私を助けてくれ……っ
第36話です。
前回、レドの回想なお兄ちゃん。
今回は、レド目線から。
「――竜爪ッ! 灰滅ーーッ!!」
鋭い咆哮とともに、紅蓮の炎を纏ったカレンの爪が、激しく空間を裂いた。
ガギィィィンッ! と凄まじい火花が散り、私の胸部の装甲が、火竜の熱量によって深々と引き裂かれる。
だが、避けることもしなければ、防ぐこともしない。
一歩も退くことなく、ただその一撃を正面から受け止める。
どうせ、意味などないのだから。
私には、痛む肉体も、流れる血も存在しない。
「いい加減に、止まりなさい……ッ!!」
彼女の猛攻の隙を縫うようにして、ギンカの白銀の和剣が閃く。
絶対零度の冷気を帯びた氷の牙が、私の肩口を深く穿ち、ガチガチと凍りつかせていく。
やはり、避けることも防ぐこともない。
何をされようと、どうせ無駄なのだから。
私はただ、壊れた機械のように、じりじりと前進を続ける。
「ハァ……ハァ……っ」
二人の少女は、すでに肩を激しく上下させ、荒い息を吐き出していた。
当然だ。
これほどの超高火力の権能を限界以上の速度で、絶え間なく連発し続けているのだ。
背後の壁際で倒れ伏している、あの無力な少年――リンの元へ、私を絶対に一近づけまいと必死になって立ち回っている。
「……あんた、よく考えたらどうやって喋ってるわけ? 喉ないくせにさ」
カレンが剣を構え直しながら、忌々しげに私を睨みつけてくる。
「ないのは……喉だけではありませんがね」
「私にも、その本当の仕組みまではわからない。……かつて王は、これを『契約』と言っていた。代償を払うことで、大いなる御業を手に入れることができるのだと」
それは、神がもたらした奇跡なのか。
それとも、悪魔との呪われた取引なのか。
間違いなく後者だろう。
あらゆる理、法則に完全に背を向け、私はこの空っぽの姿で存在している。
「私には『体力』という概念すら存在しない。だから今の君たちのように、わざわざ会話を挟んで時間を稼ぎ、乱れた呼吸を落ち着かせる必要は、一切ないんだ」
「……その割には、随分と律儀に無駄話に付き合ってくれますのね」
ギンカが、和剣の刃を青白く輝かせながら、皮肉げに私を睨みつける。
その鋭い獣耳が、私の僅かな挙動も見逃さないよう、ピンと張り詰められていた。
「言っただろう。面倒なんだ。早々に諦めてほしい。この身体は決して疲れず、老いないが……どうやら、その内側にある魂だけは、時の流れとともに、確実に老いさらばえていくものらしい」
そう。私はもう、完全に老い果ててしまったのだ。
永い、永い、あまりにも永すぎる日々の果てに。
敵を効率的に屠るための技は極限まで研ぎ澄まされ、大剣を振るう腕は卓越を極めた。
だが、それと引き換えに。
疲れを知らないはずのこの鋼鉄の肉体は、日を追うごとに、鉛のように重みを増していく。
魂の摩耗が、私の動きを、少しずつ鈍らせていた。
「君たちは、本当に強い。よく練られた無駄のない技に、迷いのない剣。精神的な幼さを補って余りある、素晴らしい才能だ」
「なによ、いきなり……。今更許してとでも言うつもり?」
カレンが不快そうに鼻を鳴らす。
「いや。せめて君たちに敬意を払い、正面から正々堂々と叩き潰そうと思っていたんだが……どうやら、今の私では少々時間が掛かりすぎるようだ」
「……それで? どうするつもりですの?」
私は錆びついた大剣を、両手で天高くへと振りかぶった。
「卑怯な手を、使うことにする」
二人は、間合いの外にいる。
刃が届く距離ではない。
――だが、その鉄塊を地面に向けて全力で振り切った、その刹那。
――ズガァァァァンッッッ!!!
大剣が地面を叩いた衝撃波とともに、広場を辛うじて照らしていた照明のすべてが、一瞬にして掻き消えた。
陽光も、月光も、地上の一切の光が届かない、奈落の底。
完全なる暗闇。
視覚という、人間に与えられた最大の情報源が、力ずくで奪い去られる。
「――ッ!? バカトカゲ!!」
「わかってるッ! お兄の近くへ――」
――ガギィィィンッッ!!!
