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行きなさいッッ!!!

「……ハァッ、……ハァッ、……なんで……ッ!」


 肺が、内側からドロドロに焼け付くような熱を上げている。

 限界をとうに超えて酷使された心臓が、耳の奥で、鼓膜を激しく叩き割らんばかりの爆音を鳴らし続けていた。


 僕は、月明かりだけが冷たく照らす険しい山道を、ただひたすらに、死に物狂いで駆け上がっていた。

 足元の突き出た岩に何度もつまづき、鋭い木の枝が頬を切り裂き、血が滲む。

 それでも、走る足を止めることなんて、一秒たりともできなかった。


 あそこにいるはずの、三人の元へ。


「置いて、行ったんだ。……僕を……!」


 目が覚めた時二人の姿はなかった。

 残されていたのは、優しく僕を包んでいたカレンの上着と、ギンカが残した防寒の淡い結界の残滓だけ。


 行ったところで、僕に何かができるわけではない。

 戦力外のお荷物であることは、自分自身が一番よく分かっている。

 僕を置いて、二人だけで最終決戦へと向かった彼女たちの判断は、戦術としてはあまりにも合理的で、正しかった。


「……無事でいてくれよ。頼むから……っ!」


 それでも。

 そんな理屈や合理性をすべてゴミ箱に投げ捨てるほどの、狂おしい焦燥感が、僕の縮こまりそうな身体を前へと突き動かしていた。


 見上げた夜空には不気味なほどに美しく、満天の星空が広がっている。

 雲の陰りはどこにもない。

 


「落ちろって言ってんのよ、この石ころォッ!!」


 空間が、一瞬にして真っ赤に沸騰した。


 カレンの怒号と共に放たれたのは、樹木を一瞬で炭化させるほどの、火竜の超高熱の火炎。

 赤黒い炎の渦が、天を突く山頂の夜闇を強引に切り裂く。


 だが。

 夜空に浮くその男――流星ノ勇者は、迫る劫火を前にしても、眉一つ動かさなかった。

 ただ退屈そうに細い指先を一閃させる。


「――『恒星剣(こうせいけん)』」


 中空に、無数の青白い輝剣が展開された。

 それらが、夜空の星々の瞬きと同調するように、一斉に冷たい光を放つ。


 ただ、それだけの事象。

 それだけで、空間そのものを焼き尽くすはずだったカレンの誇る絶対の大火炎が――まるで、最初からこの世界に存在していなかったかのように、一瞬にして煙となって霧散させられた。


