まるで怪獣大戦争だな。
第27話です。
前回、柔らかいお兄ちゃん。
今回は、妹たちの衝突から。
「ギンカ! 悪ふざけは終わりだ!」
「悪ふざけではありませんわ。これは、必要なこと、ですの」
「必要なこと……?」
僕の手首を掴んでいたギンカの白く細い指先が、ようやくするりと離れていく。
それと同時に、ついさっきまで僕の右手のひらを完全に支配していた、あの柔らかくて、熱い桃色の感触が去っていった。
……解放された安堵感。だが、指先はどこか寂し気に空をさまよった。
感慨も束の間、衣服の隙間から入り込んできたのは、肌を容赦なく刺すような、皮膚がピキピキと凍りつくような凶悪な冷気だった。
一瞬にして辺りの空気が重く、冷たく、静まり返っていく。
「名残惜しいですが、続きはまたの機会に。お兄様が望まれるのであれば、私はいつでも、どのような形でも」
ギンカは妖艶で、どこか退廃的な微笑を浮かべたまま、流れるような美しい所作で立ち上がった。
彼女の右手には、いつの間にか透明に透き通るような、美しい氷の長剣が握られている。
その刃から放たれる青白い冷気だけで、周囲の草むらが白く結晶化していく。
「そこを退いて、お兄……っ! その盛りついたクソ犬を消し炭するから!!」
彼女が構える剣が、内側から噴き出す紅蓮の焔によって、ドクドクとマグマのように赤熱していく。
それはもはや「剣に火を纏わせている」などという生ぬるいレベルではない。
火竜の息吹そのものを、極限まで圧縮して剣という形に凝縮したような、文字通りの暴虐な熱の塊。
じりじりと肌を焼く熱波が、凄まじい風圧となって僕の顔を打ち据える。
「相変わらず品のない言葉ですこと。お兄様、下がっていてくださいませ」
対するギンカは、氷の長剣を優雅な所作で構えてみせた。
その瞬間、彼女の周囲だけ、すべての時間の流れが停止したかのような、絶対的な静寂が支配する。
足元から急速に広がる白銀の霜が、カレンの放つ圧倒的な熱波を真っ向から押し返し、空中でバチバチと火花を散らせていた。
「お兄は、あたしが守るの! あんたみたいな泥棒犬は、さっさと消えなさい! さもないと……!」
「ふん。相変わらず脳みそまで焼け爛れていますのね。先ほどの無様な敗北をもう忘れてしまったのかしら?」
――次の瞬間、彼女が地を蹴った。
ドンッ! という鼓膜をぶち破るような爆音とともに、カレンの身体が視界から消える。
火竜の翼を幻視させるような炎の軌跡を空間に描きながら、超高速の破滅的な斬撃がギンカへと襲いかかった。
――ギィィィィィィィィィィィィンッッッッ!!!!
世界の終わりを告げるような激しい金属音が響き渡る。
火花と、粉々に砕け散った巨大な氷柱が、同時に周囲へと激しく飛び散った。
赤く燃え盛る大剣と、透き通るような白銀の氷の刃が、真っ向から噛み合っている。
接触面からは、熱と冷気の衝突によって猛烈な水蒸気が爆発的に噴き出し、一瞬にして二人の姿を真っ白な霧の向こう側へと隠してしまった。
しかし、霧の向こうから聞こえてくるのは、のんびりとしたお喋りなどではない。
お互いの命を容赦なく削り合う、鋭く、重い風切り音。
そして、肉体そのものを破壊せんとする激しい激突音の連続だった。
「……まるで怪獣大戦争だな」
僕は呆然と呟きながら、地面へと這いつくばっていた。
天を衝くほどの炎を撒き散らすドラゴンと、あらゆる大地を一瞬で凍てつかせる氷のフェンリル。
その二大天災の激突による余波に巻き込まれて、こうして地を這う虫のように小さくなっているしかなかった。
情けないけれど、これが僕の現在地だ。
「……二人とも、怪我しないといいんだけど」
二人のこういう衝突は、今に始まったことではない。
子供の頃から、何かにつけてはこうしてぶつかっていた。
ある意味では、いつもの日常。妹同士の、ちょっと過激なじゃれ合い。
だからこそ、どこかで「いつものことだ」という変な安心感さえあった。
だが、それでも。
僕の肌をチリチリと焼く本物の熱風と、吸い込むだけで肺までガチガチに凍らせそうな冷気が、残酷な現実を突きつけてくる。
今の二人は、僕の大切な妹、幼馴染であると同時に、最強クラスの「勇者」なのだ。
今の戦いが、お互いにどれだけ手加減をしているのか、それとも本気で殺し合っているのか、僕の実力では判別することすら叶わなかった。
「強くなったよなぁ、二人とも……」
迸る炎が地を真っ黒に焦がし、舞い散る氷が空を十文字に引き裂いていく。
