人間様の強さには敵いませんね。
「……あたしたちが、誰に命令されたわけでもなく、自発的に殺し合いを始めたってこと?」
カレンの絞り出すような声に、空中の真っ黒な球体は、まるで大笑いするかのようにボヨンと大きく弾んだ。
『その通りです! ボクはね、この島に閉鎖空間を作り出し、ちょっとした状況を用意しただけ。……そうしたら、あなたたち勇者は、勝手に殺し合いを始めたんですよ。……ねぇ、そうですよね? ギンカさん』
「……なんですの? 私がこの惨劇の原因だとでも言いたげですわね」
ギンカが、背筋を凍らせるような冷たい視線を魔王へと向ける。
だが、魔王は全く意に介さず、ケラケラと嘲笑うような声を響かせた。
『いえいえ! ただね、あなたはかなり早い段階で、積極的に他の勇者を殺して回っていたなぁ、と思っただけですよ』
「それは……! 私に色目を使ってきた、汚らわしい有象無象のクズどもを――」
『本当に? ……お腹空いたなー、お水が欲しいなーと思った時。誇り高き勇者たるものならば、色香で惑わし、殺して奪うのではなく……まずは、平和的な『話し合い』から入るべきだったのでは?』
「っ……!」
ギンカが言葉に詰まった。
――その瞬間、僕の脳裏に、思い当たる節が鋭く過った。
僕たちと合流する前のギンカ。
彼女は、この世界で酷い差別を受ける『獣人』であり、かつ『女性一人』という、この弱肉強食のサバイバルにおいて最悪の状況に置かれていたはずだった。
それなのに、僕と初めて出会った時の彼女は、飢えている様子も、水や物資に困っている様子も全くなかった。
それどころか、誰よりも多くの情報と優位を保ち、余裕すら見せて僕たちの前に現れたのだ。
『「欲しいものは、自分の力で奪い取る」。獣人らしい、実に素晴らしい信条ですがね。……そうした、あなたたち勇者個々の勝手な行いこそが、周囲の恐怖と猜疑心を煽り、この凄惨な惨状を招いた一番の原因だったのかもしれませんねぇ』
「お兄様……私は、その……」
ギンカの美しい顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
あの冷徹な彼女の瞳が、恐怖と罪悪感に揺れている。
僕はすかさず、彼女の冷え切った、震える白い手を力強く握り締めた。
「大丈夫だよ、ギンカ。……悪いのは魔王だ。この極限状態の、完全な閉鎖空間が判断を狂わせたんだから」
『「完全な閉鎖空間」。……ププッ、それも間違いですよ、お兄さん。あなたのような弱い勇者はそう思い込んでも仕方ありませんが……正直、この島の結界なんて、大したものではありませんから』
「……そう、なのか? 僕はてっきり、誰も出られない鉄壁の檻だと……」
『ええ。これはただ、時間に比例して激しさを増すだけの氷の嵐です。今の段階では流石に手段は限られますが……ゲームの早い段階なら、抜け出すこともそう難しいことではありませんでした。実際に、何人かの利口な勇者は、早々にこの島から抜け出していますよ。……そしてあなたも、あのおじさんを一人、逃がしていますよね?』
「それは……そうかもしれないけど。でも、大半の弱者にとっては同じことだろ。お前は、勇者なら協力して脱出を模索すべきだったとでも言いたいのか」
『いいえ、違います。ボクが言いたいのはですね、脱出できる方法に、とっくの昔に気が付きながら。自らの意志で、敢えて「出なかった」者がいる、ということですよ。それも、あなたがこの島で会ったことがある、身近な者の中にもね』
「…………」
嫌な予感がした。
聞きたくない。これ以上、魔王の言葉を聞いてはいけないと、僕の本能が警鐘を鳴らす。
だが、魔王は僕の制止を待たず、真実の開示を続けた。
『翆玉ノ勇者。彼は、湖から海に流れる安全な水路があると知りながら、使用しませんでした。理由はご存知ですね?』
『鉄棺ノ勇者。彼の盾には、嵐避けの強力なおまじないが掛かっていました。自身の無敵っぷりと合わせれば、一人くらいなら守りながら確実に脱出できました。本人も自覚していましたが……実行せず。島を出ても、彼女の生き地獄は終わらないと知っていたからです』
