裏切り者がおったのよ。
「ずみばぜんでした……ッ! 命……命だけは助げでくだざい……ッ!!」
地面にボタボタと汚い涙と血を滴らせながら、大男が無様に額を地に擦り付ける。
カレンの音速を超える蹴りをモロに喰らったグラントに、悦楽に浸っていた「執行人」の姿など、もはや微塵も残っていない。
「あの蹴りを喰らって、まだ生きてるなんて……」
「それよりも、この変わり身の早さに驚きを禁じ得ませんわね……」
カレンはすでに装備を着なおしていた。
グラントの愛用していた大槌は、念のためにと遥か遠くへと蹴り飛ばしてある。
「あんたさ、好き放題しといて、自分がピンチになったら許されようなんて、ちょっと都合が良すぎると思わない?」
「ひぃっ! も、勿論じゃ! タダで助かろうなどとは、これっぽっちも思っておらん! 儂はこう見えても王の最側近だぞい! この島の……誰も知らない『裏側』の秘密を知っておるんじゃ! どうじゃ? お主ら、知りたくはないか!?」
「っ! この島の、秘密……」
グラントの必死の叫びに、心臓がどくりと跳ね上がった。
エリシアさんが遺した最期の言葉が鮮烈に蘇る。
――この島の、さらに深く。ここよりもずっと地下に、巨大な『蠢き』を感じます。
あの聖女の言葉と、このじじいが口にした『裏側』。それが僕の中で、一本の線となって繋がろうとしていた。
「お兄、どうせこいつの言うことなんて出まかせだよ。口を開くたびに空気が汚れるから、灰にしちゃおう?」
「死に瀕した途端、保身のために容易く国家機密を洩らそうとするとは。本当に見上げた忠誠心ですわね」
カレンが剣の熱量を上げ、ギンカが白銀の和剣の鞘をカチャリと鳴らす。
「嘘ではないわい! お主らのこれからの運命を、大きく左右するかもしれん重大な話ぞい! のう、お兄ちゃん……! お主なら分かってくれるじゃろ? なぁ!?」
濁りに濁ったグラントの瞳が、僕に縋るように見つめてくる。
「……カレン、ギンカ、待って。話を聞こう」
「お兄!」
「……そんな気はしていました。まぁ、聞いてからその肉塊の処遇を決めればいいだけのことですわ。武器もない今、抵抗する術などありませんもの」
ギンカがため息交じりに髪をかき上げる。
「うむうむ! 獣人のお嬢ちゃん、賢明な判断ぞい! 気に入った、儂の命が助かったら、お主を儂の嫁にしてやるわい!」
「……やっぱり殺しましょうか」
「ひぃぃぃーっ! 冗談じゃ、冗談じゃわい! お兄ちゃん助けてぇ!」
グラントは大きく息を吸い、切々と語り始めた。
「王様はな……ああ見えて、とびっきりに有能で、誰よりも国を想っておられる御仁なのだぞい。世間からは無責任に見えるかもしれんが、誰よりも早く、事態の解決に向けて動き出しておられたんじゃ。……ただ、少しばかり運とタイミングが悪かっただけなんじゃな」
その声には、先ほどまで戦場で響かせていたあの悦楽的な狂気は消え失せていた。
老兵だけが吐き出すことのできる、歴史の重みが混じっている。
「勇者支援金制度がまさにそうじゃろ。魔王を打ち倒すべく、広く世界に呼び掛けた。じゃが、勇者の資質を持つ者の数が、王の想定を大きく上回っていた」
「……だから、財政が破綻しかけて、この島で『口減らしの殺し合い』を始めさせたってわけ?」
「最強の勇者を決めるための『蟲毒』という噂もありましたわね」
二人の問いに、グラントは首を大きく横に振った
「いいや、違う! 全くの正反対ぞい! 王はこの島から、不気味な気配を察知したんじゃ。日に日に地底で膨らむその『蠢き』を、国の危機としていち早く察知し、確実に潰すべきだと判断された。そこで王は、一世一代の大胆な作戦に出た。それが――勇者総出による、この島の『一掃・殲滅作戦』じゃったんじゃよ! 誰が言い出したのか知らんが、口減らしだの、魔王との共謀だのというのは、全くの誤解ぞい!」
「いや、おかしいだろ」
僕は思わず口を挟む。
「現に、僕たちは今こうして、魔王の仕掛けたデスゲームに躍らされて、殺し合いをさせられているじゃないか。王様の狙いがその『蠢き』の殲滅にあるなら、今のこの地獄のようなありさまは何なんだよ!」
「そう……本来なら、こんな天ご……いや、地獄のような状態には、絶対にならないはずじゃったんじゃ」
グラントの顔から、悔しげな色が滲む。
「裏切り者がおったのよ。儂ら勇者側の中に、魔王に情報を流し、口添えをした不届き者がおったんじゃ」
裏切り者。
その言葉が、頭の中に冷たく響く。
王様が勇者を総動員して島を一掃しようとした計画を魔王にリークし、逆に勇者たちをこの島に閉じ込めさせた張本人がいる。
「……その、裏切り者っていうのは、一体誰なんですか?」
「それは……魔王に聞かれとるかもしれん。お兄ちゃん、少しだけ耳を近づけてくれんか。奴に悟られぬように」
グラントが、掠れた声でひそひそと囁く。
僕は躊躇し、背後に立つ二人にそっと視線を送った。
カレンは何も言わず、ただ手の中の剣を強く握り直し、その力強い瞳で僕を真っ直ぐに見つめている。ギンカも静かに冷気を纏い、僕の決断を待っていた。
『お兄の判断を信じるよ。だけど、そのじじいが一ミリでも怪しい動きをしたら、今度こそ肉片一つ残さず消し飛ばす』
二人の雄弁な視線が、僕の背中を力強く支えてくれた。
「信じてくれ……なんて言える立場でないことはよく分かっておる。儂の命はどうなってもいい。じゃがな、お主らのような未来ある若者に……この国の、世界の本当の未来を託したいんじゃよ……っ」
グラントの瞳に、本物の涙が浮かんでいた。
僕は意を決し、ゆっくりと彼の方へ体を傾けた。生ゴミのような悪臭が鼻を突き、呼吸が止まりそうになるのを必死に堪える。
震える彼の唇へと、自分の耳を限界まで寄せた。
張り詰めた静寂の中、グラントの掠れた呼気が、僕の鼓膜へと直接滑り込んでくる。
「その裏切り者の正体は――」




