もう滅茶苦茶じゃん……
「――あの、ありがとうございました」
激しい戦いの余韻が残る森の中。目の前の男に向けて頭を下げた。
「カッカッカ! 礼には及ばん! 外道に然るべき、天の報いを受けさせたまでよ!」
「……声、でっか」
カレンが耳を押さえながらボソリと呟く。
鼓膜がビリビリと震えるほどの豪快な声だった。
助けてくれた男性と、僕たちは改めて向かい合う。
太陽の光をそのまま弾くような黄金の重鎧。
風に猛る、鮮烈な赤いスカーフ。
そして、その背には身の丈を遥かに超える巨大な黄金の槍。
何より、その全身から溢れ出る、空さえも震わせるような雷電の力。
間違いない、彼こそが――。
「己はゼナ! 巷では【竜狩り】なんて呼ばれているな。貴公らは?」
「僕はリンです。こっちがカレンで、彼女はギンカ」
警戒を完全に解ききることはできない。
けれど、僕は誠実に、手短に自己紹介を終えた。
「ねぇ。なんであんたは『竜狩り』なんて呼ばれてんの? あたしだって本気を出せば、竜くらい狩れるんだけど」
カレンが不躾に、挑発するような視線を投げかける。
だが、ゼナは気を悪くするどころか、ニカッと白い歯を見せて豪快に笑った。
「カッカ! 困っている者がいるか否か、その一点に尽きるだろうな! その竜が国を滅ぼしたなんて悪さをしていれば猶のことよ!」
「国を滅ぼした竜? ……あのおとぎ話みたいな?」
「良く知っているな! 何を隠そう、あの伝承のモデルになったのは、この己だ!」
どん、と自らの分厚い胸当てを叩いて胸を張るゼナ。
その姿に、ギンカが冷ややかな視線を送った。
「……あの、おじ様。寿命という概念をご存知かしら。あのお話は、百年以上も前から語り継がれているものですわよ?」
「カッカッカ! あの話には続きがあってな! 国を救い、邪悪な竜を討った勇者は、その心臓を生のまま喰らってやったのよ! そうした所、血が滾り続ける強靭な肉体を手に入れてな。気がつけば百年など、とうに過ぎ去っていたわ!」
「もう滅茶苦茶じゃん……」
「『不老不死』というものが、この島ではこんなにもありふれていましたのね……」
カレンとギンカが揃って呆れ返る。
先のレドさんといい、この島に集められた『伝説』の重みは、僕たちの常識を簡単に踏みつぶしていく。
「もっとも、不死ではないがな。己はいずれ戦いの中で死ぬ身だ。……だがそう、不死と言えば、貴公ら。『錆び付いた大鎧』を見なかったか? あれが生き残っていないはずがないんだが、不思議と見当たらんのだ」
その言葉に、僕の心臓がドクリと跳ね上がった。
「っ! ……それって、もしかして、やけに冷静で、大きな剣を持った……?」
「おお、そうだ! あの不器用な男を知っているか! あれとは旧い友でな。この地で互いの技をぶつけ合い、相まみえるのを心の底から楽しみにしていたのだよ!」
ゼナの顔が、少年のように無邪気な輝きを帯びる。
まずい。完全に地雷を踏み抜いた気がする。
僕は慌てて、背後の二人に目配せを送った。
(……どうする? 僕がレドさんの力を吸い取って、トドメを刺しちゃいましたなんて馬鹿正直に言ったら血相を変えて僕を殺しにこないか!?)
(今更隠し通せないでしょ。どっちみち、やるかやられるかなんだし、ハッキリ言えば?)
(下手に刺激しない方が良さそうですが……話しても良さそうにも思えますわね。事情が事情でしたし)
一瞬の、密かなアイコンタクトによる会議。
僕は意を決し、つばを飲み込んで、ゼナと真っ直ぐに視線を合わせた。
「実は――レドさんは、もうここにはいません」
「……何?」
僕は、あの薄暗い坑道の最深部で起きたこと。
レドさんとの壮絶な死闘。そして、彼が抱えていた終わらない絶望。
最後に、僕が彼の能力を『継承』し、彼が笑顔で安らかな眠りについたことを、言葉を選びながら丁寧に、誠実に伝えた。
話を聞き終えたゼナは、ゆっくりと目を伏せ、長い沈黙に落ちた。
嵐の勇者が押し黙ると、不思議なことに、周囲を騒がせていた風も嘘のように凪いでいく。
「……そうか」
ぽつり、と。
雨の滴が落ちるような声が零れた。
「あの男、やっと……やっと眠れたのだな。永かったろうに」
そこには怒りではなく、旧き友に捧げる深い哀悼と慈愛が滲んでいた。
ゼナは僕に顔を向けると、赤いスカーフを揺らして深く頭を下げた。
「ありがとう。友として……あ奴の苦しみを終わらせてくれた貴公らに、心からの感謝を」
「いえ、いえいえ! そんな、頭を上げてください!」
「……して、あれは最後になんと言っていた? 己のことを、なにか言っていなかったか?」
僕は完全に言葉に詰まった。
「えっ。……え~~っと…………」
ごめん、ゼナさん。
レドさん、最後の瞬間まで、一言もあなたの話をしてなかった。
