賢者タイム
第6話です。
前回、二人組の勇者をカレンが消し炭にしました。
今回は、お兄ちゃんの葛藤からスタートです。
「よっし! 掃除終わり!」
カレンが「ちょっと周囲を探索してくる」と、物騒な笑顔で出かけてから数分。
僕は新しい拠点の掃除をし、寝床を作っていた。
新しい拠点は、切り立った岩壁にポッカリと空いた不格好な横穴だ。
入り口は泥に塗れ、這いつくばってようやく入れるほど狭いが、奥に進むと五畳ほどのこざっぱりした空間が広がっている。
「ふぅ……。ようやく妹成分が体から抜けてきた」
僕は岩壁に背を預け、ズルズルと座り込んだ。
だが、誤解はしないでほしい。僕はカレンと一緒にいるのが嫌なわけではない。
むしろ世界一可愛い妹と肌を密着させていられる時間は、至福以外の何物でもない。
だが、カロリーが高すぎるのだ。
あの過剰なまでの密着度と、「お兄、あたしだけを見て」という重力十倍のプレッシャー。
そして、隙あらば既成事実を作ろうとするあの猛攻。
僕のような平凡なお兄ちゃんの心臓は、常にレッドゾーンを振り切っている。
「兄としての威厳を保つのも、楽じゃないな……」
妹成分が僕に蓄積され続ければ、それはまるで風船のように膨らんでいき、限界を超え、最後には破裂する。
するとどうなるか。きっとその時、僕は兄として正しい判断ができなくなる。
だからこうして、たまに一人になって「素」に戻る時間が必要なのだ。
いわば、心のデトックス。
深呼吸をして、溜まった妹成分を排出し、冷静な思考を取り戻す。
「……威厳、保ててるのか?」
脳裏をよぎるのは、ついさっきの出来事。
崖を垂直に駆け上がるカレンの腕の中で、完全な「お姫様抱っこ」をキメられていた情けない自分の姿だ。
本来なら、逆であるべきだ。
か細い妹を抱き上げ、「大丈夫、僕に任せろ」と頼もしく微笑むのが理想の兄貴像だろう。
なのに現実は、重力への反逆を繰り返す妹の胸に必死にしがみつき、あろうことか「大人しくしてます」などと白旗を振ってしまった。
自分の不甲斐なさにため息をつくが、意識はどうしてもその時の「感覚」へと引きずられていく。
「柔らかくて、温かかったな」
戦場を紅蓮に染め、岩を噛み砕くあの凄まじい「化け物」の姿からは想像もつかない、少女としての柔和なぬくもり。
密着した胸元から伝わる、トク、トク、という一定のリズム。
鼻腔をくくすぐった、焦げた火薬の匂いをかき消すような、カレンだけの甘い香り。
お兄ちゃんとして失格だ、と理性が警鐘を鳴らす一方で、あの心地よい抱擁の中にずっと浸っていたいと思ってしまった自分も、確かにそこにいた。
僕はぶんぶんと首を振り、火照りそうになる顔を両手で叩いた。
あぶない。あぶないぞ、僕。
このままでは妹の「愛」という名の底なし沼に、魂の半分を奪われてしまう。
「さて、と。サボってばかりもいられない」
五分ほどの「賢者タイム」を終え、僕は重い腰を上げた。
カレンは戦闘能力はズバ抜けているが、生活能力(主に危機管理以外の細かな配慮)は壊滅的だ。
食料になりそうな木の実や、安全な水場を見つけておくのは僕の役目だろう。
僕は洞穴を出て、慎重に周囲を見回した。
……静かすぎる。
「魔王が支配する絶海の孤島、だよな?」
本来なら、一歩歩けばゴブリンに襲われ、空を見上げればワイバーンに怯えるような場所のはずだ。
なのに、ここに来てから魔物の影を一度も見ていない。
聞こえるのは風の音と鳥の鳴き声、たまに遠くで響く爆音(カレンの仕業だろうか)だけだ。
「……魔王の奴、自分の部下が勇者に狩られて減るのを嫌がって、どっかへ避難でもさせたのか?」
だとしたら、魔王は案外、部下を思いやれる良い上司なのか?
いや、そうとも言いきれないか。強制的な赴任や異動の可能性もある。
巣を作ったばかり、もしくは、この地に強い愛着があった場合、一転してブラックな上司だ。でも、まぁ。
「流石にいないか。居を構えた途端に異動命令を下す上司なんて」
そんなくだらない妄想を吐き捨てようとした、その時だった。
視界の端、崩れかけた瓦礫の影に、不自然な「人影」を捉えた。
反射的に心臓が跳ね上がり、僕はとっさに岩の隙間へと身を潜めた。
カレンがいない今、鉢合わせれば即座に「死」という可能性すらある。
「最悪のケース、ではあるけど……」
僕は音を立てないよう慎重に、そっとその影を盗み見た。
そこにいたのは、血に飢えた勇者でも、魔王の刺客でもなかった。
一人の男だ。僕よりも一回り以上は年上に見える男が、岩壁を前に立ち尽くしていた。
男は、今にも皮膚が裂けんばかりの力で、その拳を固く握りしめている。
そして、その背中を、凍てつく風に晒された子犬のように、激しく、痛々しいほどに震わせていた。
その震えは、強敵を前にした武者震いなどではない。
ましてや、勝利を確信した興奮でもない。
もっと根源的な、拭いようのない「絶望」に叩き伏せられた人間の、無様なまでの拒絶反応だった。
「さて、どうするべきか……」
どうする? 決まっている。僕は“勇者”だ。
例え弱く、例え情けなくとも、勇者なのだ。困っているであろう人を見捨てるなんてありえない。
だが、今はなにもかもが特殊な状況に置かれている。
勇者同士が殺し合い、相手は間違いなく「普通の人」ではない。武器を持ち、特殊な力を使い、戦闘に慣れている。
選択肢は二つ。
一つ、このまま気配を殺して後ずさり、カレンと合流するまで存在を忘れる。
『触らぬ勇者に祟りなし』作戦だ。これが最も賢い選択。
二つ、思い切って声をかける。
悠長にしていたら、他の誰かが来る可能性があるからだ。……死ぬかもしれない愚かな選択。
「……だめだな。やっぱりお兄ちゃんは賢くなれない」
胸の奥から滲み出るような、不思議な確信だった。
またカレンに怒られる。「弱っちぃんだから!」と、これまで何度も言われてきた。
でも、目の前で、誰かが震えている。
絶望して、泣きそうな顔をして、孤独に耐えている。
それを見捨てて逃げる?
そんな真似をすれば、取り返しのつかないなにかを永遠に失ってしまう。
「……よし。行こう。いざとなれば必殺技があるじゃないか」
その名も――『カレン・召喚・スクリーム(本気の叫び)』。
全力で妹の名前を呼ぶ。喉がちぎれるほどの声で助けを求める。
情けないが、生存戦略としてはこれ以上ないほど盤石だ。
「驚かせないよう慎重に……」
僕は深呼吸を一つ。そして一歩、岩陰から踏み出した。
「あのー、大丈夫ですか……?」
わざとらしく、カツン、と靴で音を立て、なるべく敵意がないことを示すため、善良な村人Bのようなトーンを心掛ける。
(カレン。これで死んだら、『最後まで勇敢に戦って、誇りに満ちた死を遂げた』ってことにしてくれよ)
第6話お読みいただきありがとうございました。
次回、最弱おじさんとの出会いです。
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