「なっ……!?」


「穿たれなさいッ!」


 間髪入れず、地を這うような低い体勢から、ギンカが鋭く叫んだ。


 数十、数百にも及ぶ極大の氷の槍。

 それらが、絶対零度の冷気を引きずりながら、流星ノ勇者を目掛けて、一斉殺到する。


 しかし。


「――『彗星剣(すいせいけん)』」


 流星ノ勇者の背後に、ひときわ巨大な振りの輝剣が顕現した。


 男の意思に従い、その巨大な剣が空間を大きく一閃する。

 キィィィィィィンという鼓膜を引き裂くような甲高い風切り音と共に、殺到していた氷の礫が、ことごとく、一瞬の抵抗も許されず粉々に粉砕されていく。

 さらにその巨大な質量の刃は、勢いを落とすことなく、地上のギンカの細い身体を縦に両断せんと迫った。


「くっ……!」


 本能的な危機察知。


 直後、彼女がいた地面が、衝撃波だけで激しく爆ぜ、巨大な亀裂が走り抜ける。

 まともに喰らっていなくても、余波の風圧だけでギンカの姿勢が大きく崩れた。

 銀色の髪が、激しく乱れる。


「……本当に、面倒なこと、この上ありませんわね……ッ」


 ギンカは和剣の柄を握り直し、膝を震わせながらどうにか立ち上がった。

 口元から漏れ出る息が、周囲の寒気によって白く凍りつく。


「まずは、あの空に浮いてるすましたツラを、力ずくで地上へ叩き落とさないと……っ」


 カレンが剣を構え直し、じりじりと足元の岩盤を焦がしながら告げた。


「――『新生剣(しんせいけん)』」


 上空の男が、無感情にそう呟いた、まさにその瞬間だった。


 男の掌の上に顕現したのは、わずか数センチほどの、小さな輝剣。

 だが、その小さな刃の奥に内包されているのは、まるで太陽の核をそのまま切り取ってきたかのような、目を焼くほどの圧倒的な高密度の熱量だった。


 空間が、その熱によって歪に歪む。

 それがゆっくりと放たれた。


「こんな小細工……力ずくで、叩き斬るッ!」


 カレンが、剣に迎え撃とうとする。

 だが、獣の勘があれに触れてはならないと警鐘を鳴らした。


「っ! この、大バカトカゲ! 避けなさいッ!!」


 ギンカはカレンの身体を横から強引に抱きかかえ、そのまま全力で崖の斜面へと跳ねた。


 直後。

 二人が先ほどまでいた空間が、凄まじい閃光と共に、大爆発を引き起こした。


 ドガァァァァァァァァァォンッッッッ!!!!!