「エリシアに伝えてくれ」って、女の子の名前しか言ってなかった。
僕の困惑に満ちた表情と、泳ぐ視線を見て、ゼナはすべてを察したようだ。
「カッカ! 済まんな、おかしなことを聞いて困らせてしまったようだ。……まぁいいさ。安らかな最期だったのなら、それでいいのだ」
友を本気で想い、その死を悼む姿。
この人は、グラントのような化け物じゃない。真に誇り高き、本物の武人だ。
だからこそ、僕は恐れずに、自分の目的のために踏み込む決意をした。
「……ゼナさん。あなたにお話ししたいことがあります」
「なんだ、改まって。友の恩人の話とあらば、座して聞こうぞ」
「僕の持つ力は、“継承”です。他者の能力を受け継ぎ、自分のものにする力。これを行うと、相手は力を失いますが、魔王はこの島から『能力を持たない者』を、元いた場所に生きて帰します」
僅かな静寂。
また、一陣の強い風が僕たちの間を通り抜けた。
「……なるほどな。それで、己にその力を寄越せと?」
「はい。そうすれば、これ以上の犠牲を出さず、誰とも無益な戦いをすることなく、みんなが生きて――」
「無益な戦いなど、この世にない」
冷たく、重く。
地面を激しく揺らす雷鳴の如き低い声が、僕の言葉を容赦なく遮った。
「……え?」
「生き恥を晒すような惨めな敗北も、栄光ある劇的な勝利も、すべては己の血となり肉となり、魂の糧となる。いかなる戦いであろうとも、無益なものなど、この世に一つとしてないのだ」
空気が、一瞬で変わった。
先程までの気さくな気配は完全に消え失せ、底知れぬ圧倒的な暴力の圧が、黄金の鎧から陽炎のように立ち昇る。
そのプレッシャーに、喉の奥が引き攣った。
「……お兄、下がって」
カレンが僕を背中へ庇い、剣の柄に手をかける。
「己の力を寄越せだと? 貴公が友の恩人でなければ、その言葉を口にした瞬間、その心臓を貫いていたところよ」
「……本当に、この島の勇者たちは、どこに地雷が埋まっているか分かったものではありませんわね」
ギンカも、瞳の奥に冷徹な光を宿し、指先に冷気を纏わせる。
「力とは! 己が生き、歩み、躓き、嘆き、苦しみ、喜び、幾千の敵と血を流し合って戦ってきた“証明”そのものだ! 理由がどうあれ、それを他人に譲り渡すなど言語道断なり!!」
「――っ! そんなもの、自分の命よりも大事なものなんですか!」
「無論! 己は戦いしかできん無作法者でな! ここで敗れ、命を落とすのなら、己はそれまでだったということよ!」
吼えるゼナに呼応するように、天が割れた。
一瞬にして、上空に漆黒の暗雲が渦を巻き、吹き荒れる暴風が周囲の森の巨木を薙ぐ。
風は飢えた獣のように泣き叫び、無数の電が轟き、そして――滝のような豪雨が、一気に大地を激しく打ち始めた。
「……やるしかないってことね。こんな土砂降りで最悪だけど」
カレンが激しい雨に顔を歪め、舌打ちをしながら剣を抜こうとした時。
その腕を、ギンカが横から静かに制した。
「あなたも、お兄様と共に下がっていなさい。連戦でまだ体力が戻りきっていないでしょう。それに……」
ギンカは冷たい雨に打たれながら、カレンの顔を真っ直ぐに見つめた。
「この大雨ではあなたの自慢の炎は、どのみち役に立ちませんわ」
「だからって、一人でこんな化け物を相手に――」
「私も、そろそろお兄様に良いところをお見せしたいの。……だから、ここは黙って譲りなさいな、バカトカゲ」
ギンカの言葉が事実であることは分かっているのだろう。
カレンは僕の横へと一歩退いた。
「……雨が止むまで、それまでは死んでも粘りなさいよ、クソ犬」
「ええ、お生憎様。私はあなたほど不器用ではありませんわ。見ていてくださいね、お兄様」
ギンカは濡れた銀髪をかき上げながら、僕たちに背を向けた。
その華奢な背中は、振り返ることもせず、けれど強く語りかけていた。
『何があっても、絶対に悪魔の力を使ってはダメですわよ』と。
彼女は一人で、あの天災そのもののような男を迎え撃つ覚悟を決めていた。
「なんだ、一人か? 己は二人でも三人でも一向に構わんぞ?」
ゼナが、雨を裂くように大槍を構える。
「お生憎様。最終戦の前座を相手に、全投資はできませんの」
「カッカッカ! 不遜なる心意気、実に良き哉!」
ゼナは黄金の大槍を頭上で一閃させた。
その風圧だけで、降り注ぐ雨粒が円形に弾け飛ぶ。
バチバチと煌めく黄金の雷が槍の刃に収束し、その切っ先がギンカへと真っ直ぐに向けられた。
「さぁ! 戦って、戦って、戦って、戦って――戦って参ろうぞ!!!」
「見ていて下さい、お兄様」
吹き荒ぶ巨大な“嵐”を前に、ギンカは静かに、自らの和剣を構えた。
「“蒼月ノ勇者”ギンカの齎す――静寂を」
自身の全てを懸けなければ、この嵐は止まない、と。
誰よりも深く、悟っていた。




