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力とは“呪い”だ。運命を縛り、捻じ曲げる。

「……すまなかった。私のせいで、君たちを危険な目に合わせてしまって」


 大兜の奥から響く声は、相変わらず地鳴りのように低い。


 けれど、さっきまで僕たちを容赦なく叩き潰そうとしていた冷酷な鉄の響きは、もうなかった。

 どこか不器用な老兵が、自らの非を認めて恥じ入るような、かすかな人間味が混ざり合っている。


「……ふん。一発思いきりぶん殴ってやりたいところだけどさ、あんたを殴ったら、こっちの拳がいかれるから勘弁してやるわよ」


 カレンがふいっと顔を背けながら、剣を鞘へと収めた。

 口調こそトゲだらけだけど、その瞳からはもう明確な敵意は消え失せている。


「まぁ、お兄様のことは許すまじ、ですが、大事ないようですし、いいでしょう」


 ギンカも和剣を収め、静かに息を吐き出した。

 頭頂部の獣耳が、ほっと安心したようにパタパタと揺れている。


「げほっ、ごほっ……! だ、大丈夫だよ二人とも。僕ならほら、この通りピンピンしてるから。普段から腹筋とか結構鍛えてるしね……っ!」


 僕は胸を張り、ムキッっとポーズを取りながら、必死に笑ってみせた。

 心配してくれるのは嬉しいけれど、ここで情けない姿を見せるわけにはいかない。


 だが、そんな強がりは一瞬で見透かされていた。


「そんなこと言って。本当に鍛えてるのぉ? うりうり」


「あ、ひゃあぁ~~っっ!?」


 カレンの細い指先が、僕の無防備なわき腹へと容赦なく突き立てられた。


「おやおや。鍛えている割には、随分と柔らかくて、愛嬌のある触り心地ですわね。うりうり」


「ちょっと、ギンカまで反対側から突っつかないで!? あ、ああぁ~~! やめて、本当にお腹に響くからぁぁぁ!!」


 左右から挟まれ、わき腹を容赦なくつつかれまくる。

 満身創痍の僕にとっては拷問に近い。


 身をよじりながらどうにか二人の包囲網から脱出し、顔を真っ赤にしながら乱れた衣服を整えた。

 コホン、とわざとらしく大きな咳払いをする。


「そ、そんなことよりさ。本題に入ろう」


 表情を引き締め、静かに佇む大鎧へと視線を戻した。


 レドさんは自らの大きな、錆びついた掌をじっと見つめている。


「――悪魔の、継承、か」


 ぽつり、と。

 その掠れた声が、冷えた空気の中に落ちた。


「はい。正直、僕の力が、レドさんに対してどこまで上手くいくかはわからないです。……でも、試してみる価値はあると思います」


「……あたしは反対。そんなやばい力、お兄に持って欲しくない」


 カレンが、僕の言葉を遮るように言った。

 その表情はいつになく真剣で、どこか悲痛な色を帯びている。


「大丈夫だよ、カレン。レドさんは何も知らなかったから危険な取引をしてしまっただけなんだ。最初からそれが『呪い』だって分かっていれば、なんてことないよ。どんなに魅惑的な囁きが聞こえてきたって、全力で無視してやればいい。僕は我慢強さと、理不尽に対する忍耐には、人一倍自信があるんだから。……ね、ギンカもそう思うだろ?」


 同意を求めるように視線を向けた。

 けれど――。


「…………」


 ギンカは、いつものように僕の言葉を笑顔で全肯定してくれることはなかった。

 申し訳なさそうに目を伏せている。


「……あれ? もしかしてお兄ちゃん、信頼されてない?」


「……そういうわけではありませんわ。私のせいで、お兄様をこんな危険な流れに巻き込んでしまいました。そのことについて、深く反省していますの」


 ギンカの獣耳が、力なくペタンと完全に寝てしまう。


「でも……それでも、やはり私は反対ですわ。この男が宿している力は、あまりにも危険な呪いですの。お兄様が身代わりになる必要なんて、どこにもありませんわ」


「ギンカのせいなんかじゃないよ。もしも、何事もなく最初から平和な話し合いが進んでいたとしても、僕は必ず、同じ提案をしていたと思う」


 僕は二人の前に立ち、真っ直ぐにその瞳を見つめ返した。


「だって……僕は勇者だからね。目の前で、こんなに苦しんで、終わらない夜の中で助けを求めている人がいるなら……僕は、絶対にそれを見過ごすことなんてできないんだ」


 僕の一ミリの嘘もない言葉を聞いて。


 地面に膝を突いていたレドさんが、ギチリ……と重い金属音を立てて、ゆっくりと大兜を持ち上げた。


「……改めて、この力の本質と私の現状を話しておこう」


 声が、坑道の奥深くに重々しく響き渡る。


「『強い体になりたい』と願った結果――私は、生身の身体のすべてを失った。他者の温もりを感じる皮膚も、痛みの感覚さえもない、鉄の身体になったのだ」


「食べることも、飲むことも、ただ静かに眠ることさえもできないまま、世界のあらゆる理に反して、私は君たちの何十倍もの時間を生き続けている。……いや、生きている、などというものではないな。ただ、錆びついた鎧が、悪魔の力によって強制的に動かされているだけだ」


