力って、なんだ?
「――妹たちを、あいつらを隣で『笑顔』にしないと、何の意味もないって言ってんだよ、この馬鹿野郎がぁぁぁーーーッッッ!!」
空間に響き渡る、血を吐くような僕の絶叫。
何の力も宿っていない、ただの鉄の剣。
それが、魔王となった『僕』の胸の中央を――確かに、深々と貫いていた。
「……妹たちに、生かされた命、なんだろ……? だったら……そんな虚しい復讐なんかに、使わないで、くれよ……っ」
僕は崩れ落ちそうになる身体をギリギリで支えながら、弱々しく、だが決して折れない確かな言葉を紡いだ。
「……力、なんて――……」
その言葉を最後に。
刃を『僕』の胸に突き立てたまま、僕は完全に意識を手放し、糸が切れた人形のように、その場へ力尽きて倒れ込んだ。
「力なんて」――そのあとに続く言葉は何だったのか。
僕にとって、『僕』にとって。
『力』とは、一体なんだっただろうか。
僕の手から離れた鉄の剣が、乾いた嫌な音を立てて冷たい地に落ちる。
貫かれた『僕』の胸から。
じわり、じわりと、見えない「何か」が零れ落ちていく。
『僕』にとって、胸に穴が開く程度、致命傷でもなんでもない。
すぐさま再生し、何事もなかったかのように元通りだ。
だが。
なぜか、決して塞がることのない、虚無の風穴が。
確かに、『僕』の胸の中心にポッカリと空き続けていた。
「――――」
誰もいない、静まり返った地下空間。
直ぐにでもこの場所を後にし、地上へ向かわなければならないのに。
『僕』の脚は、どうしても、一歩も前へ動かすことができなかった。
あの不快なスライムはもう消え去った。
世界を滅ぼし、すべての理不尽から妹たちを守るための、絶対的な力も手に入れた。
もう、この薄暗い地下にいる理由など、どこにもないというのに。
「……力とは、可能性だ。……力がなければ、いかなる未来も、選ぶことはできない」
ポツリと、空虚な声が漏れる。
だが、その視線の先にあるのは。
何千回もの絶望と死のループを乗り越え。
無限にも思える力を持つ『魔王』たる自分に対し、ただの鉄の剣で、小さな、本当に小さな可能性を自らの手で紡ぎ。
遂にその刃を、『僕』の胸に突き立ててみせた、未来の自分の姿だった。
「……本当に、強くなったんだな。……僕は」
『僕』はゆっくりと膝を突き。
力尽きて横たわる血まみれの僕の身体を、まるで壊れ物を扱うように、丁寧に、優しく腕の中に抱きかかえた。
そして、静かに闇へと呼びかける。
「――来い、悪魔」
『僕』の言葉に呼応し、世界の闇が揺らぎ、地の底から禍々しい黒い影が這い出てくる。
「――ワレを呼ぶものよ。……汝の望みを言え」
「その前に、一つだけ教えてくれ」
『僕』は、自らの胸に視線を落とし、悪魔へと問う。
「……力って、なんだ?」
「力とは“対価”だ。何かを得るためには、それと同等の価値を持つ何かを、永遠に失わねばならぬ」
――対価。
先ほど、消え去る間際に魔王は言った。
『何を得て、何を失ったのかも分からない愚か者だ』と。
『僕』は、この世界を蹂躙し、王へ復讐するための絶対の力を手に入れた。
だが、それと引き換えに。
『僕』にとって同等の、いや、それ以上に価値のある大切なものを、失ってしまったのではないか。
大切な人たちと過ごす、あの穏やかで騒がしい日常。
妹たちの温かい想い。そして、彼女たちの本当の願い。
この力があれば、王への復讐など容易い。本土の軍勢など、指先一つで一瞬で塵にできる。
だが。
己の人間性すらも完全に滅ぼし尽くし、世界の全てを壊すという『僕』の決意を……。
カレンとギンカは、本当に望むだろうか?
