「僕は」絶望を知らない?
『いやー。危ないところでした。もう数ミリでも深く切られていたら、流石のボクでも再生できませんでしたよ』
暗闇の中、僕の斜め前をふよふよと浮遊しながら、魔王がへらへらと軽薄な声を上げる。
『通常なら、何分割されようが大丈夫なんですが……勇者様の圧倒的な絶技の前では、ボクの力など鼻くそ同然! いやはや、天晴です!』
「……気持ち悪いから、普通に話せ」
僕は魔王に案内され、島にある秘密の通路――地下深くへと続く冷たい階段を進んでいた。
ここは、地上とは完全に空気が違う。
陽の光を一切拒絶した冷たい闇と、肌にへばりつくような湿気。
カレンとギンカには、万が一の事態に備えて、地上で待機してもらっている。
『しかし、まさかあのおじさんの「スライムキラー」が、この魔王たるボクにまで適用されるとは。……ちょっと理不尽だと思いません? だってボク、これでも世界を恐怖で支配する「魔王」なんですよ?』
「お前がどれだけ偉かろうが、世界の覇者だろうが、根っこがスライムである以上は同じだろ。……それより、あの能力。対スライムにおいて、あそこまで凶悪で理不尽な力を発揮するものだったんだな」
『全くの想定外ですよ。精々、自分よりちょっと強いスライムに勝てる程度の、クソザコ能力だと思っていました。……あのおじさん、どれだけ血眼になってスライムばかりを狩り、力を育てたんだか。両親を粘液まみれにでもされたんですかねぇ?』
「どうだ? 散々、雑魚だのつまらんだのと見下していたノーマンさんに負けた気分は」
『……悔しいですが、仕方ありません。完全に慢心していました。まさかこのボクが、童話の一ページのようなベタな負け方をしてしまうなんて』
「……」
僕は、歩きながらジロリと横目で魔王を睨んだ。
「お前、さっきから妙に余裕だな。負けたっていうのに、まだ何か奥の手でも隠してるのか?」
あまりに軽薄で、命の危機を感じていない魔王の態度に、僕は剣の柄を握る手にわずかに力を込めた。
『アッハッハ! むしろ逆ですよ。なーーんにもないから、余裕なんですよ。ボクがスライムである限り、あなたにはどうしようもないんですから』
「この先に、世界を滅ぼすような魔物が待っている、とか」
『まさか。そんな古典的な舞台装置は用意していませんよ。……あ、ほら。もうすぐ最深部です。暗いですから、足元にお気をつけて』
魔王の声と同時に。
長かった暗い産道を抜けた先で、僕の視界が急に開けた。
「……なんだ、これ」
そこに広がっていたのは、地上の山頂が丸ごとすっぽりと収まってしまうのではないかと思えるほどの、とんでもなく巨大な地下大空洞だった。
空間の岩肌の壁一面には、ぼんやりと青白い不気味な燐光が宿っている。
そして――その広大な地下世界の、ど真ん中の中心に。
『それ』は、圧倒的な存在感で鎮座していた。
息を、呑む。
空洞の中央に浮かんでいたのは、見上げるほどの圧倒的な巨躯を誇る、ドロドロとした赤黒い肉壁で構成された巨大な『繭』だった。
ドクン、ドクン、と。
静まり返った地下世界に、大地を内側から震わせるような、おぞましく重苦しい心臓の鼓動が、等間隔で響き渡っている。
『見ての通り、巨大な繭ですよ。この島で、新しい魔王が産まれるんです』
「やっぱり、世界を滅ぼす魔物がいるじゃないか! どこが『ありませんよ』だ、この嘘つき!」
『いえいえ、嘘じゃありません。繭は繭です。……でも、皆さんのお陰で、とーーーっても強くて立派な魔王が誕生します』
「僕たちの……お陰?」
『言葉通りの意味ですよ。この島で殺し合い、絶望の中で無残に散っていった勇者たちの魂はね……すべて、あの繭を育てるための『最高の栄養』として集まる仕組みになっているんですよ』
その言葉に、胃の中のものがせり上がってくるような悪寒を覚えた。
殺し合った勇者たちが、餌になっている?
