お兄ちゃんは人間だ。時と場所、そして状況をしっかりと弁える。
第8話です。
前回、おじさんを拾ったお兄ちゃん。
今回は、おじさんの悲しい過去です。
「それで、いつから見てた?」
「えっと、壁を前に……その、武者震いをしていたところから」
少年の精一杯の気遣いが、逆に俺の胸に突き刺さる。
「はぁーー。我ながらなっさけない。……武者震いであんなに涙は出ねぇよ」
あれから彼に案内され、岩壁に隠れるように存在する横穴に辿り着いた。
入り口は大人が這いつくばってようやく入れるほどに狭いが、奥には五畳ほどの空間が広がっていた。
中心には小さな焚き火。そして部屋の隅には、整えられた草が敷かれた寝床が二つあった。
仲間がいるのか。あるいは、いたのか。
俺の視線に気づいたのだろう。
少年は焚き火の火を整えながら、誇らしげに、けれどどこか困ったように笑った。
「妹です。『二人でがんばろう!』って約束して。今は単独で周辺の視察に行っているんですよ」
「妹? これに巻き込まれたってことは、その子も勇者ってことだよな?」
俺の問いに、少年は「ええ、そうです」と頷く。
「女の勇者か。……支援や回復に回る奴ならたまに見かけるが、この殺し合いの最前線に残ってるってことは、相当な手練れなんだな」
女性が勇者の資質を持って生まれること自体は、決してゼロではない。
だが、その多くは後方支援や治癒に特化した「守られる側」の勇者であることが一般的だ。
だからこそ、貧しい家庭では「稼ぎ頭」として男児の勇者を望む。
王からの“勇者支援金”を手にし、前線で一攫千金を狙わせるために。
「ええ、めちゃくちゃ強いですよ! 王様も『これほど高火力な女の子の勇者は、歴史的にも珍しいのじゃ!』って、顔をべちょべちょにして喜んでました」
「高火力……?」
「はい。ちょっとだけ性格に難があるというか、色んな意味でヘビー級というか……。でも実力は本物で、ワイバーンやサイクロプスだって一人でぶっ飛ばしちゃうんです。この前なんて――」
少年は楽しそうに妹の話を続けるが、それを聞く俺の背中には、嫌な汗が流れていた。
ワイバーンを、一人で?
そんな芸当ができるやつが、この島に集められた百人の中でどれだけいる。恐らくは三割にも満たない一握りだろう。
目の前のこの少年は、おそらく自分の妹が「ちょっと強い」くらいに思っているのかもしれない。
(……強い妹に、守られているお兄ちゃん、か)
先ほど俺に声をかけた時は、どこか悟ったような、大人びた顔をしていた。
だが、こうして妹のことを語る姿は、どこにでもいる年相応の少年そのものだ。
この、裏切りが当たり前の地獄で。
強い妹に守られ、その温もりに安堵しながらも、見ず知らずの、無様に震えていた俺に手を差し伸べる。
この少年が、俺をここまで連れてくるのにどれほどの勇気を振り絞ったのか。
それを思うと、自分の情けなさが再び込み上げてくると同時に、彼の持つ、お節介なほどの真っ直ぐさが、今の俺には眩しすぎた。
「……ありがとう」
俺は冷たい土の床に、額を擦り付けた。
これでも本当は、全然足りない。だが金もない、今の俺が彼の役に立てるような特別な道具もない。
だからこれは、持たざる俺にできる精一杯の感謝だった。
「えっと、そんな、頭を上げてください。感謝されるようなことなんて、何も……」
「動けなくなっちまった俺に、声をかけてくれた。……こうして安息を与えてくれた。君のような勇者に出会えたことは、俺の人生で、何よりの宝だ」
偽らざる本心だった。
この地獄で出会ったのが、飢えた獣のような勇者ではなく、彼でよかった。
「……頭を、上げてください。僕はただ、勇者らしいことを、そうしないといけないと思っただけです」
促されて顔を上げると、そこには自嘲気味に笑う少年の姿があった。
その顔に、俺は見覚えがある。
何かを、自分にとって致命的に大事な何かを、とっくの昔に諦めてしまった男の顔だ。
どうして、こんなに若く、強い妹に守られ、真っ直ぐな瞳をした君が、そんな、どこかの三流勇者と同じ顔をする?