血に塗れ、復讐鬼となった『僕』の姿を見て。
大好きな妹たちは――心の底から、笑ってくれるだろうか?
「さぁ。……汝の望みを言え」
悪魔の促しに。
『僕』は、自らの腕の中で、静かに、安らかに息をする「無垢な自分」を見つめた。
その顔は、すべてをやり遂げたように、どこかスッキリとしていた。
「『僕』の……僕の、望みは――――」
『僕』が紡いだその言葉に、悪魔は一瞬だけ驚いたように目を細めた。
「ほぅ……。その莫大な力があれば、この世界のすべてを、貴様の望むがままに支配できるが。……本当によいのか?」
「ああ。構わない」
『僕』は、憑き物が落ちたような、穏やかな笑みを浮かべた。
「僕にとって、力なんて……ただの“ごみ”だ」
「――よかろう。……賽は投げられた」
悪魔の、深い愉悦に満ちた声が鼓膜を打った、その瞬間。
世界は。
過去の罪も、悲しみも、すべてを洗い流すような。
圧倒的に純白で、どこまでも温かい光の奔流に、完全に包まれていった――……。
「あれ? ……どこだ、ここ?」
目を開けると、そこは白い光だけが溢れる、まるで現実味の無い不思議な空間だった。
痛みも、疲労も、すべてが嘘のように消え去っている。
「ここは、世界と世界の『狭間の空間』だよ。……肉体と精神、夢と現実、破壊と創造の、ね」
声に振り返ると、そこには、いつもの頼りない僕と同じ格好をした、『僕』が立っていた。
「なんで、そんなわけわかんない空間に、僕たちがいるんだ?」
僕は、『僕』に問いかけた。
「君と話を、したかったんだ。……最後に、少しだけね」
最後。
その言葉の意味を考えて、僕はそれ以上追及するのを止めた。
「……ごめん」
『僕』が、少し寂しそうに微笑んだ。
「『僕』は力と復讐に溺れて。君がループの中で見つけ出してくれた、産まれるかもしれない未来の『可能性』にも……妹たちの本当の想いにも、全く目を向けていなかった。……『僕』は、間違っていたよ」
「……僕も、自分のことだからってムキになって、少し言い過ぎた」
僕は頭を掻きながら、気まずく視線を逸らす。
「よく考えてみれば、『僕』が復讐に囚われてループを起こしてくれなかったら……そもそも僕がこうして、違う可能性を掴み取るための機会自体が、生まれなかったわけでさ」
「……はぁ、結局、誰も彼もが、『力』に振り回されていたってことだ」
「本当にな」
『僕』の目からは、あの地下で見た暗く淀んだ感情は完全に消え去っていて。
ただの、僕よりも少しだけ大人びた「優しいお兄ちゃん」の、すっきりとした表情をしていた。
「……カレンとギンカのこと、頼むよ」
「言われるまでもない。僕の、世界一大切な妹たちだからな」
僕は胸を張って答える。が、すぐに肩をすくめた。
「……とは言え。あの二人の重すぎる愛には、たまに代わってほしいって思う時もあるけどな。『僕』は知ってるだろ? 本当の僕は――」
「一人の時間が好き。……ふふっ、代わりが務まる奴なんて、君以外にいないだろ? だって『僕』は、『お兄ちゃん失格』らしいからな」
「誰だよ、そんな酷いこと言った奴は」
二人して、白い光の中で、声を出して穏やかに笑い合う。
これが、僕。
僕の選んだ、もう一つの結末。
「ありがとう。……未来の僕」
「ありがとう。……過去の僕」
僕たちは、互いに手を差し出し。
固く、しっかりと、その手を握り合った。
掌から伝わる、確かな温もりと、託された可能性への想い。
世界は再び、優しく、眩い白い光に包まれた――……。




