俺のことだ。
第11話です。
前回、継承ノ勇者だったお兄ちゃん。
今回は、最弱同士の戦いからです。
ガキィィィン――ッ!!
大気を引き裂いて、硬質な金属音が絶海の孤島に響き渡る。
俺が渾身の力で振り下ろした鉄剣は、少年の掲げた刃によって容易く弾き飛ばされた。火花が散り、視界がチカチカと明滅する。
すかさず二撃目を叩き込もうと踏み込んだが、少年――リンは、まるで見切っていたかのように流麗なステップで間合いを取った。
防戦一方。いや、違う。彼にはハナから、俺を攻撃する気配が微塵もないのだ。
「どうした!? なにを迷っている!? それとも、物語に謳われる伝説の勇者は、こんなものかァ!」
叫ぶ俺の呼気は、触れた先から白く凍りついていく。
この期に及んで、君はなぜそんなにも優しい目で俺を見る。なぜ、その剣を俺の肉に突き立てようとしない。
「判断を遅らせるな! 誰も君を待ちはしない! ――このまま、なにも選べないまま老いて朽ちる気か!」
吐き出した言葉は、ブーメランのように俺自身の胸に突き刺さって、血を流させた。
そうだ。
俺のことだ。
『スライムキラー』なんていう、村人にすら失笑される最弱の能力しか与えられなかった男。
格好のつかない現実から目を背け、なにもかもを先送りにして、安全な村の近くでスライムだけをプチプチと潰しては「勇者ごっこ」に興じていた、うだつの上がらないおじさん。それが俺だ。
ずっと、逃げ回っていた。
「選ぶのが怖いのか!? 責任から逃げて、全部、あの強い妹にやってもらうつもりか!」
俺のことだ。
俺がやらなくても、誰かがやってくれる。王様が、世界が、もっと強い本物の勇者が、どうにかしてくれる。そうやって泥水をすするような現実からずっと目を逸らし、言い訳の鎧を身にまとってきた。
「違う……っ! 僕は……!」
リンが悲痛な声を上げる。その気弱そうな眉が、初めて苦渋に歪んだ。
「言い訳を探すな! そんなもん探して、見つけたって、一歩も進めないままだぞ!」
耳を塞ぎたくなる正論だろう。だが、これは俺の、人生を無駄にした男の精一杯の懺悔なんだ。
才能のせい。環境のせい。世界のせい。
言い訳ばかりが職人みたいに上手くなって、気づけば身体が動かなくなり、支援金をもらってただ生き延びるだけの生ける屍になった。
頼むから言い返してくれ、リン。
「お前と一緒にすんな」と。「僕はお前みたいな哀れなおじさんとは違うんだ」と、激昂して俺を切り伏せてくれ。
俺と同じ絶望の底に、沈んでたまるかと、その若き魂を燃やしてくれ――!
「どうする!? もう後がないぞ!」
激しい剣戟の応酬の中で、俺たちはいつの間にか、足場の限界にまで追い詰められていた。
リンの背後。わずか数メートル先では、世界そのものを削り取り、文字通り「無」へと帰していく氷の嵐が、轟音を立てて渦巻いている。魔王が放つ、絶対的な『凍結』の結界。触れれば魂まで凍るデッドラインだ。
ハァ、ハァ、ハァ……と、俺の肺が悲鳴を上げる。
冷気を含んだ酸素が、刃物のように気管を灼く。体力はとうに限界だ。
ここで終わらせる。おじさんの命を、君の覚悟の薪にしてやる。
「僕は……」
リンが、剣を構え直した。その瞳に、逃避の色はない。けれど、そこにあるのは濁りのない純粋な輝きだった。
「僕は、あなたを説得したい。殺し合うなんて間違っている。あなたに、生きてほしいと思っています……!」
「…………っ」
その言葉に、胸の奥がひどく痛んだ。
眩しすぎる。バカがつくほどの善人だ。でも、だからこそ、その優しさに多くの人が救われてきたのだろう。現に、擦り切れ半分狂っていた俺の心も、君のその真っ直ぐな言葉に救われてしまったのだから。
「甘いと、思いますか。駄目ですか……? このまま、みんなで生き残る方法を探すのは」
「――君には、大切な人がいるだろう」
俺はあえて冷酷に、突き放すように言葉を紡いだ。
「死んでも、殺してでも、守らなきゃいけないものがあるはずだ」
この島は地獄だ。これから先、もっと悍ましい苦難や、理不尽な選択が君を待ち受ける。それらを奇跡的に乗り越えたとしても、その最果てには、あの最強の流星――そして魔王が君を待っているんだ。
