女とは常にそうなのだ。
第25話です。
前回、大ピンチなお兄ちゃん。
今回は、蒼月対翠玉から。
この程度、我々にとってはなんの問題もない。
確かに首を刎ねられ、肉体を冷気でガチガチに結晶化させられました。
しかし、流動する水の本質を持つ我々は違います。
凍りついた部位を瞬時に切り捨て、少し離れた場所に待機させておいた別の我々へと、滑らかに意識の主導権を移行させる。
それはまるで、演奏の途中で弦の切れた古びた楽器を捨て、新しい楽器へと持ち替えるかのような、ごく自然で、退屈な作業に過ぎないのです。
「……よくも、我々の神聖な儀式を――」
「お兄様っ! ……クンクン! クンクン、クンクンッ!ああっ、はぁ……! すっごい濃厚ですわ……! お兄様の極上のスメル……っ! 今すぐ、その薄汚い首に絡みついた触手を剥ぎ取って差し上げますわね!」
銀髪に獣の耳を宿した少女――蒼月ノ勇者は、地面に倒れ伏すリンの元へと瞬時に滑り込み、その身に自身の鼻を狂ったように擦り付けていました。
クンクンと鼻を鳴らすその姿は、およそ優雅な衣服には似つかわしくない、発情した獣そのもの。
彼女がリンの首元に残っていた触手の残骸に、その白い指先でそっと触れる。
刹那、我々の細胞は一瞬にして分子レベルまで完全に結晶化し、ガラス細工のように儚く、粉々に砕け散った。
「……クソ犬……っ! あんた、どうして……っ!?」
カレンの声が響く。
だが、蒼月の瞳がそちらを向くことはなかった。
彼女の視線は、病的なまでの狂熱を帯びたまま、気を失っているリンの穏やかな寝顔のみを、貪るように見つめ続けている。
「あら? そこにいたのは、バカトカゲさんでしたの? めそめそと無様に泣き崩れている情けない姿が、ほんの少しだけ視界の隅っこに入っていましたが……まさか、あなたでしたのね」
「なっ……!? な、泣いてない……っ!」
カレンの顔が、屈辱と怒りでカッと真っ赤に染まる。
彼女は先ほど我々に絶望させられ、ボロボロと流していた頬の涙を、衣服の袖で乱暴に拭い去った。
必死に虚勢を張り、鋭い視線を向け返す。
「そうでして? 『お兄をがえじでぇ~、やめてぇ~』なんて、哀れな叫びが聞こえた気もいたしましたが……空耳でしたのね」
「…………ッッ!!」
完全に図星を突かれたカレンが、悔しさに唇を血が出るほど噛み締め、言葉を詰まらせる。
その様子を鼻で笑いながら、蒼月はリンの身体を愛おしそうに抱き上げ、自身の豊満な胸の中へと深く抱き寄せた。
それはまるで、手に入れた極上の宝物を、誰にも渡さないと周囲を威嚇する、強欲な子供のようでした。
「そうですわね。強請って、願っても、本当に欲しいものは手に入りませんの。……そんなものは弱者のすることですわ」
リンを見つめる蒼月の瞳は、夜空に浮かぶ満月のように美しい。
だが同時に、あまりにも冷酷で、独善的で、傲慢さに満ちあふれている。
「欲しいものは、奪い取る。どんなに手を使ってでも」
彼女はリンを、壊れ物を扱うようにそっと柔らかな草むらの上へと寝かせると、ゆっくりと立ち上がった。
そして、その手にある白銀の和剣を、カレンの鼻先へと寸分の狂いもなく突きつける。
「そんな無様な弱音を吐くくらいなら、さっさとこの場から失せなさいな。これからは、この私が、私だけが、お兄様を完璧にお守りして差し上げますわ」
「……寝言言ってんじゃねぇよ、クソ犬。お兄は、あたしが守る。……そこを退かないっていうなら、あんたもまとめて灰滅する」
「やってみなさいな。できるものなら、ね」
氷と炎。
相反する絶対的な二つの権能が、至近距離で激しく衝突する。
大気がチリチリと悲鳴を上げて歪み、周囲の空間が熱気と冷気の間でガタガタと震え始めた。
――……無視、ですか。
我々の神聖な儀式を邪魔し、我々の肉体を切り刻んでおきながら、こちらの存在を完全に無視して、女同士の身勝手なキャットファイトを始めようというのか。
女とは常にそうなのだ。
自分勝手な感情だけで喚き散らし、物事の順序というものがまったく分かっていない馬鹿ばかり。
「我々を……あまり舐めるなよ、小娘共がァッ!!」
我々は、再生の力を限界まで加速させ、肥大化させた右半身から、無数の鋭利な触手を生成した。
それらを鋼鉄の槍のごとき速度と威力で突き出し、蒼月の完全に無防備な背後へと一斉に殺到させる!
