ずっとここで暮らしたいわい!
「ほーっほっほっほっ! 全く、弱いもの虐めは楽しいぞい! たまらんわい、この島はァ!」
耳を腐らせるような、下卑た笑い声が静かな森に響き渡る。
魔物の大角がこれ見よがしに突き出した大鎧。
それをガシャガシャと下品に揺らしながら、その大男――グラントは、心の底から愉快そうに、醜悪な歪んだ笑みを浮かべていた。
彼がその丸太のような両腕で掲げているのは、自らの身の丈ほどもある巨大な槌。
それが、天高くへと振りかぶられる。
「ひぃ! や、止め――助け、て――」
地面に這いつくばり、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした一人の勇者が、必死に手を伸ばして命乞いをする。
けれど、大男の細い目の奥に宿る狂気が、さらに爛々と輝きを増しただけだった。
――ドォォォォォォォォォンッッッッ!!!!!
無慈悲に振り下ろされた大槌が、凄まじい地響きと轟音を伴って、その哀れな勇者を地面の岩盤ごと、文字通り一瞬で木っ端微塵に粉砕した。
肉と骨が潰れる悍ましい音が、僕の鼓膜を容赦なく震わせる。
「止めるかっつーの! こんなに楽しいこと、身分も法律も関係なく、合法的に人をすり潰せる国があるか! 最高じゃ! ずっとここで暮らしたいわい!」
グラントは、もはや元の形を留めていない肉塊と化した対象に対し、悦びに顔をこれでもかと上気させながら、何度も、何度も、何度も、狂ったように大槌を叩きつけ続けた。
どす黒い返り血が、彼の鎧にベッタリとこびりついていく。
「……なに、あれ」
「……この島が狂わせたのか、それとも元からああいう歪んだ本性だったのか」
「考えたくはありませんが、間違いなく後者でしょうね。王様が、表向きは上手く隠して飼っていたのでしょう」
「僕、お城で見たときは、物静かでクールな、ベテランおじさん勇者だと思ってたのに……」
「あたしは最初から、品のなさそうなじじいだと思ってたよ」
カレンが吐き捨てるように言い、剣の柄をギチ、と握りしめた。
かつて謁見の間で見かけたときは、国を護る寡黙な『盾』であり、お手本のようなベテラン勇者に見えたのだ。
だけど、今目の前で血飛沫を浴びて踊っているのは、ただの「醜悪な化物」そのもの。
それこそが、【王の槌】“執行ノ勇者”グラントの、隠された本性だったのだ。
僕たちは、流星ノ勇者との奇妙な食事会を終えた後、次に対話すべき勇者を探して移動を続けていた。
そして、見つけてしまった。見つけてはいけないものを。
木陰の茂みからそっと覗き見る僕たちの前で、世にも愉しげに人間をすり潰している狂人を。
「噂通り、随分と熱心なご様子ですわね」
「熱心どころか、誰よりも満喫してるでしょ、あれは」
「……関わるべきじゃないな。どう考えても」
僕は冷や汗を流しながら、二人の意見に全面的に同意した。
話してみれば分かってくれる、とか、そんな次元ではない。
会話という概念が通じるとは、到底思えなかった。
「ですわね。わざわざあんな化け物とぶつかって、無駄に消耗する必要はありませんわ。さぁ、お兄様、お手を」
「うん。さっさと気づかれないうちに移動しよ。お兄、行くよ」
僕の目の前に、同時に二つの白い、柔らかそうな手が差し出された。
張り詰めた空気の中だというのに、二人の視線がバチバチと火花を散らす。
「ここは鼻の利く私が先導します。貴女はトカゲらしく、私の後ろをこそこそ付いて来なさいな」
「は? それはあたしの役目なの。あんたこそ、その自慢の鼻でキノコでも探してろデブ犬」
「ちょっと、二人とも……! 今は喧嘩してる場合じゃないでしょ! ……よし、分かった!」
向こうではまだグラントがハッスルして槌を振り回しているのだ。
僕は速やかにその場の口論を収拾するため、深く考えずに、二人の差し出された手を左右でそれぞれ握りしめた。
――それが、本日最大の、致命的な間違いだった。
「お兄、こっち!!」
「お兄様、こちらですわ!!」
「え――」
手を握った瞬間、二人は同時に力強く走り出した。
――完全に、真逆の方向へ。
「うわあああああああああああぁぁぁぁぁぁっっっ!?!?!?」
僕の口から、情けない絶叫が飛び出した。
左右から僕の腕を引っ張る、火竜の腕力と狼の剛力。
みし、みしみし、ピキピキピキッッ!!!
僕の貧弱な両腕の関節が、これまでに聞いたことのない、鳴ってはいけない悲鳴を上げ始める。
今まさに、僕の右腕と左腕が、僕の胴体に対して「永いお別れ」を告げようとしていた。
「ちょっと、こっちだろデブ犬! お兄の腕が引きちぎれて死んじゃうでしょ!殺す気!?」
「それはこちらのセリフですわバカトカゲ! 地図を持っているのは私ですわ、私に合わせなさい!!」
「だ、だめええええええ! 僕が、僕が二つに割れちゃううう! お兄ちゃんが左右半分ずつになっちゃううううう!!!」
僕の魂の底からの叫びと、関節の恐ろしい悲鳴が、静かな森の中にこれでもかと大きく響き渡った。
まさに、その時だった。
「……んあぁぁ? なんじゃあ? さっきから、そこらの茂みが随分と騒がしいのお。おい」
ガシャリ、と冷酷な金属音が響き、グラントの狂気に満ちた視線が、僕たちの隠れている茂みへと真っ直ぐに向けられた。
大槌を引きずりながら、こちらへ向かって一歩、重い地響きを立てて歩みを進めてくる。
「そこに誰か居るなら、さっさと出てこんかい。……出てこないなら、この森を丸ごとすり潰してやるぞい!」
完全にバレた。
あまりのマヌケすぎる理由での発覚に、僕たちの間の空気が一瞬でピキリと凍りつく。
「……僕たち、レドさんに同じようなことで叱られたばかりなのに……」
「「だって、このクソ犬が!!」」
二人は同時に不満げな声を上げながら、僕の手をパッと解放した。
地面にへなへなと崩れ落ち、自分の両腕がまだちゃんと肩に繋がっていることを確認して、僕は涙目で胸を撫で下ろした。
裂けなくて、本当によかった……。
「……もう隠れてても意味ないし出た方がいいね。あいつ、本当に森ごと潰すようなやばい力を持ってたらまずいし」
「まぁ丁度いいよ。あのキモ面ジジイ、ぶっ飛ばしてやりたかったし」
「それについては、珍しくあなたと完全に同意見ですの。汚い大槌ごと粉々に砕いて差し上げますわ」
二人の瞳に、一瞬にして戦闘の激しい焔と冷気が灯る。
痛む両腕をどうにか回しながら立ち上がり、意を決して、二人と共に目の前の茂みを大きくかき分けた。
僕たちは、血に塗れた“執行ノ勇者”グラントの目の前へと、真っ向からその姿を現したのだった。




