あたしに考えがある。
「覚悟なさい、鉄棺の勇者――ッ!!」
広場の空気を一瞬で凍結させるような、ギンカの鋭い叫びが響き渡った。
壁際に吹き飛ばされた僕は、お腹を抱えて泥の中にのたうち回りながら、必死にその光景を目に焼き付けようとしていた。
レドの一撃で肺の空気をすべて搾り取られ、呼吸すらまともにできない。
視界がチカチカと明滅するほどの激痛の中で、網膜に映ったのは、爆発するような白銀の魔力だった。
ギンカが白銀の和剣を美しく一閃する。
刹那、薄暗い坑道の中に無数の氷の刃が顕現し、猛烈な吹雪となってレドの巨躯へと襲いかかった。
キィィィィン、と鼓膜を突き刺すような凍結音が連続して鳴り響く。
瞬く間に、レドの纏う分厚い重装大鎧は白く凍てつき、巨大な氷の棺へと変貌した。
「あっけないものですわね。氷の棺の中で、静かに眠りなさいな」
ギンカが冷ややかに言い放ち、剣を引き戻す。
並の勇者であれば、この一撃だけで魂まで凍りつき、二度と動くことは叶わなくなるはずだった。
――だが。
メキ、メキメキキィンッ!!!
不気味な、硬い物質が内側から強引に破壊される音が、静かな広場に響き渡る。
凍りついたはずの鋼鉄の巨躯が、自らを拘束していた絶対零度の氷をパキパキと強引に砕きながら、何事もなかったかのように一歩前へと足を踏み出したのだ。
ギチ、ギチリ……と、錆びた鉄と鉄が擦れ合う嫌な金属音が、先ほどよりもさらに重く響く。
その歩みには、一切の躊躇いも、痛みに怯える様子もなかった。
ただ淡々と、機械のように、僕たちの元へ向かって前進を続けている。
「なっ……!? 私の凍結を、ただの腕力で……っ!?」
「どいてろ、クソ犬! 鎧野郎ってのはね、こうやってお仕置きするもんなのよォ!!」
驚愕に獣耳を跳ね上げるギンカの身体を、カレンが容赦なく横から突き飛ばして前に出た。
カレンの瞳が、怒りの熱量で獰猛な紅蓮の輝きを放つ。
彼女が大きく胸を反らし、その小さな口を大きく開いた。
ゴォォォォォォォォォォッッッッ!!!!
放たれたのは、すべてを瞬時に灰へと帰す、圧倒的な紅蓮の火炎放射。
広場を埋め尽くさんばかりの猛烈な熱波が吹き荒れ、空間の酸素さえも一瞬で焼き尽くしていく。
カレンの放った炎の濁流は、前進を続けていたレドの巨躯を完全に包み込み、彼を真っ赤な炎の渦へと飲み込んだ。
「ふん! 蒸し焼きよ!」
カレンが勝ち誇ったように笑う。
これほどの近距離で火竜の炎を浴びて、無事でいられる生物など、この世界には存在しない。
――だが。
――ズバァンッッ!!!
突如、地鳴りのような凄まじい風切り音が響き渡った。
赤黒い錆に塗れた、あの巨大な鉄塊――レドの大剣が、炎の渦の内側から無造作に一閃されたのだ。
その一振りによって、広場で猛り狂っていた紅蓮の炎は、まるで蝋燭の火を吹き消すかのように無残に、完全に掻き消された。
再び、広場に一瞬の、不気味な静寂が訪れる。
熱風が嘘のように消え去った中心、レドの鎧は赤く熱を帯びてはいたが、その足取りが乱れた様子は微塵もなかった。
「はぁ!? 嘘でしょ、あたしの炎をただの素振りで消したわけ!?」
「私はもう、暑さも寒さも感じなくなっているのだよ。……今となっては、少しだけ恋しいとさえ思うがね」
兜の奥の深い闇から、レドのどこまでも平坦な声が響く。
自分の肉体でありながら、まるで他人事のように、不気味なほどに冷え切った声。
「だったら、その枯れ果てた恋心ッ! あたしが骨の髄まで真っ黒に成就させてやるわよォ!!」
カレンは即座に地を蹴り、レドの懐へと潜り込んだ。
大剣の間合いの内側。
彼女は自らの左腕に、火竜の力を極限まで凝縮させる。
岩石をも粉砕するその一撃を、レドの無防備な胴体へ叩き込もうとした、まさにその瞬間だった。
「お止めなさい、おバカ!」
「ぎゃふっ!?!?」
背後から飛来したギンカの氷の礫が、カレンの後頭部へとピンポイントで直撃した。
あまりの衝撃にカレンの身体が前のめりにブレて、必死の一撃の勢いはピタリと霧散してしまう。
「……賢明な判断だ」
レドが静かに、錆びついた大剣を振り下ろす。
カレンは頭を押さえながらも反射的に防衛の構えをとった。まともに受ければ身体ごと叩き潰されると直感したのだろう。
ガギィィィィンッ!と激しい火花を散らせながら、大剣の放つ圧倒的な質量を、自らの刃を傾けることで側方へとどうにか受け流した。
「君も、良い腕をしている」
カレンの身体が横へと大きく弾かれ、壁際まで後退する。
「なんで止めるのよ、クソ犬!! あんなボロカス鎧、粉々にしてやったのに!」
「この単細胞のトカゲ頭! こんな狭い坑道の中で、爆発を起こしたらどうなるか少しは考えなさい!」
「このエリア一帯が激しい崩落を起こすかもしれない。そうなれば、全員が瓦礫の下で生き埋めになる」