「クソ犬! 後ろ!!」
カレンの鋭い警告の声。
しかし、蒼月は驚く様子もなく、ただ「あら?」と、極めて退屈そうに呟いただけでした。
彼女が振り返り様に、流れるような動作でその美しい腕を振るう。
その軌跡を追うようにして、空中へ無数の氷の刃が顕現した。
――『狼の爪』。
凍てつく鋭利な爪が、我々の放った無数の触手へと正確に突き刺さる。
次の瞬間、触手の内部を流れる水分が一瞬で凍結し、その表面から蒼く、美しい氷の結晶の花が次々と咲き乱れていきました。
衝撃を与えるまでもない。凍りついた我々の触手は、自らの重みに耐えかねて、パキパキと音を立てて砕け散っていく。
「まだ生きていましたのね。本当に、害虫のような生命力ですこと」
「翠玉……ッ!! あんたは、あたしが今度こそ――」
カレンが剣を逆手に構え、我々に向けて飛び出そうと地を蹴る。
だが、その進路を遮るように、蒼月が冷たく、鋭い言葉で制しました。
「引っ込んでいなさい、バカトカゲ。涙でしけった消えかけの焔では、何の役にも立ちませんの」
「なっ……っ!?」
「それに――」
蒼月が和剣を静かに構え直す。
その瞬間、彼女の足元から、周囲の湖面、生い茂る草木、そしてこの空間を流れる空気そのものまでもが、一瞬にして白く、冷たく染まり始めました。
それはカレンへの嫌がらせでも、我々への安い挑発でもない。
「お兄様を傷つけられて……ブチ切れているのは、あなただけではありませんのよ」
それは、ただただ純粋な、自らの至高の宝物を汚されたことへの、底の知れない憤怒。
彼女の瞳から放たれる冷気は、明確な「殺意」を持って我々の皮膚をチリチリと引き裂いてくる。
「あなたはお兄様の横で、大人しく暖房にでもなっていなさいな。どれだけしけっていようとも、その程度の役割くらいは、果たせるでしょう?」
カレンは悔しそうにギュッと唇を噛み締め、持っていた剣を引き下げた。
彼女はすぐさまリンの元へと駆け寄り、その身体を壊れ物を扱うように、大切に、大切に抱きしめました。
自らの体温を分け与え、彼の無事を確認するように。
「……負けるんじゃないわよ。クソ犬」
「あら? やはり別人かしら。私の知る紅蓮の勇者は、もっと生意気で、図々しくて、反吐が出るほど不快だったはずですもの」
「死ね!! クソ犬!!」
「フッ。死にませんわ。この胸に滾る、熱い想いを届けるまでは」
「ええ、そうですね。あなたは死にませんよ。我が永遠の再生がもたらす、終わりのない痛みと絶望の中で、泣き叫び続けることに――」
我々は、さらに湖から大量の水流を引き寄せ、三度攻撃を仕掛けようと肉体を膨らませた。
数の暴力。再生の無限性。それこそが我々の最大の武器。
「耳障りな口を開くなと、言いましたわ」
言葉が途切れる。
気づけば、足元の地面から、無数の巨大な氷の棘が、植物の根のように急成長して突き出してきていました。
それは我々の肉体を容赦なく貫き、内側から細胞のすべてを凍結させていく。
水の一滴、振動の一音すらも零れることを許さない、絶対的な静止。
「無駄、だ……っ!我々は、まだ……いくらでも、再生を――」
「ええ、そうですわね。まだまだ足りませんわ。私があなたに与えるべき痛みも、恐怖も、苦しみも、絶望も……そのすべてが」
我々は必死になって意識を移行させ、新たな肉体を構築しようと試みた。
しかし、「狼」の感覚は、我々の思考の速度すらも凌駕していた。
意識を移した瞬間に、白銀の刃が虚空を裂く。
構築されかけた我々の肉体が次々と、容赦なく斬り捨てられ、引き裂かれ、貫かれ、砕かれていく。
我々が死を迎えるたびに、その場所には蒼く、冷たい氷の花が美しく咲き乱れた。
それはまるで、我々の無様な死をせせら笑い、手向けるかのような、残酷なまでの芸術。