完全に、置いていかれてしまった。
そんな実感が、胸の奥を重く締め付ける。
喉の奥に、苦くて、酸っぱい感情がじわりとせり上がってきた。
悔しくないと言えば、それは嘘になる。
かつては僕の後ろに隠れて震えていたはずの妹たちが、僕の手の届かない遥か彼方の高みへと羽ばたいてしまったことへの、どうしようもない寂しさもある。
けれど。
それ以上に、僕の胸の大部分を占めていたのは、胸が熱くなるほどの圧倒的な「誇らしさ」だった。
こんなに強く、誰よりも気高く、恐ろしいほどの輝きを放つ二人が、今でも変わらずに、僕のことを「お兄」「お兄様」と呼び、何よりも深く慕ってくれている。
その事実が、僕にとっては何よりも誇らしくて、嬉しかった。
カレン、ギンカ。
僕にとって、二人はあまりにも眩しすぎるほどの、最高の“憧れ”なんだ。
「……だからって、このままずっと、守られるだけの存在でいる気はないけどな」
僕は震える指先に力を込め、地面の泥を強く掴んだ。
いつか、この異次元すぎる二人のじゃれ合いの中に、笑顔で割り込んで仲裁できるくらいに。
僕が持つ、この「継承」の力が、いつか二人を絶望から救い出すための本当の力になると信じて。
前を向いて、自分らしく、今できることを、一生懸命に。
憧れの背中に追いつくその日まで、僕は僕の戦いを、絶対にやめない。
「おーいっ!! 喧嘩はそこまでにして、カレンが取ってきてくれたこのギリギリ食べられそうなキノコをみんなで食べよう!!」
激しい爆風と猛烈な冷気が竜巻のように渦巻く中心に向かって、僕は精一杯の声を張り上げた。
僕が両手に掲げたのは、先ほどカレンが採ってきてくれた、どう見てもやばそうなキノコたち。
右手に鮮烈な赤、左手に鮮明な青。
「……あのー、お兄ちゃん、お腹空いたから全部一人で食べちゃうぞー? いいのかー?」
「泥団子に相性差で勝てたからって、調子に乗んじゃないわよ、この発情デブスクソ犬!」
「あら、負け犬の遠吠えが聞こえますわね。一生そうやって、お兄様の後ろで鼻水垂らして泣きべそかいてなさいな! このガリバカザコトカゲ!」
……ダメだ。まったく聞こえていない。
二人のじゃれ合い(殺し合い)はヒートアップする一方であり、止まる気配が微塵も感じられない。
飛び交うセリフの語彙力こそ子供の喧嘩レベルで最低なのだが、そこから放たれる攻撃の余波だけで、周囲の広大な森が消し飛ぶほどの規格外のスケール。
下手に僕がこのまま間に入って仲裁しようとすれば、触れた瞬間に肉体が消滅しかねない。
「……よし。少し二人が疲れて、落ち着いてから止めに入ることにしよう」
僕は諦めて地面にどっかりと腰を下ろし、手元のキノコたちをじっと見つめた。
バチバチと背後で炎と氷が爆ぜる音を聴きながら、僕は手の中の物体に意識を集中させる。
「ん? よく見るとこのキノコ……」
まずは、右手の赤いキノコ。
全体に毒々しい黒い斑点が一面に入っており、傘の表面からは無数の鋭いトゲがびっしりと生えている。
まるで「私に近づくな」「触るものすべてを傷つけてやる」と、世界全体を拒絶しているかのようだ。
「……ふふ。なんか、放っておけないんだよな」
僕は少しだけ、愛おしさを込めて苦笑いをした。
僕は知っているからだ。
こんな風に、周囲に対して攻撃的なオーラをこれでもかと放ち、棘で身を護りながら、だけど本当の内側は、誰よりも寂しがり屋な女の子のことを。
君(赤いキノコ)も、カレンと同じように素直になれなくて、ずっと寂しい想いをしてきたんだろう?
「じゃあ、こっちの青いキノコは……」
今度は、左手の青いキノコに視線を移す。
流麗で、冷徹な一筋の白いラインが美しく入っており、触れることすら躊躇わせるほどの、圧倒的な孤高を演出している。
けれど。
「いや、違うな。これもきっと、同じだ」
孤高。冷徹。
そんなものは、周囲の人間が勝手に彼女に押し付けただけのイメージに過ぎない。
本人が望んでそんな風に冷たくなったわけじゃないんだ。
世界から“そう”だと定義され、そう扱われたから、生きるために“そう”なるしかなかった。
本当は誰よりも、誰よりも優しく抱きしめられる温もりに飢えているのに。
「……よし。ちょっとだけ、味見してみよう」
僕は赤いキノコを、思い切って一口齧ってみた。
「あむっ。もぐもぐ、もぐ……」
その瞬間。
「んんんんっっっ!?!?!? こ、これは……っ!!」
辛いっ!!!!!