今のままじゃ、絶対に死ぬ。
優しさだけでは、誰も守れない。俺なんかに行く手を阻まれているようじゃ、君の望む未来になど、絶対に届きはしないんだ。
「……っ」
リンの視線が、鋭く研ぎ澄まされていく。彼の中で、何かが弾けた音がした。
気弱な少年が、本当の意味で「覚悟」という名の重い鎧をまとった瞬間だった。
「……わかりました。僕は、あなたを倒して先に行く!」
それでいい、リン。それでいいんだ。
「ハアアアァァッ!」
「ウオオオォォッ!」
互いの雄たけびが交錯し、激突の瞬間を迎える。
決着は、一瞬だった。
ぶつかり合う二つの鉄。だが、覚悟を乗せたリンの一閃は、先ほどまでとは比べ物にならないほどに重く、鋭かった。
ガキィィン! と重低音が響き、俺の手首に凄まじい衝撃が走る。握力を完全に奪われ、俺の剣は虚空を舞い、氷の嵐へと吸い込まれて消えた。
ガラ空きの胴体。完全に勝負はついた。
だが、リンの動きは止まらない。彼は涙を堪えるように歯を食いしばり、咆哮とともに、俺の首を目掛けて鋭い横一閃を放つ。
命を確実に刈り取る、完璧な勇者の軌道。
(ああ、これで、いい……)
俺は満足感とともに、そっと目を閉じた。スライムしか倒せなかった俺の人生の終着点としては、上出来すぎる。
――その、刹那だった。
ドンッ!!! と、鼓膜を破壊せんばかりの爆音。
訪れるはずの首の痛みはない。代わりに、視界を閉じていた瞼の裏までをも焼き尽くすような、圧倒的な『紅蓮の光』が迸った。
「な……っ!?」
あまりの熱量に思わず目を開けると、周囲の空気が一熱で沸騰し、パチパチと陽炎が揺らめいていた。
俺の喉元、あと数センチという位置でピタリと止まったリンの白銀の剣。
それを横から強引に、牙のような分厚い剣で受け止めている影があった。
「カ、レン……!? どうして、ここに……!」
リンの声が裏返る。
突如として戦場に乱入してきた最愛の妹を前に、彼の思考は完全にフリーズしていた。もちろん、死を受け入れていた俺も、何が起きたのか理解が追いつかない。
なぜだ? なぜ君が、俺のような弱者を救う?
じりじりと、炎が爆ぜる音だけが周囲に響く。
三人の間に、呼吸すら許されないほどに重苦しい沈黙が流れた。
カレンは、じっと伏せていた顔をゆっくりと上げた。
彼女は、火竜の圧倒的な膂力をもって、リンの剣を力任せに押し返した。
そして、静かに、しかし世界中の何よりも断固とした拒絶を込めて、口を開いた。
「……お兄は、“あたしの勇者”なの」
鈴を転がすような、美しい声。なのに、背筋が凍りつくような冷徹さが宿っている。
「だから……そんな汚いこと、させない」
そんなこと――それは、人を殺めること。
たとえ相手が自ら死を望む敗者であろうと、手を血で染めれば、リンの純粋な魂は傷つく。彼が憧れる「理想の勇者」の歩みから、完全に逸脱してしまう。
カレンは、狂おしいほどの愛ゆえに、兄の綺麗な手を汚させないために、この場に現れたのだ。
「でも、それじゃあ僕は……ここでノーマンさんを倒さなきゃ、カレン、僕は君を――!」
リンが必死に叫ぶ。彼は、この理不尽な選定のゲームを終わらせるために、自らが悪になる覚悟を決めたばかりだったのだ。その梯子を、身内によって外された。
「大丈夫。大丈夫だよ、お兄」
カレンは、俺に背を向けたまま、振り返りもしない。
ただ、実の兄に対してだけ、脳がとろけるほどに甘く、慈愛に満ちた聖母のような声で囁いた。
「全部、あたしがやる。お兄の代わりに、あたしが全部――“殺すから”」
ゾク、と俺の全身の毛穴が総毛立った。
彼女の背中から噴き出す、火竜の焔。
それは、世界を照らす希望の炎なんかじゃない。
まるで、おびただしい生血を貪って煤けたような、紅く、あまりにも昏い、狂気の業火だった。
第11話お読みいただきありがとうございました。
次回、突然の来訪者。
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