「「「…………」」」


「それでも君は、この底なしの“呪い”を継承するというのか?」


「お兄……お願いだから、もう止めようよ。意思がへにょへにょなお兄に、そんな悪魔の力が制御できるわけないじゃん……っ」


 カレンが、僕の服の袖をぎゅっと握りしめ、涙を浮かべて僕を引き留めようとする。


「お兄様、自己犠牲と救済とは、全くの別物ですわ」


 ギンカも、僕のもう片方の袖を掴み、強い眼差しで僕の目を覗き込んできた。


 二人の言う通りだ。

 正直に言って、悪魔の力が僕の身体に入ってきたらどうなってしまうのか、怖くて足が震えそうになる。


 けれど――。


「……正直、もの凄く怖いよ。でも、僕のこの力で、レドさんのその長い苦しみを終わらせて、救うことができるのなら。……僕は、そうしないといけない気がするんだ」


「例えそれが……悪魔の力であったとしてもか?」


「例えそれが、伝説の勇者の力であっても、です」


 僕は、自らの震える右手を、真っ直ぐに、彼に向けて差し出した。


「……フッ、ハハ……。実に、大馬鹿野郎だな、君は」


 レドさんの兜の奥から、乾いた、けれどどこか嬉しそうな笑い声が漏れ出た。


「いいだろう。私の魂に懸けて、君たちの力になろう」


 ギチ、ギチリ……。

 重厚な金属の軋み音を立てて、差し出された。

 黒ずんだ錆に塗れた、硬くて、大きくて、冷たい鋼鉄の掌。


 僕の右手が、彼の巨大な籠手と、静かに重なり合う。


 触れた瞬間。

 一切の温度が伝わってこないはずなのに――その奥底から、消え入りそうな、けれど確かに脈打つ熱を感じた気がした。


「力とは“呪い”だ。運命を縛り、捻じ曲げる」


「もし変な方向に曲がっちゃっても、僕の後ろには、最強の妹たちが控えてますから。力ずくで直してくれますよ」


 僕のその言葉を聞いて、レドさんは「……フッ、違いない」と、穏やかな声で笑った。


 次の瞬間、繋がれた手の隙間から、眩い白銀の光が溢れ出た。


 光の濁流が、レドさんの大鎧から、僕の右手を通じて身体の奥底へと逆流するように流れ込んでくる。

 僕の胸の奥に、新たな勇者の力が、静かに灯り、定着していく。


 光の奔流の中で、レドさんの大兜が、かすかに揺れた。


「……もし彼女に……エリシアに会うことがあったら、伝えてくれ」


「え……?」


「本当は君を、解放したかった、と――」


 その言葉を最後に、繋がれていた僕の手から、完全に力が抜けた。


 ぐらり、と。

 人間二人分はあろうかという巨躯が、すべての支えを失ったかのように大きく揺らめく。


 ――ガッッッシャァァァァァァンッッッッ!!!!!


 坑道の岩壁全体を激しく震わせるような音を立てて、大鎧が地面へと崩れ落ちた。


「レドさん……っ!?」


 慌てて手を伸ばし、彼を抱き起こそうとした。

 けれど、僕の指先がその大鎧に触れた、まさにその瞬間。


 何百年もの間、数多の戦場を耐え抜き、傷だらけになりながらも決して崩れることのなかった重装大鎧と、巨大な大剣が。


 まるで、すべての役目を終えたかのように、バキバキバキッ! と、急速に無数のひび割れを広げていった。


「……成功、したのですわね。お兄様」


 後ろから歩み寄ってきたギンカが、呆然とした声で呟く。


 僕たちの目の前で、ひび割れた大鎧と大剣は、一瞬にして粉々のチリへと砕け散り、儚く消えていった。

 血の一滴も、肉の欠片も、そこには何も残らなかった。


 後に残されたのは、以前よりもさらに深く、静まり返った漆黒の坑道と。

 そして、僕の胸に燈る、――新たな力の、確かな熱の感触だけだった。

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