「……どうして、僕をここに連れて来た」
地を這うような、怒りを抑え込んだ僕の問いに。
浮遊する黒い球体は、パックリと三日月形の口を開けてみせた。
『はい? あなたが案内しろと仰ったからですが――』
「とぼけるなよ」
僕は一瞬で距離を詰め、剣の切っ先を、その不快な球体へと容赦なく突きつけた。
「次、ふざけた態度を取ったら、今度こそ殺す。……絶対にだ」
『……アッハッハ。いつの間にやら、随分と賢く、そして強くなりましたねぇ、お兄さん』
魔王は愉快そうに中空で一回転してみせるが、僕は睨みつける目を一ミリも逸らさない。
「こんなおぞましいものを見せられれば、産まれる前に潰すに決まってるだろ。可笑しいじゃないか。お前にとってこの繭は、自分の命よりも大事な存在なんじゃないのか? それなのに、どうぞ潰してくださいと言わんばかりに僕をここまで手引きして」
『命より大事、と問われれば正直なところ微妙ですが……ええ。潰してもらって一向に構いませんよ。ボクがお腹を痛めて産んだわけでもありませんからねぇ』
「…………」
『ですが、この繭を潰す前に、少しばかりお話ししたいことがありましてね。……勿論、あなたや地上でお待ちの可愛い妹さんたちにとっても、絶対に悪い話ではありません。もしボクの言葉に不信感を感じたら、その瞬間にボクを殺し、繭を叩き潰せばいい。――あなたには、何のリスクもないでしょう?』
ドクン、ドクン、と。
巨大な繭の脈動が、暗い空間を不気味に震わせる。
僕は黙って、魔王に剣を構え続けた。
『ところでお兄さん。この繭には、これまでいくつの「勇者の魂」が集められたと思いますか?』
「……この島に集められたのは、全員で百人だ。そこから、ノーマンさんのように運良く島を抜けた者もいる。……だとしたら、九十個くらいか?」
ノーマンさん、レドさん、ゼナさん、そしてロデオ。
僕がこの地獄で見届けてきた、誇り高き強者たちの顔が、次々と脳裏を過る。
『ハズレです。正解は――十八万六千五百二十九個、ですよ』
「――――はぁぁ??」
僕の口から、間抜けな声が漏れた。
十八万? 百人しかいない島で?
『この島での惨劇の殺し合いはね、何度も何度も繰り返されているんですよ。……とある人の、とある思惑によってね』
「そんなはず……あるわけないだろ!」
『では問いますが。あなたの、この島での記憶の中で、一番古いものはなんですか?』
「……そんなの、カレンの手を握って、氷の嵐から必死に逃げていた時の記憶だ。それがなんだって言うんだよ」
『では、それ以前の、島に到着した時や、最初の日の記憶は?』
「それは――」
『なにも思い出せない。記憶にない。……ちがいますか?』
心臓が、嫌な音を立てて跳ねた。
まるで、遥か遠い彼方にあるような感覚。
カレンとの逃走劇ははっきりと思い出せるのに、それ以前の記憶は薄く、霧がかかったようにぼやけていて、どうしても辿り着けない。
「……だからなんだよ。たまたま、混乱して忘れただけだ」
『いいえ。そこが、あなたの「リスタート地点」だからですよ。それ以前の島での記憶は、一番最初の一回きりのみ。……千回以上も周回を重ねたんです。そして、あなただけが、その“継承”の力により、薄っすらと記憶を重ねていった。初回の記憶を思い出せないのも、無理はありません』
否定したかった。
デタラメだと言い返したかった。だが、僕の喉からは声が出ない。
いくつかの、不思議な予感と直感。
――ノーマンさんに声を掛けなければならない。
――レドさんを救わなければならない。
――カレンとギンカを、絶対に死なせてはいけない。
自分が勇者の使命だと思い込んでいたそれらは……このゲームをクリアする為の、僕自身の過去の膨大な経験から成る『デジャブ』だったのだ。
「……目的はなんだ。そいつは、一体何のためにそんな頭のおかしい真似をしてるんだよ」
『その方の目的はただ一つ。――「この楽園の島で、史上最強の魔王を誕生させること」です。その最上の結果を得るために、彼は無限にも思えるやり直しを、この島で行いました』
「……誰だ」
『アッハッハ! もう、本当は察しが付いているんじゃないですか? この島で、そんな世界の理を曲げるような無茶をやらかせる異常な人物なんて、一人しかいませんよ』
「誰だ!!」
『あなたですよ、お兄さん。――“継承ノ勇者”リン。……あなたが自らの力を使って、何度も、何度も、何度も何度も何度も、この世界をやり直しているんです。ボクから見れば、この島で一番頭が狂っているのは、他でもないあなたですよ』
「あり得ないっ!! 僕にはそんなことできないし、より強い魔王を誕生させるなんて、そんなことをする理由がないだろ!!」
『それは「今の」あなた目線の話ですよ。絶望を知らない、無垢なあなたのね』
「だったらお前は……! お前がそのループをしていない理由はなんだ!」
『決まっているじゃないですか。利害の一致。つまり協力関係にあるからですよ。あなたが島を巻き戻すたびに、地上で死んだ勇者たちの魂だけは、リセットされることなくこの繭へと着実に降り積もっていく。……より強い魔王を誕生させる、これ以上なく効率的な素晴らしいシステムです』
聞けば聞くほどに、頭がおかしくなりそうだった。
「僕の」思惑により殺し合いをループさせている?
「僕が」より強い魔王を産み出そうとしている?
「僕は」絶望を知らない?
「……もういい。話は終わりだ」
僕は震える腕を強引に固定し、手にした剣を、脈動する巨大な繭へとまっすぐに突きつけた。
「今ここで、この繭を破壊して、お前も殺す。……お前と繭だけがループの影響を受けないってことは、この地獄の元凶は……その気味の悪い繭なんだろ」
『まぁまぁ、もう少しボクの話を――』
「うるさい!!」
『ああー! ちょっと待って!』
僕の放った渾身一振りの剣閃は。
一切の躊躇なく、魔王の制止を振り切り、肉厚で巨大な繭を、縦に真っ二つに切り裂いた。