カレンは悔しそうに言葉を詰まらせた。怒りで周囲の状況が見えなくなっていたのだ。
「だったら――」
「カレン……っ。ケホッ、ゴホッ! 大丈夫……だから。二人とも、僕のことは気にしないで、落ち着いて……っ」
僕は喉の奥からせり上がる血の味を堪えながら、必死に二人に声をかけた。。
「お兄! でも、死にかけの爺みたいな声してるよ! 早くこいつをぶっ倒して治療しないと……っ」
「いいえ。お兄様の言う通り、頭を冷やしなさい。逸る気持ちは私も死ぬほど分かりますが、やはり、正面から簡単に処理できる相手ではありませんわ」
二人は静かに、再び前進を始めた闇の奥の巨躯を見据えた。
ガシャ、ガシャ、と重厚な鉄の擦れる音が、坑道の壁に反響して不気味に増幅される。
彼の一歩一歩が、まるで僕たちの命のカウントダウンを刻んでいるかのようだった。
「……クソ犬。ちょっとだけでいい。時間を稼いで。あたしに考えがある」
「あまり長くはもちませんわよ。正直に言って、生気を感じられない相手は苦手ですの」
ギンカの獣耳が、不安げに細かく震えていた。
不気味なほどに無機質で、哀れなほどに無感情。生きている感覚が、そこには一切ない。
「ちょっとでいい。あのボロカス鎧に泡吹かせてやる」
「なにをするつもりなのか、具体的に――」
「話し合いは、終わったかな」
レドの言葉には、やはり憎しみも怒りもない。
だが、確実に相手の命の灯火を消し去る一閃が、ギンカの首元を襲う。
「そんな有意義な対話ではありませんのよ、鉄棺の勇者!」
ギンカは鋭い本能で間合いを見極め、無駄のない動きで躱す。
同時に足元から氷の槍を突き立て、レドを貫いた。
――だが、無意味。
氷の槍は鎧に触れたそばから根本から崩れ、粉々に砕け散った。
「止められないなら、こんなのはいかがかしら!」
ギンカが剣を地面に突き立てると、広場全体に濃密な白い氷霧が立ち込めた。
そこは蒼月ノ勇者の独壇場、狼の狩場。
視界を完全に遮り、音を殺し、気配を断って背後から奇襲を仕掛ける。
ギンカはレドの真後ろから、首筋の隙間を目掛けて必死の一撃を突き出した。
――しかし。
「無駄だ」
ガギィィィンッッ!!!
レドは振り返ることもせず、容易くその一撃を弾き返した。
大剣から伝わる地響きのような衝撃をまともに受け、ギンカは壁際まで吹き飛ばされる。
「なぜ後ろから来ると――」
「――安らかに」
片膝をついたギンカの眼前に、巨大な錆びた鉄塊が振りかぶられた。
「……眠ってたまるか、ですのッ!!」
ギンカは白銀の魔力を限界まで絞り出し、氷の盾を顕現させ、大地を粉砕する一撃を辛うじて防ぐ。
だが、氷はみるみるひび割れ、押しつぶされるのは時間の問題だった。
だが、彼女が稼いだ数秒は、十分すぎた。
「――そこから動くな、クソ犬ッ!!!」
大鎧の背後から、カレンの叫び声が響き渡る。
カレンは胸を反らし、大きく息をため込んだ。
「――『竜閃』」
赤い瞳が、真っ直ぐにレドの背中を捉える。
「――『灰滅』ーーーーッッッ!!!」
放たれたのは、太陽の核をそのまま削り出してきたかのような、眩い白銀の超高温熱線だった。
その光の濁流は、一直線にレドの心臓部――鎧を背中からぐじゅりと溶かし、胸板をも貫いた。
あまりの光量に、目を開けていることすらできない。
轟音が収まったとき、体の中央に、数十センチの巨大な風穴を開けたレドが立ち尽くしていた。
向こう側の景色が、くっきりと透けて見えている。
「……ふぅ。一生寝てろ、ボロカス大鎧」
カレンが肩で荒い息をつきながら、剣を地面に突き立てた。
「遅い、遅すぎますのよ、バカトカゲ! もう少しで本当に潰されるところでしたわ!」
「しょうがないでしょ! 火力を集中させるのにちょっとコツがいるんだからこれ!」
「それならそうと、もっと具体的に伝えなさい! もう少しであの化物、に――……」
ガシャ、ガシャ、と。
絶望的な、あの重厚な鉄の擦れ合う音が、再び坑道の中に不気味に響き渡る。
聞きなれたそれは、だが、先ほどまでより、更に不気味に際立った。
大鎧は、歩みを止めなかった。
胸に巨大な風穴を開けたまま、何事もなかったかのように、再びじりじりと僕たちの元へ向かって歩みを進める。
「な……っ!? 嘘でしょ? ……どうして動けるのよ!?」
カレンが、驚愕に顔を戦慄かせて一歩後退する。
風穴の奥。
立ち上る硝煙の向こう側に見えたのは、焼けた人間の内臓でも、砕け散った骨でもなかった。
ただの、暗い、何も存在しない虚無の空洞。
その大鎧の中身は、血の一滴すら流れていない。
最初から――「空っぽ」だったのだ。
「いい加減、理解しただろう」
レドの大兜が、ゆっくりと僕たちを見下ろす。
「私を止めることはできない」