「……泣いていた理由、聞いてもいいですか?」
問いかけられた次の瞬間には、いつもの善良な村人のような彼に戻っていた。
弱さは心の奥底に隠し、誰かのために微笑む。
『強い勇者ってのは、孤独なもんさ』
かつて隣のおばちゃんが言った言葉を思い出す。
だが、目の前の彼は孤独だから強いのではない。孤独な誰かを独りにしないために、自分の孤独を隠しているように見えた。
「もちろん。……泣きべそかいてるところを見られたんだ。今更、君に隠すようなことは何もない」
そこからは、堰を切ったように言葉が溢れ出した。
自分の持てる、あまりに限定的で滑稽な能力のこと。
二十年間、その小さな力にすがって生きてきた自尊心のこと。
いつの間にか戦うことから逃げ、言い訳ばかりを探すようになった醜い心。
とっくに諦めていたはずなのに、本当は未練たらたらで、誰かに認めてほしくて仕方がなかった、捨てきれない夢のこと。
すべてを話した。
自分でも不思議だった。出会って間もない、名前すら名乗っていない彼に対して、どうしてここまで素直になれるのか。
ずっと自分自身にさえ嘘をつき続けてきた俺が、この五畳足らずの狭い横穴で、裸の心をさらけ出している。
この異常な環境にあてられたのか。それとも、彼という人間が持つ、歪で優しい引力がそうさせるのか。
あるいは、その両方か。
俺の無様な告白を、少年は途中で口を挟むこともなく、ただ静かに、焚き火の爆ぜる音と共に聞き届けていた。
「パーティを組もうとしたことがあるんだ。王様に勇者だと認められたばかりのころ。……あの時の、王様の渋い顔を今でも覚えてる」
王様は勇者の素質、能力を見抜く眼を持っているらしい。
直接面会し、その「鑑定」を経て初めて、公に勇者として認められる。
「興奮すると唾をまき散らすことで有名な王様だが、俺の面会の間、その顔は終始綺麗なままだった。スライムキラーなんて三流の能力を見て、心底がっかりしたんだろうな」
「……それで?」
彼は目を伏せ、優しげに焚き火を見つめていた。
まるで、どこか懐かしいものを愛でるような、あるいは自分自身の記憶を重ね合わせるような、穏やかな眼差しで。
「それでも一応は認められてな。支援金を受け取って、張り切って身の丈に合わない装備を買い揃えた。パーティを組むからには、ボロい格好をしてたら誰も見向きもしねぇと思ったんだ。……とっくに貰った金は底をついて、自分の貯金もすっからかん。親も無理して金を出してくれたよ。貧しい家だったからな。息子が勇者に選ばれたってんで、それはもう大喜びだった」
自嘲気味に笑い、焚き火に視線を落とす。
「そんな浮かれた小僧の鼻っ柱がへし折られるのは、すぐだった。パーティを組むためギルドに行って、お姉さんに募集を出してくれって頼んだんだ。自分の出身、能力、希望の構成……全部を用紙に書いてな。あとは掲示板に張り出され、待つだけ。……だが、一日、十日、一月。いつまで経っても、なんの連絡もなかった」
彼は小さく、確かな相槌を打つ。
その顔は、慣れないブラックコーヒーを無理に飲み干したような、苦い表情を浮かべていた。
「おかしいと思ってギルドに向かった。……今思えば、行かなければ良かったよ。薄々、気づいてはいたんだ。ギルドのデカい扉を開けて掲示板を確認したが、俺の募集なんてどこにも張られちゃいなかった。すぐにお姉さんを問い詰めたよ。『どうして俺の募集がないんだ、一月も前に申請したんだぞ!』ってな」
静まり返る横穴に、俺の苦い声だけが響く。
「『確認しますので、勇者名をお伺いしても?』って事務的な言葉に、俺は叫んだ。『スライム狩りだ!』ってな。……その瞬間に、ざわついていたギルドの中が水を打ったように静まり返った。静寂を破ったのは、見知らぬ二人組の嘲笑だ」
『聞いたか? “スライム狩り”だってよ』
『掲示板を見てみろよ。能力のところを、じっくりとな』
「その声には、隠しきれない侮蔑が孕んでいた。俺は掲示板にかじりついたよ。……そして、理解した。デカい掲示板を埋め尽くす募集の数々。何度も張り替えられたであろう針の跡。目立つ位置には、山を割り、海を裂くような、とんでもない能力の持ち主たちの募集がずらりと並んでいた」
