お星さまに願わなくてもいいのか?
「……流星の勇者。お前に聞きたいことがある」
双剣の直撃を受け、地に落ちた最強の男。
端正な衣服はボロボロに引き裂かれ、膝を突き、その身には確かなダメージが刻まれている。
神のような無敵の威厳は、もうそこにはない。
――だが。
星の輝きは、未だ失われてはいなかった。
ゆっくりと顔を上げた蒼い瞳が、月明かりを反射して冷たく光る。
「……答えよう」
掠れた、けれど芯のある声。
僕は、乾いた唇を舌で舐め、ずっと胸の奥につかえていた疑問をぶつけた。
「どうしてお前は……その万能の力で、『魔王を倒す』ことを願わなかったんだ? 言っていたよな。心から願えば、倒せるって」
願い事を三つ叶える力。
一つ目で鳥のような自由を、二つ目で勇者の強さを手に入れた。
ならば、残る最後の一つで、この世界を支配する魔王の消滅を願えばよかったはずだ。
僕の問いに対し、流星ノ勇者は表情を一つとして変えなかった。
ただ、酷く冷めた、まるで深海のような蒼い瞳で、僕の心の奥底をじっと覗き込むように、逆に問いかけてきた。
「……其方なら、『心から』魔王を倒したいと、願えるか?」
「……は? まぁ、それは……」
即答できなかった。
言葉が、喉の奥でつっかえる。
魔王を倒したい。それは間違いない。
でも、それは「世界を救いたい」からじゃない。僕の大切な妹たちを、カレンとギンカを守り、無事に元の場所へ帰りたいからだ。
僕の僅かな躊躇いを見透かしたように、淡々と語り始めた。
「余は、この島で出会った勇者たち、その全てに同じことを問いかけた。もし願いが叶うなら、何を望むかと。だが、誰一人として『魔王を倒したい』と願う者は、いなかった」
流星の言葉が、ひんやりとした夜の静寂に重く、重く沈殿していく。
「『一生遊んで暮らせる金持ちになりたい』。
『絶世の美女を束ねてハーレムを作りたい』。
『難病に苦しむ母の病気を治したい』。
……願いの大小や善悪に違いはあれど、人間は皆、結局は己の都合を願うばかりだ」
ゆっくりと立ち上がり、乱れた衣服を払った。
「自分がたった一つだけ願いを叶えられるという状況下で、自らの欲望を捨ててまで魔王を倒す――言い換えれば、見ず知らずの『他人の平穏』を心から願える者など、この世には存在しないのだ。それは、其方らとて同じことだろう?」
「で、でも……お前は二つの願いをすでに叶えていて、一つ余ってる状態だったんだろ? だったら、最後くらい世界のために――」
言い返そうとした僕の声は、自覚できるほどに窄んでいった。
反論できない。
彼の言うことが、人間の本質として、残酷なまでに正しいと分かってしまったからだ。
僕だって、もし一つだけ願いが叶うなら世界平和なんて、二の次だ。
「魔王に両親や故郷でも焼き払われていれば、余も復讐のためにそう願ったかもしれないな」
自嘲気味に、フッと鼻を鳴らした。
「だが生憎、余の両親は既に他界していて、魔王という存在に特別な恨みも憎しみもない。……かつて、己の力を試すために挑み、全く敵わなかったが、無惨に殺されかけたわけでも、悔しい敗北を喫したわけでもないのだ」
その言葉に、背筋がゾクリと冷たくなった。
最強と呼ばれるこの男が、魔王に挑んだ時の記憶。
「余の全力は、大人と赤子のように、全く相手にされなかった」
彼の声には、怒りも悲しみもなく、ただ圧倒的な虚無だけがあった。
万能の力を手に入れた彼でさえ、魔王の前では路傍の石ころと同義だった。
「その時、余は思ったのだ。……魔王を倒したいと心から願う者がいるのなら、その者が倒せばいい。余は別に、この世界がどうなろうと困らんしな」
何にも執着しない。誰のためにも戦わない。
強すぎるが故に心を失い、ただ夜空を漂うだけの、孤独な星。
それが、流星ノ勇者の正体だった。
「今の状況ならどうだ?」
僕は足を踏み出し、彼を真っ直ぐに睨みつけた。
「お前が今ここで、魔王を倒したいと心から願えば、ここにいる全員生きて帰れるかもしれないだろ――」
「なら、其方が願えばいいではないか」
冷酷な声が、僕の言葉を切り捨てた。
「背後にいるその二人を殺し、其方が最後の一人になれば、余の願いを使う権利をくれてやる。それで家に帰るなり、魔王を消し去るなり、好きにするがいい」
ゾクッ、と。
輝く蒼い瞳が、まっすぐに僕の心臓を射抜く。
肌が粟立ち、首筋を冷たい汗が伝い落ちた。
だが。
その冷え切った瞳の奥底に、僕は見逃さなかった。
先ほどまでには決して存在しなかった、微かな――だが確実に燃え上がりつつある『闘志の炎』を。
僕は、両手に握った炎と氷の剣を、強く、強く握り直した。
「こんの、分からず屋が! それじゃあ意味がないって言ってるだろ!」
「ならば、自力で叶えることだ。余を倒し、魔王を倒し、其方の力で全ての願いを叶えて見せろ」
「……悪いが、そうさせてもらう」
僕は深く息を吸い込み、肺を満たした。
迷いはない。僕の覚悟は、とっくに決まっている。
「僕は、どこまでも欲深いんだ。……カレンも、ギンカも、家への帰還も。全部、この手でもぎ取ってみせる!」
僕の宣言が山頂に響き渡った、その瞬間。
ピキリ――と。
周囲の大気が、ガラスにヒビが入るような音を立てて激しく震えた。
「――『極星剣』」
静かな、だが世界を圧するような低い呟き。
中空に顕現したのは、先ほどのような無数の輝剣ではない。
たった一振りの、燃えるように煌めく白銀の長剣だった。
柄も、鍔も、刃も、すべてが凝縮された星の光でできているかのような、絶対的な美しさと熱量を放つ剣。
流星の勇者はゆっくりと手を伸ばし。
この島に来て初めて、その剣の柄を自らの手で『直接』、確かに握り締めた。
そして、その切っ先を、僕に向けて真っ直ぐに構える。
重力を操り空を舞う、触れることすら許されない『神』としてではなく。
自らの足で大地を踏み締め、剣を交える一人の『剣士』として。
その姿は、先ほどまでの浮遊状態よりも、何倍も、何十倍も恐ろしく、巨大に見えた。
「お星さまに願わなくてもいいのか? 『僕に勝てますように』って」
強がって見せた僕の挑発に。
少しだけ目を丸くして。
次の瞬間。
「フッ……ハハハハハハハハッ!!」
腹の底から湧き上がるような、歓喜に満ちた哄笑を夜空に響かせた。
「余のセリフだ、“継承ノ勇者”よ! 余は史上最強の勇者、“流星ノ勇者”ロデオなるぞ!!」
願いを二つ叶え、絶対的な最強の座に就いて以来。
心を失い、ただ退屈に、虚無のままに浮遊していた最強の勇者が。
今夜、初めて、生身の人間として笑った。