『嵐ノ勇者。滅茶苦茶な性能を持つ彼は、自らの投げた槍に跳び乗ることで、長距離飛行による空からの脱出が可能でした。……が、実行せず。理由は、ただ強者と戦いたいから』
『流星ノ勇者。いわずもがな、飛んでいつでも脱出が可能でしたが、せず。理由は、彼は渇き、空虚だったからです。誰も見えない頂きに飽いていた。この殺し合いの果て、最後に残った者なら自身と対等な存在かもしれないと、ずっと待っていたんですよ。……彼の寝顔を見るに、その判断はどうやら正しかったようですね』
魔王はそこで、三日月形の不気味な口をさらに大きく、裂けるほどに歪めて。
僕の隣に立ち尽くす、一人の少女をじっと見つめた。
『そして。……「紅蓮ノ勇者」。妹さん。あなただ』
「……いい加減にしろよ。嘘で惑わして、僕たちを仲間割れさせようとしてるんだろ。僕とカレンは、出られる方法を必死に模索して――」
ふと。
かつて、静かな湖でカレンが言った言葉が、脳裏に鮮明に蘇った。
――『お兄と一緒なら、どこだって楽園だよ』
『強力な炎使いであるあなたにとって、氷の檻を破り、脱出することは容易だったはずだ。今は嵐が強すぎて流石に難しいですが、早い段階なら確実に可能であり、そのことに気が付いていた。……お兄さんを守りながらでもね』
「……カレン? 本当、なのか……? なんで……なんで、言ってくれなかったんだよ」
僕は、恐る恐る、隣でうつむく妹へと視線を向けた。
カレンはうつむき、小さく、小さく肩を震わせていた。
「……だって、楽しかったんだもん」
「え……?」
「ずっと、お兄と一緒にいられて。いっぱい頼りにされて、あたしだけを見てくれて……っ。誰も、あたしたちの邪魔をしない。……あたしにとって、この場所が地獄かどうかなんて、どうでもよかったの!」
カレンが、顔を上げた。
その瞳には、大粒の涙が浮かび、痛々しいほどに歪んだ愛情が溢れ出していた。
「お兄と二人きりでいられるなら、島でも、地獄でも、どこでもよかったんだもん……! だから……だからあたし……!」
その、狂おしいほどに純粋で、そして絶望的に歪んだ愛の告白。
僕は、一瞬だけ呆然として――。
すぐに、情けないほど優しい笑みを浮かべて、涙を流すカレンの身体を、そっと、強く胸の内に抱きしめた。
「……いいよ、カレン」
「え……?」
「どんな理由があろうと。お兄ちゃんは何があっても、絶対に、お前たちの味方だから。……僕が、全部守るから」
「……お兄……っ! ごめんなさい、ごめん、なさい……っ!」
僕の胸に顔を埋め、わあわあと子供のように泣きじゃくるカレン。
僕はその小さな背中を、何度も、何度も優しく撫でた。
ギンカも、カレンの背中にそっと手を添え、僕の肩に顔をうずめる。
『妹さんたちも、「強い勇者ほど頭がおかしい」というこの世界のジンクスに、しっかりと当てはまっていたわけですねぇ』
「そんなこと、最初からわかってる。……そもそも、お前が地下で何かこそこそやってるから、全部悪いんだろ!」
『やれやれ、今度はそもそも論ですか。人間様の強さには敵いませんね』
「お前は、ここで何を企んでいるんだ」
『ボクは魔王ですよ? 当然、あなたたち人間から見ればロクでもないことです』
「……今はまだ、言えないのか?」
『全てのドラマを見終わったら、教えてあげますよ。大したことではありませんが、生き残った一人への景品の代わりくらいにはなるでしょう』
「……僕たちが、本当に殺し合うとでも思ってるのか?」
『ええ勿論です。薄汚く、小賢しく、臆病で自分勝手。それが人間の本質ですからね。極限状態に置かれれば、必ず最後は裏切り合う。ボクはそう確信していますよ』
「そうか」
僕は、泣き止んだカレンを背中に庇い。
ギンカの震える手をしっかりと引き寄せて。
夜空に浮かぶ魔王の球体を、まっすぐに、鋭く睨みつけた。
「だったら……殺し合いなんかより、もっと面白いドラマがあるんだが、お前、興味ないか?」
『ほうほう、なんですかそれは? ボクの想像を超えるものなら、興味ありますね』
僕は、手にした炎と氷の双剣を、再び強く握り直す。
「最弱の勇者が、最強の勇者を倒し。……そして、最強無敵の魔王を倒して、大切な妹たちと一緒に、無事に家に帰る。……これ以上ないくらい、愉快痛快な冒険譚だろ」