わざとらしく大きく息を吐き、天を仰いだ。
「そう。俺が勇者になった時には既に、勇者は飽和していたんだ。世間知らずの田舎者だった俺は、そんなこと微塵も知らなくてな。世界がこんなにも、神様の愛情に溢れかえっているなんて思いもしなかったよ」
おどけて言ってみせたが、彼は笑わなかった。
ただ、痛みを共有するように、唇を噛んでいた。
「……それから、どうしたんですか?」
「ああ。とぼとぼと家に帰って、親に『どうだった?』って優しく聞かれてな。その瞬間、バカな俺は、悔しさやら悲しさやらでぐちゃぐちゃになって、親に当たっちまったんだ。……こんなクソみたいな能力で産みやがって、ってな。他にも、最低な言葉をたくさん浴びせたよ」
焚き火がパチリと爆ぜる。
「それでも、おふくろは黙って全部聞いた後、申し訳なさそうに『ごめんね』って。……そこでようやく俺は、自分がどれだけ酷いことをしたか気がついて、泣きながら謝った。おふくろは俺を抱きしめて、『あんたが元気なら、それでいいんだよ』って言ってくれたよ」
「……素敵なご両親ですね」
「ああ。俺みたいな出来損ないが生まれたのが不思議なくらいだ。二人とも病気で逝っちまったけど、俺の誇りだよ」
その後のことは、もう語るまでもない。
村の近くでスライムを狩り、定期的に振り込まれる雀の涙ほどの支援金を生活費に当て、今日まで細々と、誰にも期待されずに生きてきた。
「王様からしたら、面白くねぇわな。俺みたいな『お荷物』に金を払い続けるなんて。だから、この殺し合いは丁度いい『棚卸し』なんだろうよ」
「だからって、こんな――」
彼が言いかけた、その時だった。
「お兄! 移動するよ! 〇〇〇ーは止めて!」
「……お前は僕が一人になると、常に猿のように励んでると思ってたのか」
狭い入口から、一人の少女が飛び出してきた。
というより、砲弾のように突っ込んできた、という方が正しいか。
艶やかな黒の長髪に、吸い込まれそうなほど意志の強い瞳。どこか少年に似た面影がある。
間違いなく、彼が自慢していた妹――カレンだろう。
「いいかいカレン。お兄ちゃんは人間だ。時と場所、そして状況をしっかりと弁える。こんな時、こんな場所で、そんなことをするわけがないだろ」
「でもムラムラはしてたでしょ? さっきのあたしの感触を思い出して」
彼の懐にするりと潜り込み、胸元に顔を寄せる。
「特等席だったもんね。あたしの熱とか、肌の柔らかさとか……。それに、胸の奥でトクトク鳴ってた心臓の音。お兄の耳に、直接響いてたはずだもん。……本当は、まだ耳の奥に残ってるんじゃない?」
悪戯っぽく、けれどどこか熱を帯びた瞳で見上げられ、彼はたじろぐ。
「してない! ……いや、柔らかかったけど! それは認めるけど!」
微笑ましい――というには少々、いや、かなり不穏な兄妹のやり取りを、俺は呆然と眺めていた。
だが、その安らぎは一瞬で霧散する。
「……ていうか、誰? このおっさん。ここ、あたしとお兄の巣なんだけど」
突如、射殺すような視線が俺を貫いた。
先ほどまで兄に甘えていた少女の瞳から、光が消える。
代わりに宿ったのは、ドロリとした純粋な殺意だ。
「いっ……!」
全身の毛穴から冷たい汗が噴き出し、心臓が握り潰されたような錯覚に陥る。
圧倒的な捕食者の気配。
まるで、巨大な火竜の鼻先に放り出されたような。
もちろん本物の竜など見たことはないが、きっと、死を目前にした時の感覚はこれに近いのだろう。
「妹はめちゃくちゃ強い」。彼が言っていたことは、真実だった。
だが、「性格には少しだけ難がある」というのは、大きな間違いだ。
彼の言っていた「難」という言葉が、どれほど凄まじい身内贔屓によるものだったのかを、俺は身を以て理解した。
第8話お読みいただきありがとうございました。
次回、最強の勇者。
今回のお話は動きが少なく会話が多い、個人的にテンポロスですが……。
これはこれで面白いか、否か。率直な意見をお伺いしたいところです。
活動の、もの凄い励みになりますので、高評価やブックマーク、アドバイスや感想を是非是非よろしくお願いします。