「よく反応するものだ」
闇の静寂の中で、激しい火花がパッと散った。
私の放った、不可視の一閃。
カレンは咄嗟の直感だけでそれに反応し、自らの左腕の装甲を盾にして、大剣を受け流していた。
それだけでなく、自ら後ろへと跳ぶことで衝撃を殺し、致命傷を避けている。
「な、んで……あんたは、暗闇の中で……、正確に位置が見えてるのよ……っ」
ドシャァン、と激しい音が響く。
受け流したとはいえ、衝撃を殺しきれず、カレンの身体はかなりの勢いで坑道の岩壁へと衝突していた。
しばらくは満足に動けないはずだ。
「私は最初から『瞳』など持っていない。そんなものがなくても見えているのだから、暗闇で君たちの位置が分かったところで、何も不思議ではないだろう」
だからこそ、私にはもう、これが現実なのか、それとも、彼女の見せる夢の続きなのか、それすらも判別がつかないのだ。
「……だから私が仕掛けた、氷霧の中からの奇襲も容易く弾き返しましたのね。そういう問題ではない気もしますが」
毒づきながらも考えているのだろう。二人を回収し、ここから脱出する手段を。
「獣人は夜目が利くらしいな」
「はやっ――っ!?」
私はギンカの細い首筋をに掴み取り、そのまま宙へと高く吊り上げた。
ここまでずっと、大剣による力任せの攻撃しか見せてこなかった。
それがこの暗闇の中で、急に戦術を変えて掴みかかられれば、いくら夜目が利く獣人であろうとも、対応は難しい。
「さっきまで……ガシャガシャと、煩かったくせに……っ!」
「その気になれば、音を立てずに動くこともできる。『空っぽの鎧』が動いているんだ。それくらい不思議に思うことでもあるまい」
錆びついた大剣を、片手でゆっくりと、ギンカの脳門へと向けて振りかぶった。
この一撃で――。
「終わりだ。とでも、思いまして?」
喉を締め上げられたまま、ギンカが不敵に口角を吊り上げた。
彼女は自らの両手で、私の左腕をガシッと掴む。
ガチガチと音を立て、冷気が腕を蝕んでいく。
「砕け、なさい!!」
顕現したギロチンのような氷塊が、凍りついた腕に落とされた。
――ガッッッシャァァァァァァンッッ!!!
激しい破砕音が坑道に轟き、肘の先から砕断された。
拘束から解き放たれ、ギンカの身体が地面へと落ちる。
「……竜炎……っ、灰、滅……っ!」
少し離れた壁際から、弱々しい炎の明かりが灯り、仄白く暗闇を照らし出した。
「バカトカゲ、立ちなさい! お兄様を連れて逃げま――ッ!」
「見事なものだ。極低温による脆弱化を起こし、破壊したか」
「ど、うして――……!?」
再び私は彼女の首を掴まえた。
地面に転がっているはずの、錆びついた左腕で。
「『空っぽの鎧』が動いているんだ。千切れた腕が動いても不思議ではないだろう」
「――ば、けも……の……ッ!」
「ギンカ……ッッ!!」
「お、お兄、様……っ……」
吊り上げられたギンカが、苦しげに顔を歪めながら彼のいる方へと手を伸ばす。
広場の片隅、無力な少年――リンが。
自らの魂のすべてを振り絞るかのような、割れんばかりの声を、地底の底へと響かせた。
「待ってください……っ!! 僕は……あなたを救えます!!」
「……何だと?」
「ずっと、ずっと考えていたんだ……! あなたがどうして、僕の話を聞いた途端に豹変して、僕を殺そうとしたのか! その理由を、ずっと考えていたんです……!」
リンは、激しい痛みに耐えるようにボロボロの身体を震わせながら、地面に手を突き、必死に私を見つめていた。
「あなたは……その終わらない不老不死の苦しみから、解放されたかったんですよね!? 僕が持つ、この『継承』の力……! これこそがあなたを解放してあげられる力なんだ!」
「……君が、私を解放するだと? そんな戯言を――」
「戯言じゃないッ! 僕が、あなたの身体に宿る『力』を継承します! そうすればあなたは……普通の『人間』に戻れるんだ!」
人間、に。
普通の、人間に、戻れる――。
「…………」
無言のまま、ギンカの身体を、静かに地面へと降ろした。
そして――。
カラン、と。
広場に、乾いた金属音が響き渡った。
私の半身とも言える、錆びついた大剣が地に落ちた。
そのまま重い音を立てて、その場に両膝を突き、崩れ落ちる。
そして縋るように、震える手で彼の肩を掴んだ。
「……ああ、本当か……。ようやく……ようやく私は、終われるのか……?」
兜の奥、闇に閉ざされた視線の先に、初めて「熱」が宿る。
「――お願いだ……っ! 私を、私を助けてくれ……っ! この呪われた鉄の棺から、私を、解放してくれぇぇぇぇーーーーーーっっっ!!!」
それは伝説の勇者の言葉でもなければ、血も涙も流さない、無機質な鎧の言葉でもない。
永すぎる夜に疲れ果て、ただ静かな眠りと温もりを求め続けた――一人の「人間」の悲鳴だった。
第36話お読みいただきありがとうございました。
次回、悪魔の力。
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