝説の始まり。王様の言う通りです。何章にも渡って語り継がれる、壮大な勇者の伝説。……僕はその、美しい表紙なんですよ」
そこまで言われて、熱に浮かれていた俺の頭に、冷や水がかけられた。
継承。受け継ぐこと。託されること。
それはつまり、受け継ぐ前は――。
「……そうか。君は、君自身には――」
一際強い風が吹き抜けた。
頭上の月を、分厚い黒雲がゆっくりと覆い隠していく。
光が消え、俺たちの間に影が落ちる。
「能力が、ないのか」
彼は静かに、深く頷いた。
「ええ。正解です。剣の才能も、魔法の適性も、強靭な肉体もない。あるのは『他人の力を入れるための空洞』だけ」
彼は自分の胸に手を当て、自嘲気味に呟いた。
「無能でありながら、伝説の勇者。空っぽの器。それが僕なんですよ」
その悲痛な表情を、闇は優しく覆い隠した。
役立たずの能力を持った俺と、能力そのものを持たない彼。
世界に選ばれたはずなのに、世界に見放された二人。
俺と彼は、同じだった。
「パーティを募集したときの話をしてくれましたよね。僕も似たような経験をしました」
静かな夜に、彼の淡々とした声だけが闇に溶けていく。
「たくさんの人が自分を仲間に! って集まってくれました。でも、今のように説明をすると、失望して、落胆して、一人、また一人と去って行って、最後には誰もいなくなってしまいました」
その時、どれだけの暗い感情をぶつけられたのだろうか。
きっと何気ない言葉の一つ一つが、心に傷をつけただろう。
「……そうか。だから君はあの時……」
懐かしむような顔をしたのか。
自分と同じ傷を持っている者を見つけたから。
「だが、世界は広い! 君に能力を託してくれる奴も――」
「いませんよ。皆お金目当てで勇者になる。勇者の証明たる能力を失えば、当然その権利もなくなる。あなたもそうでしたよね? だから、そんな物好きはいないんです」
「…………」
なにも言えなかった。
「金が貰えなくても、君を信じる奴がいるはずだ」
そんな安っぽい慰めの言葉すら、口の中で灰になる。
まさに俺は、その金を頼りに生きている張本人なのだから。
金に困っていなくとも、能力は神から、親から授かった唯一無二の自己証明だ。
それを他人に譲り渡し、ただの人間に戻る道を選ぶ者などいない。
優しい言葉をくれた彼に、俺は、なにも返すことができなかった。
「……話してくれてありがとう。やっぱり、君は俺とは違う。なにせ、竜よりもおっかない妹さんがいるだろ。だから、大丈夫だ」
俺は無力だ。こんなにも良くしてくれた彼に、なに一つ返すことができない。
できることがあるとすれば、やはり今すぐにでも彼らから離れることだ。
「言いたいことがそれで全部なら俺は行く。……つかの間だったが、仲間ができたみたいで、楽しかった」
いつぶりだろうか。こんなにも人と話したのは。
二人にはたくさんの勇気を貰った。もう十分だ。
これだけで俺はいい人生だったと、最後の時に胸を張って言える。
背を向け、歩き出した俺の背中に、震える声が届いた。
「いいえ。僕も一緒に連れて行ってください」
「…………は?」
俺は足を止め、振り返る。
なんて言った? 僕も一緒に連れていけ? どこに? 誰と? 何のために?
あまりにも予想外で、あまりにも道理に合わない言葉に、俺の脳は処理を放棄しかけていた。
「言いましたよね。同じだって。僕だって同じですよ。妹といれば危険な目に合わせてしまうんです。だから」
「妹は君にそう言ったのか?」
「僕はあなたにそう言いましたか?」
思わず頭に血が上る。
違う! なぜわからない。君と俺は違うんだ。君には可能性がある。未来がある!
