へい、お待ち!
「……本当に、空を飛んでる」
思わず、そんな間抜けた声が僕の口から漏れ出していた。
見上げる視線の先。陽光をその身に浴びながら、重力など初めから存在しないかのように、一人の男がゆらりと宙に浮いていた。
「お兄様、下がってください……話し合いが通じる相手だと、思わない方がいいですわ」
「最も強い』ってことは、つまり『最も頭がイかれてる』ってことなんだから」
カレンとギンカが、同時にそれぞれの得物に手をかける。
カレンの剣からはバチバチと火花が散り、ギンカの周囲の空気はピキピキと凍りつき始めていた。二人から放たれるのは、肌を刺すような鋭い殺気。
けれど、宙に佇むその男からは、僕たちを敵視するような戦う意志すら感じられなかった。
「何をそう警戒している? 其方らが手をこまねいていたあの竜は、間違いなく余が仕留めた」
男がゆっくりと地上へ降り立つ。
太陽に照らされた、どこか神秘的な褐色の肌。後ろに無造作に束ねられた長い黒髪が、島の風に揺れている。何より異様なのはその双眸だ。左の瞳だけが、まるで底なしの深海のように蒼く、神秘的な輝きを放っている。
彼の衣服には泥一つ、埃一つ付いていない。次元が違う。本能がそう告げていた。
「ほら、其方の剣だ。受け取るがいい」
僕がさっきの戦いで手放してしまった剣だった。くるりと手元で回し、ちゃんと持ち手の柄をこちらに向けて差し出してくれた。
「あ、危ないですわ、お兄様!」
「近づいちゃダメ、お兄!」
二人が僕の前に出ようとするのを、僕はそれぞれの肩をポンと叩いて制した。ここで彼がボクたちを殺す気なら、剣を渡す前に僕の首が飛んでいる。ゆっくりと歩み寄り、男の手から剣を受け取った。
「……ありがとう。ちなみにあれ、どちらかと言うと竜じゃなくて豚らしい」
「余の前では同じことだ。豚であろうが、竜であろうが、屠られるだけの肉塊に過ぎん」
男は微塵も表情を変えずに淡々と言い放つ。僕は苦笑いしながら、受け取った剣を鞘に納めた。
「お兄、下がって。自分のことを『余』なんて呼ぶ奴に、まともな奴がいるわけないんだから」
「……あなた、一体何をしに来ましたの。まさか、わたくしたちをここで間引こうとでも?」
カレンにぐいっと後ろに引っ張られ、ギンカの氷のように冷たい視線が流星ノ勇者を真っ直ぐに射抜く。
だが、最強の勇者はふぅ、と小さく溜息をついた。
「其方らと同じだ。……腹が減ったから来た。上空を移動していたところ、豚一匹に手こずる其方らが見えた。それだけだ」
「ついでに私たちもお掃除しちゃおう、ってわけ?」
「そのつもりなら、そもそも其方らの眼前に降り立ちなどはせん。頭上から剣を降らせて終わらせている」
確かにその通りだ。その気なら、頭上から無数の剣でも降らせてくるのが一番手っ取り早い。わざわざ話し合いに応じる理由がないのだ。
「しかし、困ったことに余は料理ができん。だから其方らには、先の礼として余に料理を振舞わせてやる」
「……は? ふ、振舞わせてやるぅ?」
「不服か? 何も余が独占すると言っているわけではない。あんな巨体、一人では到底食べきれんからな。其方らが食べるついでに、余にも食わせろと言っているのだ。そうおかしな提案ではないつもりだが?」
史上最強と謳われる勇者が、大真面目な顔で「お腹が空いた」と訴えている。
あまりのギャップに、毒気が抜けて喉が鳴った。
僕は二人をこっそり手招きする。
「作戦会議タイム!」
「どうすんのよ、お兄。敵対する気はとりあえずなさそうだけど……なんかムカつく!」
「何を考えているのか測りかねますが……今のところは言う通りにするのが吉、という雰囲気ですわね。下手に怒らせて、暴れられては敵いませんわ」
「うん、僕も同意見。やる気ならとっくにやられてるだろうし、ここは大人しく従おう」
僕たちは頷き合い、再び流星の勇者の方を向き直った。
「作戦会議終了!」
「ふむ。何を作るのか決まったか?」
「まだそこまで考えてないよ。でも、お礼に……ってわけじゃないけど、食事を作るのは引き受ける。……ただし、一つだけ約束してくれ」
「何だ?」
「食べ終わった瞬間に、『用済みだ』とか言って僕たちを消すのだけは勘弁してくれよ?」
僕が冗談めかして言うと、流星の勇者はふっと口元を僅かに緩めた。
「そんな気はない。腹が膨れたら、そのまま気持ちよく寝転がりたいのが人の性だろう。……余程、料理がまずければ話は別だがな」
よし、と僕は腕をまくった。
「じゃあ、折角の激レア食材だし、気合を入れるか!」
予想外の来客に戸惑いつつも、僕たちはまだ鮮度を保っている豚竜の解体に取り掛かった。
――数十分後。
「へい、お待ち!」
威勢のいい声と共に差し出された皿を見て、僕は目を丸くした。
「こ、これは……トンカツ!?」
せっかくの最高級食材だ。
僕たちはそれぞれ腕を振るい、一品ずつ料理を作って披露することにした。
トップバッターは、カレン特製のトンカツ。
