……だって、お兄、弱いもん。
第12話です。
前回、覚悟を決めたお兄ちゃん。
今回は、カレンの乱入からです。
「カレン……っ。下がってくれ。僕は……僕は、ノーマンさんと決着を付けなきゃいけないんだ」
喉の奥から絞り出した声は、自分でも驚くほど震えていた。
身体が、熱い。
カレンが突き出した紅蓮の剣から放射される熱波が、僕の視界を歪め、肌をチリチリと焼き焦がしていく。いや、灼かれているのは肌だけじゃない。ノーマンさんを切り伏せてでも先へ進むと、ようやく固まりかけた僕のささやかな決意そのものが、妹の放つ圧倒的な熱量によって灰にされそうになっていた。
「もう十分に気を済ませたでしょ?」
カレンは僕に背を向けたまま、ピクリとも動かない。
ただ、彼女の身体から立ち上る、どす黒い朱色の焔だけが、生き物のように強さを増していく。
「これ以上やるっていうなら――ここからは、あたしが代わる」
ゾク、と背筋に冷たいものが走った。
ほんの数秒前まで、僕に向けられていた慈愛に満ちた、とろけるような蜂蜜色の瞳。それが、ノーマンさんという『排除対象』に向けられた途端、すべてを無慈悲に焼き尽くす狂気の劫火へと変貌する。
本気だ。カレンは本気で言っている。
彼女は、僕の手を汚させないためなら、この島にいる全ての人間を、世界そのものを焼き尽くすことだって躊躇わないだろう。
でも、その炎はあまりにも強すぎる。凶暴すぎる。
制御を失った火竜の力は、いつかカレン自身すらも内側から焼き滅ぼしてしまうに違いない。
僕はヘタレで、弱い、勇者なんて器じゃないかもしれない。けれど――これでも妹を愛する、たった一人のお兄ちゃんなんだ。この暴走を、見過ごすわけにはいかない。
「カレン、もうやめるんだ! 僕なら大丈夫だから――」
「ふふっ、お兄は何一つ心配ないよ? 」
カレンは、場違いなほどに可憐な、ひまわりのような笑顔を浮かべて振り返った。
「だって、“紅蓮ノ勇者”は滅茶苦茶強いんだから」
楽しげに弾む声。それが決して強がりでもブラフでもないことを、僕は嫌というほど知っている。
火を操り、口から吹き、剣に纏わせ、万物を消滅させる火竜の能力。その圧倒的な暴力に、僕はこれまで何度も、数え切れないほど助けられてきたのだから。
だけど、だからこそ、僕は引けなかった。
「……じゃあ、あの“流星ノ勇者”はどうするんだよ?」
僕の問いかけに、カレンの笑顔がぴたりと凍りついた。
僕たちは今、完全にどん詰まりの迷路にいる。
勇者同士が殺し合うこの絶海の孤島。ノーマンさんの言う通り、ただ互いにすり潰されていくだけのこの場所に、今のままでは未来なんてどこにもない。あの神の如き理不尽な暴力である“流星”を打倒しなければ、僕たちに明日はないんだ。
カレンは気まずそうに、その長い睫毛を伏せて俯いた。
わかっているのだ。カレンだって、このままじゃいけないことくらい。力任せに敵を焼き殺すだけでは、この地獄のシステムを壊せないことくらい、痛いほど理解している。
「……大丈夫。あたしが勝つ。どんな手を使ってでも、誰を殺してでも、絶対に、お兄を守るから……」
紡がれたのは、掠れた、震える声だった。
それは他人に向けられた言葉というより、自分自身の魂に強固な楔を打ち込むような、呪詛に近い誓いだった。
その痛々しさに、僕の胸は締め付けられる。
気がつけば、僕は衝動的にカレンの身体を強く引き寄せ、その細い肩を抱き締めていた。
「何をしてでも、なんて言わないでくれよ。……そんなの、お兄ちゃん悲しいぞ」
僕の腕の中で、カレンの小さな身体がビクンと跳ねた。
紅蓮の勇者。火竜の化身。
そんな恐ろしい二つ名とは裏腹に、腕の中に収まった彼女の感触は、驚くほど華奢で、柔らかくて――守ってあげなければいけない、ただの女の子のそれだった。
抱きしめた胸元から、彼女の暴力的なまでの体温が、僕じっとりと伝わってくる。
「……だって、お兄、弱いもん」
カレンの顔は見えない。僕の胸に顔を埋めたまま、籠もった声で、けれど冷酷なまでに残酷な事実を、彼女は口にした。
「お兄がどれだけ傷ついて、どれだけ何かをしたところで……結局、なにも変わらないよ」
「……っ」
ガツン、と頭を殴られたような衝撃だった。
耳を貸すな、これは妹の身勝手なわがままだ――そう強く否定したかった。
けれど、僕の軟弱な理性が、その言葉を紛れもない「真実」として受け入れてしまう。
カレンの言う通りだ。僕がどれだけ血を吐きながら足掻いても、理想の勇者像を叫んでも、この地獄の結末は1ミリも変わらない。能力値も、覚悟も、全てが足りていない。
無能で、空っぽな僕にできることなんて、結局はこうして最強の妹に縋りつき、彼女が誰かを惨殺していく光景を、ただ罪悪感に震えながら黙って見届けることだけなのか――。
暗い自己嫌悪の沼に沈みかけた、その時だった。
「……あー、お取込み中、大変非常に悪いんだけどよ」
低く、どこか締まらない、聞き馴染んだおじさんの声が鼓膜を叩いた。
「あ、ああーー! はいっっ! な、なんでしょうか!?」
僕は文字通り飛び上がってカレンから離れた。
僕の脳みそは、どうやら深刻なレベルでマルチタスクに対応していないらしい。妹の歪んだ愛情表現を受け止めるだけでキャパシティが限界を迎え、つい数秒前まで命がけで殺し合っていた対戦相手の存在を、完全に記憶の彼方に消し去っていた。
「ちッ……おっさん、まだいたの?」
カレンは僕から引き離されたのが不満だったのか、露骨に舌打ちをすると、ノーマンさんを睨みつけた。
「これから情熱的にお兄と絡み合うところだから、空気読んでどっか行ってくれない? 邪魔」
「絡み合わないから! っていうか、ノーマンさんとの決着の最中だったでしょカレン!」
「そういうことなら、若い二人の邪魔にならないように、おっさんは遠くに行ってるよ。いやあ、青春だねぇ。若者の歪んだ愛は応援しなきゃな」
「ノーマンさんまで茶化さないでください!!」
はあ、はあ、と息を切らす僕。
……もう駄目だ。決着なんて、シリアスで緊迫した空気はどこかへ霧散してしまった。
さっきまでこの場を支配していた、肌を刺すような純粋な殺気は消え失せ、今ここに、ひどく場違いで、けれどどこか温かい「日常」の断片のような、奇妙な空気が漂っていた。
第12話お読みいただきありがとうございました。
次回、魔王。
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