「ええ、そうですね、ジャック。このままではジリ貧です。やりましょう、タッカー。あの女を、肉の塊にしてやるのです」
絶望的なまでの、相性差。
先ほどまで、炎に対して我々が圧倒的な優位を誇っていたように。
この蒼月の氷に対して、水の本質を持つ我々は、あまりにも相性が悪すぎる。
認めましょう。
“人間の形”を保ったままでは、我々は逆立ちしたって、あの蒼月の勇者には敵わない。
「フン。芸のない、本当につまらない男ですわね。女性からは見向きもされなかったのでしょう?」
「……ならば、聴かせてあげましょう! 我々の全霊を懸けた、究極のオーケストラを!!」
我々は、この湖の周辺に散らばる、すべての我々を、ここ一点へと集結させる。
ドロドロとした緑色の粘液が、天を突くほどの質量となって膨れ上がり、形を成していく。
湖の半分を埋め尽くすほどの、巨大な頭部。
一本一本が大樹ほどもある、蠢く八本の凶悪な触腕。
そしてその肉体の表面には、爛々と輝く無数の眼球が、不気味に明滅していた。
「巨大な……蛸? 醜悪な姿ですわね。反吐が出ますわ」
「女ごときが……! 我が至高の芸術を、その安い口で評するなァァァッッ!!」
女とは常にそうなのだ。
“私”が血を吐くような思いで紡ぎ出した詩を、音楽を、いつだって冷めたような、軽蔑に満ちた目で見下ろし、否定する!
我々の放った四本の巨大な触腕が、それぞれ独立した明確な殺意を持って、蒼月の頭上から同時に襲いかかる。
逃げ場など、地上のどこにも存在しない。フィナーレだ。
「一か所に固まってくれて助かりましたわ。……二人を巻き込まずに、あなただけを綺麗にミンチにする自信がありませんでしたもの」
我々の肉体に備わった無数の瞳は、その瞬間を確かに捉えていました。
――一瞬の、完全なる静寂。
世界からすべての音が消え去ったかのような、錯覚。
次の瞬間、空中で交差した蒼い閃光の残像と共に。
我々が放った巨大な触腕のすべてが、縦に、横に、無尽蔵に寸断されていきました。
何が起きたのか、脳の処理が追いつかない。
切断され、再生しようとする我々の細胞は、その結合の刹那に、再び絶対零度の冷気によって完全に凍結させられる。
バラバラになった巨大な肉塊は、地面へと崩れ落ちることすら許されず、不気味な形で空中に固定され、静止していました。
それは、悔しいほどに完成された、完璧なまでの「永遠の美」そのものでした。
女とは常にそうなのだ。
“私”が一生を懸けて積み上げてきた努力を、その圧倒的な才能だけで、いとも容易く超えていってしまう。
「終わりにしましょう。醜い蛸さん」
彼女の身体から溢れ出た冷気が剣を包み込み、その形状を変えていく。
現れたのは、彼女の身の丈を遥かに超える、巨大な氷の刃。
万物の命を刈り取る、死神の鎌へと変貌を遂げたその武器が、青白い光を放ちながら不気味に揺らめく。
「蛸ではない……ッ! 我々の……“私”の名は――」
「さようなら。醜い蛸さん」
三日月のような形をした巨大な氷の刃が、世界を薙いだ。
痛みない。
激しい苦しみも、同胞たちの声さえも、もう何も聞こえない。
ただ、どこまでも深く、冷たく、心地よい永遠なる静寂が身を包む。
「醜いあなたには、少しばかり勿体ない、美しい最後ですわね」
スッと背を向け、歩き出す蒼月の背後で。
巨大な蛸の怪物は、一瞬にして、無数の氷の結晶が組み上げられた、蒼く、どこまでも美しい巨大な花へと姿を変え、静かに咲き誇る。
今、私の拙い旋律に、しかし、これ以上ないほどに美しい、完璧なピリオドが打たれたのだ。
第25話お読みいただきありがとうございました。
次回、ギンカ。
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