口の中に入れた刹那、まるですべての粘膜を焼き尽くすかのような、暴力的なまでの辛みの衝撃が脳髄を直撃した!
穴という穴から体液が溢れ、あまりの刺激に意識が飛びそうになる。
けれど、痛みに耐えながら、彼女を抱きしめるように、必死になって奥歯で何度も噛み締めると――。
次の瞬間、全く別の新たな一面が、怒涛の勢いで顔を出した。
旨い。圧倒的な、旨味の暴風雨。
辛さの向こう側に隠されていた、脳の報酬系を直接焼き切るような、爆発的な旨味が口いっぱいに暴れ狂い始めたのだ!
一度噛めば、もう止まらない。癖になる、暴虐的な旨味。
「はぁ、はぁっ、あむっ、もぐもぐ、もぐもぐ……っ!」
口内を支配する辛みと旨味のループから、どうにかして逃れるため。
僕はすがるような思いで、もう片方の左手――青いキノコへと喰らいついた。
――サクッ。
刹那。
舌の先から喉の奥、そして胃袋の最深部に至るまでを一直線に突き抜ける、極大の清涼感が僕の全身を貫いた!
さっきまでの灼熱の辛みが、一瞬にして冷やされ、世界が静寂に包まれていく。
「……へへ、見つけたぞ」
けれど、僕は知っている。
ただ冷たいだけじゃない。温めるように、優しく舌の上で転がすと、その隠された真実が暴かれた。
蕩けるような、どこまでも濃厚な甘味。
「孤独」という名の氷を、僕の体温でじっくりと溶かしてあげると、そこから解放された極上の甘味が、歓喜のダンスを踊るように僕の味覚を優しく満たしていく。
熱い旨味と、冷たい甘味。
「……ごくり」
僕はすっかり、目の前の未知の味覚へと完全に夢中になっていた。
虜になる、いや、その圧倒的な魅力に取り込まれたと言ってもいい。
そこで、僕の脳内に、一つの邪悪で、魅力的な疑問が浮かび上がってしまった。
この、お互いに反発し合う、炎と氷のような二つのキノコを。
もしも同時に、いっぺんに口の中に放り込んだら、一体どうなってしまうのだろう……?
視界が妙にチカチカとぼやけ、手元は酷く、ガタガタと震えていた。
生物としての、生存本能のすべてが「今すぐそれを止めろ!」と全力で警鐘を鳴らしている。
冷や汗が止まらない。絶対に止めておくべきだ。こんなの、ただの自殺行為だ。
けれど――兄として、二人のすべてを受け止めるのが、僕の役目なんじゃないのか!?
「あむっっ!!! もぐもぐ、もぐもぐ、もぐっっっ!!!」
僕は残りの赤と青のキノコを、すべて同時に口の中へと放り込んだ。
その禁忌の代償が、決して安くはないものだと、本能で理解していながら。
僕がその「神への冒涜」とも言える行為を冒した、まさにその瞬間。
奇しくも霧の向こうで、カレンの紅蓮の剣と、ギンカの白銀の剣が、真っ向から全力で衝突し、世界全体を真っ白に染め上げる巨大な閃光が走った。
それと完全に同期するように。
「んんっ!? んあ、が、あぁぁぁぁぁーーーーーっっっっっ!!!」
二つの相反するエネルギーが、激しく暴れ回り始めたのだ!
圧倒的な辛みに負けじと、絶対零度の清涼感が体内を駆け巡り、その清涼感を追い越そうと、今度は内臓のすべてを焼き尽くすような辛みが爆ぜる。
混ざり合うはずのない二つの異次元のエネルギーは、僕の小さな身体の中で無限に増幅を繰り返し――。
次の瞬間、僕の脳内で、ビッグ・バンが引き起こされた。
「お兄ぃ!? どうしたの!? 何があったの!?」
「お兄様ァ!? いけない、これは重篤なショック状態ですわ! 今すぐ衣服をすべて剥ぎ取って、私の体温で温めないと死んでしまいますわ!!」
「どけっ、この淫乱冷やしクソデブ犬!! お兄を温めるのはあたしの役目に決まってるでしょ!!」
「いいえ! 私のようなボリュームを持つ“肌”の温もりが必要不可欠ですの! 引っ込んでいなさいな、この脳無しヒョロバカトカゲ!!」
意識が完全に遠のいていく、最後の最後の瞬間。
僕の心は、不思議とこの上ない幸福感で満たされていた。
どこまでも広大で、美しい、旨味と甘味が交差する宇宙の真ん中で。
僕の魂はゆっくりと漂い、二人の妹たちの愛の中に、静かに溶けて消えていったのだ。
第27話お読みいただきありがとうございました。
次回、作戦会議。
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