 天を衝くような光の柱が聳え立ち、周囲の岩石が溶けていく。

 もし、あのままカレンが正面から受けていれば、身体を蒸発させられていただろう。


 爆風に煽られながら、二人は地面を激しく転がった。


「……いた、たた……。ちょっと、何すんの――」


「落ち着きなさい。……熱くなったら、その時点で私たちの負けですわよ、バカトカゲ」


 ギンカの、どこか痛みを堪えるような掠れた声。


 カレンはハッとして、自分を庇うようにして重なっているギンカの身体を見つめた。

 そして、その瞳が驚愕に引き攣る。


 カレンを爆風から庇ったギンカの右脚は、皮膚がめくれ上がるほどの深い熱傷の傷を負っていた。


「あんた……、あたしを、庇って……っ」


 ギンカは、指先から放った冷気で右脚の傷口を強引に凍らせた。

 痛みに顔を歪ませるが、瞳の奥は、先ほどまでよりも一層冷たく冴え渡っていた。


「……細かい攻撃をダラダラと続けても無駄みたいですわね。私たちの全ての力を一極集中させた、最大の一撃を叩き込むしかありません」


「……うん。なんとかして、あいつの懐に、一瞬でもいいから近づかないと。この距離じゃ、どんな大技だって見切られる」


 二人の視線が、上空で静かに佇む流星ノ勇者へと向けられる。

 傷を負い、満身創痍。

 だが二人の感情は、これまでにないほどに完璧に同期していた。


「私が上空への『道』を作りますわ。……あなたが直接地上へと叩き落としなさい」


「できるの? その足で」


「当たり前ですわ、誰に向かって言っていますの? ……協力なんて不本意ですが。……もたもたしていると、私たちのヒーローが到着してしまいますもの」


「……うん。そうだね。出し惜しみは一切なし。お兄がここに来る前に、決着を付ける!」


 地上の決死のやり取りを遥か上空から冷淡に見下ろし、流星ノ勇者が退屈そうに、ぽつりと問いかけた。

 その声には、やはり何の感情も乗っていなかった。


「どうした? 其方らの『願い』はその程度か。余に願いのなんたるかを、その身を以て教えてくれるのではなかったのか」


「ええ。……今からその乾いた脳髄に、刻み込んで差し上げますわ――」


 ギンカが一度、和剣を鞘へと静かに納めた。

 そして、腰を深く、深く落とす。


 世界から温度が奪われていく。

 ギンカの全身から溢れ出た、彼女の魂のすべてを懸けた絶対零度の冷気が、腰元の、たった一振りの刀身の中へと、限界を超えて凝縮されていく。


 衣服が、髪が、白銀の霜で覆われていく。


「――死んでしまいたくなるほどにッ!!」


 ――抜刀。


 放たれたのは、三条の極大の氷の斬撃。

 空間そのものをガチガチに凍りつかせながら、光速のスピードで上空の流星ノ勇者へと向かって肉薄していく。


「行きなさいッッ!!!」


 カレンの身体が、爆発的な焔と共に弾け飛んだ。


 流星ノ勇者が、迫る三条の氷の斬撃を迎撃すべく、輝剣の照準を合わせたその瞬間。

 カレンは、ギンカが放った『凍てつく刃の斬撃』の真上に自らの足を乗せ、それを足場にして、垂直に空へと駆け上がった。


「――『瞬星剣(しゅんせいけん)』」


 流星ノ勇者の周囲から、目にも留まらぬ速度の、星の瞬きのような無数の輝剣が顕現した。

 それらが、まるで豪雨のように、上空へと駆け上がるカレンを目掛けて一斉に降り注ぐ。


 避けるための足場など、空中にはない。


「こんなもので……あたしをぉぉッ!!」


 カレンは魂を激しく燃やし、絶叫した。


 三つの氷の斬撃を縦横無尽に跳び跳ねる。

 手にした剣で迫る輝剣を激しく弾き、左手の爪で砕きながら、ひたすらに、ただひたすらに前へと突き進む。


 だが――。

 輝剣の嵐。そのすべてを防ぎきることなど、到底できるはずがなかった。


 ザシュ、ザシュウッ!!と、肉が削れる悍ましい音が響く。


 カレンの右肩が、脇腹が、頬が、掠めた輝剣によって削り取られていく。

 赤い鮮血が、夜空に舞い散る。

 全身が傷だらけになり、血に塗れながらも――彼女の、兄を想う速度だけは、衰えるどころか、さらに加速し続けていた。


「『竜炎・灰滅』ッッ!!!」


 カレンの口から、極大の火炎が放たれ、上空を赤く染め上げた。


「――『恒星剣』」


 流星ノ勇者は、再び冷淡に輝剣の光を放ち、その大火炎を一瞬にして消し去る。


 ――だが。

 その煙が晴れた瞬間。

 男の瞳が、初めて、驚愕に見開かれた。


 消し去ったはずの炎の向こう側に、カレンの姿はなかった。


「やっとあんたのそのすました顔、上から見下ろせたわ」


 炎で視界を遮り、カレンの身体はすでに、流星ノ勇者のさらに頭上へと跳び上がっていた。

 剣を両手で激しく振りかぶり、男の脳天を見下ろしている。


「見上げてばかりいると、足元を掬われますわよッ!!!」


 地上から、山の頂上そのものが巨大な槍へと変貌したかのような、天を衝く巨大な氷柱が上空へ向けて突き出された。

 上下からの同時挟撃。


「――『双星剣(そうせいけん)』」


 瞬時に顕現した、二本の巨大な輝剣。

 それらが頭上からのカレンの刃と、足元からのギンカの氷柱を、同時に受け止めた。


「カレンッッッ!!!!」


「落ちろォォォッ!!!」


 カレンの両腕が、限界を超えてミシミシと悲鳴を上げる。

 炎の剣を狂暴に、力任せに押し込んでいく。


 二人の、兄を想う狂おしいほどの『想いの質量』が。

 史上最強と呼ばれた勇者の力を、完全に上回った。


 パキィィィンッ!!!


 美しい音が響き、流星ノ勇者の『双星剣』が、木っ端微塵に粉砕された。


「なっ……!?」


 史上最強の勇者が、初めて、その口から驚愕の声を漏らした。

 流星の勇者は空中から地上へと、凄まじい速度で叩きつけられた。


 そこへ、上空からカレンの身体が、真っ逆さまに突撃していく。

 極限まで圧縮された熱エネルギーが、落下の勢いそのままに爆ぜる。


「『流星(りゅうせい)灰滅(かいめつ)』ッ!!!」


 巨大な隕石が直撃したかのような、世界を滅ぼすほどの大爆発が、山頂の中心で巻き起こった。


 強烈な爆炎と紅蓮の光が、漆黒の夜の闇を、どこまでも紅く、苛烈に塗り潰していく。


 不気味に輝いていた満天の星々を、地を這うような厚い黒雲が、どこまでも静かに覆い尽くしていく。

 そして、世界に深い陰りを落としたのだった。

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