黄金色に輝く衣を纏ったその姿は、お皿の上で奇妙な気品すら漂わせている。
「カレン……。どうやって『衣』なんて用意したんだ?」
「ふふん、まずは食べてみてよ。一流の料理人は、多くは語らないものなんだから」
カレンはふんぞり返って、自慢げに胸を張る。
「……意外な特技ですわね。てっきり、黒焦げにした炭クズをお兄様に押し付けて、無理やり『美味しいよ、カレン』と言わせる拷問を始めるものだと思っていましたわ」
「 料理は火力! 炎使いのあたしが、火加減でヘマするわけないでしょうが!」
「ふむ、では……いただくとするか」
流星の勇者がおもむろにトンカツを一切れ箸で摘み、口へと運んだ。
サクッ、と軽快でな咀嚼音が響く。
続いて、僕とギンカも一切れずつ口に放り込んだ。
「うまーい!」
「ええ……。お肉は間違いなく最高級ですわね。揚げ加減もよく、驚くほど柔らかくて、噛んだ瞬間に舌の上で蕩けるようですわ。……でも」
「衣がまずい。いや、苦いな」
流星の勇者が、咀嚼しながら極めて冷静に分析を垂れ流した。
「見た目と食感はそれっぽく仕上がっているが、この衣、自己主張が強すぎる。豚が持つ本来の脂の旨味と、完全に喧嘩してしまっているな」
「……意外とよく喋るな」
僕が思わず突っ込むと、カレンがガクッと肩を落とした。
「やっぱり駄目だったかぁ。その辺に生えてた食べられそうな葉っぱをすり潰して、粉末にして塗して揚げてみたんだ。上っ面だけは綺麗になったんだけどねぇ……」
「六十点。足りない要素を現地の創意工夫で補おうとするその努力は買う。だが、主役である肉の良さを殺してしまっては本末転倒というものだ」
「……点数まで付け出しましたわ、この男」
「自分は料理できない癖に偉そうに……」
結局、カレンの料理に対する「最高の敬意」として、僕たちは全員で苦い衣をペリペリと剥がし、中の極上お肉を美味しく完食した。
「前座ご苦労様ですわ、バカトカゲ」
今度はギンカが勝ち誇った笑みを浮かべて前に出る。
「では……真の『素材の活かし方』というものを、この私がお見せしましょう」
ギンカが差し出した皿を見て、僕とカレンは思わず声を揃えた。
「こ、これは……生肉!? いや、豚のお刺身か!?」
焼かず、煮ず、揚げず。
ただ新鮮な豚竜の肉を、極限まで薄くスライスしたものだ。
しかし、その完成度は凄まじかった。ほんのりとした桃色の身は、ギンカの美麗なる技術によって、一分一厘の狂いもない均一な厚さに揃えられている。さらに皿の中央には、薄切り肉を繊細に重ね合わせて作られた「肉の薔薇」が美しく咲き誇っていた。
「……あの、ギンカ。気持ちはすごく嬉しいし綺麗なんだけど、大丈夫なのか? 豚を生で食べるなんて」
「料理とは知恵ですわ、お兄様。『豚竜』の肉には寄生虫や細菌が存在しない、という説がありますの。……まぁ、念のために極低温で凍らせて、表面処理を施したので問題はないはずですわ。たぶん」
「……あんたって、料理に自分の体液とか入れるタイプだと思ってた」
「入れるか! ですわ!」
騒ぐ二人を余所に、流星の勇者はなんの躊躇いもなく、一切れのピンク色の肉を口に含んだ。その潔さは、最強ゆえの自信なのか、ただの食いしん坊なのか。
僕とカレンも、意を決してそれに続いた。
「ふむ、これは――……」
「うまーい!」
口に入れた瞬間、ひんやりとした心地よい冷感と共に、上品な肉の甘味がじゅわりと溢れ出してきた。まったく臭みがない。
「確かに、極上の脂がダイレクトに伝わってくる。口当たり良くて臭みもない……でも、調子に乗ってバクバク食べるのは、やっぱりちょっと怖いかも」
「六十点。確かに見た目に美しく、素材の味も良い。だが、余はやはり火を通してある方が好みだ。それに、一度完全に冷却してしまっている分、肉が持つ本来の鮮度が落ちてしまっている」
「……お前の好みなんて知るか、ですわ」
「でもいるよね、謎にレアを信仰して『生が一番』とか言うタイプ」
好みの問題はあれど、こちらも味は一級品だ。結局、僕たちは残ったお刺身を、沸騰させたお湯にさっと潜らせて、極上の「しゃぶしゃぶ」にして綺麗に完食した。
「さて……最後は、僕の番だね」
最後に僕が自信満々に差し出したのは、厚みも形も不揃いな、ただの肉の切り身だった。
「お兄、料理が下手くそなのは知ってるけど、ただ切っただけのものを料理と呼ぶのは無理でしょ」
「厚さもバラバラ、切り口もガタガタ。本当にただ切り分けただけですわね……」
カレンとギンカの容赦ない言葉が突き刺さる。
だが、唯一「史上最強」だけは、その瞳に微かな好奇心を宿していた。
「……いや、違うな。この謎の塩っぽい粉と、タレのような液体。其方の料理は『これから』であろう?」
「その通り。さぁ、始めよう!」
僕はあらかじめカレンの残り火でカンカンに熱しておいた、平たくて清潔な岩をテーブル代わりに中央へ置いた。
じゅううう、と岩の熱気が空気を揺らす。
「宝石肉豚竜の『焼肉』を!」
「焼肉っていうほど料理か?」