「そんなの……。俺である必要がないだろ! 俺よりマシなやつなんて山ほどいる!」
「だからっ!」
彼は初めて声を荒げた。
あまりにも悲痛な叫びに、俺は思わず息を詰まらせた。
「その山ほどいるなかに、僕と組んでくれる人は何人いるんですか? 同じなんですよ。一人で泣いていた、あなたと」
彼の瞳から涙が溢れ、その肩は激しく震えていた。
――同じ。
俺が自身の小ささに絶望して、涙を流したこと。
俺は死を目の当たりにして、最後の矜持のために別れを切り出した。
彼もまた、同じように涙を流し、同じように別れを切り出そうとしていた。
語り継がれるはずの伝説の勇者と、スライムしか殺せない最弱の勇者。
その二人の魂のカタチは、驚くほど残酷に、重なり合っていた。
「……だから何だ。傷を舐め合って、二人で哀れに死にたいとでも言うのか?」
どうしようもなく腹が立った。
君が、俺と同じだなんて。
「あなたとなら。……そんな最後も、悪くない」
だめだ。そんなことを言ってはいけない。
俺と君は、どうしようもなく違うのだ。
俺は枯れ果てた二十年の末にここに立ち、君はこれから始まるはず。
愛する者のための自分勝手な自己犠牲。そんなものは、ただの自己満足だ。
だが、どんな陳腐な言葉を並べても、今の彼には届かない。
「剣を抜け。……継承ノ勇者」
俺は、腰の一振りを引き抜いた。
この忌々しい戦場に放り込まれてから、一度も抜くことのなかった剣だ。
随分と年季が入っているが、手入れだけは一日たりとも怠っていない。
スライムの粘液を浴びるたび、研ぎ続けてきた俺の半身だ。
「……な、何を!? 何を言っているんですか!」
彼は後ずさり、身構えはするものの、剣を抜こうとはしない。
その瞳には困惑と、俺に向けたくないはずの警戒が入り混じっている。
「何って……殺し合いだよ。どうも魔王の奴は、積極的に殺り合わない連中には嫌がらせをしてくるみたいでな。ここで一人殺しておけば、しばらくは目を付けられずに済むだろ」
口から出たのは、紛れもない嘘だ。
理由なんて何でもいい。
彼に剣を抜かせるためなら、俺はどんな汚い言葉だって吐いてやる。
「抜かないつもりなら、それでもいい。俺としてはその方が楽だ。……君は、その空っぽの器を抱えたまま、望み通りここで哀れに死ねばいい」
「何でそんなことを……! 気が狂ったんですか!」
ああ、そうだとも。狂っている。
俺を救ってくれた、世界で唯一俺を「同じだ」と言ってくれた優しい少年に、俺は殺意を向けている。
だが、俺から見れば死にたがりの君だって、十分に狂っているんだ。
「選べ! 哀れに死ぬか! 戦って生きるか! これは勇者同士の殺し合いだ!」
さあ、剣を抜け。抜いてくれ。
君は戦わないといけない。
君には、その空っぽの器を満たすための「何か」を掴み取る義務があるんだ。
俺のような三流で終わらせないために。
「……わかりました。あなたがその気なら」
彼の瞳から、迷いが完全に消えたわけではない。
けれど、その奥に勇者としての残酷な覚悟が宿る。
「せめて……僕が、あなたを終わらせる!」
彼もようやく剣を抜いた。
銀色の刀身が月光を反射し、冷たい光を放つ。それでいい。
「“スライム狩りノ勇者”、ノーマン」
「“継承ノ勇者”、リン」
互いの名が、夜の静寂に響き渡る。
不思議な感覚だった。
血が巡り、脳が研ぎ澄まされる。視界は驚くほど広く、指先の震えさえ心地よいリズムに変わる。
気は充実し、長年連れ添った剣が、まるで体の一部になったかのようだ。
俺は今、人生で最高の状態にいる。
俺は今夜、この音のない夜に、俺を理解してくれた唯一の「仲間」に殺される。
君の空っぽの器に、俺は何かを注ぐことができるだろうか。
第10話お読みいただきありがとうございました。
次回、最弱対最弱。
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