勝ってるっつーの、バーカ。
第23話です。
前回、強烈なキックを放ったお兄ちゃん。
今回は、翠玉目線から。
「心配いりませんよ、アレックス。勿論です、ロナール。……ええ、聞いていますよ、ランドル」
脳髄の奥底から、無数のノイズが鳴り響いていた。
かつて我々と溶け合い、一つになった愛おしい同胞たちの声。
彼らは我々の内で生きており、我々の思考そのものであり、今もこうして賑やかに囁き合っている。
ジクジクと、肉体を苛む強烈な痛みが走る。
右腕の欠損。そして、股間へと叩き込まれた、あのあまりにも容赦のない、美学の欠片もない打撃。
凡人であれば、地べたをのたうち回って見苦しい悲鳴を上げ、涙と鼻水に塗れて許しを請う場面だろう。
だが、我々にとっては、この程度の激痛すらも単なる不協和音に過ぎない。
美しい旋律というものは、時として激しい転調を必要とするのだ。
破滅的な前奏曲があればこそ、終曲の美しさが際立つというもの。
地面に転がった、我々自身の右腕を静かに見下ろす。
断面からは、美しい緑色の液体が滴り、乾いた土を優美に濡らしていた。
(……ああ。それにしても、少し切り口が雑ですねぇ)
我々は、心の中で深く嘆息する。
紅蓮ノ勇者。カレン。
彼女の放つ熱量、火力そのものは確かに素晴らしい。
しかし、その扱い方があまりにも雑で、品性というものが決定的に欠落している。
美しさを伴わない力など、ただの暴力だ。芸術的な調べとは程遠い、ただの耳障りな爆音。
女性という生き物は、いつだってそうなのだ。
真に高尚な美を理解することができず、感情を爆発させてヒステリックに喚くばかりで、自らの過ちを認めようとしない。
それに比べて、目の前に立つこの少年――リン。
「……あなたに、話したいことがあるんだ」
鋭い刃を我々の喉元へと突きつけながら、それでも妹の暴走を制止し、対話を試みようとする彼を見る。
非力で、無能で、勇者としての資質など底辺。
しかし、あの獰猛な「竜」の首輪を握り締め、完璧にコントロールしてみせる異端の存在。
やはり、男の魂こそが美しい。
彼の胸の奥底に秘められた、泥臭くも切ないバラード。
我々を真っ直ぐに見つめるその静謐な想いは、我々の魂を激しく揺さぶり、歓喜の血を滾らせる。
我々の中の誰かが、脳内で狂ったように囁いた。
『分解せ。彼の肉を裂き、骨を砕き、その内臓が奏でる悲鳴を聴け』
また別の誰かが、愛おしそうに囁いた。
『愛でろ。その綺麗な瞳が絶望に染まるまで、徹底的に弄んでやるのだ』
(ふふ……実に面白い)
我々の内で、意見が真っ二つに割れた。
それ自体は珍しいことではないが、内包するすべての魂が一様に、一人の人間にこれほどの興味を持っている。これは我々の歴史の中でも、中々に稀有な事態だった。
「ええ、勿論。彼も喜んで迎えますよ、ヒューイ。……ええ、落ち着いてください、カイデン。焦る必要はありません」
我々は、襲いかかる激痛を忘我の境地へと変換し、楽しげに口角を吊り上げる。
まだ演奏は序盤に過ぎない。
さぁ、少年。共に美しい終曲へ向かうとしよう。
「とりあえず……あなたは、最初から僕たちになにを話すつもりだったんですか?」
リンの声が、静まり返った灼熱の空間に響く。
君は残酷なほどに優しく、そして滑稽なほどに悠長だ。
喉元に今にも首を撥ねんとする刃を突きつけられながら、なおも対話を望むというのか?
その矛盾した歪な旋律は、一体この戦場に何を生み出すというのだろう。
「無論、決まっているではありませんか。我々と共に行こう、と。あなたを我々の楽団へとスカウトするつもりだったのですよ。……しかし、私は美しくないものと、ヒステリックな女性は好まない。だから、あのようなアプローチをとったのです」
「……やっぱり、僕たちを最初から騙して、ハメるつもりだったんですね……!」
リンが悔しそうに奥歯を噛み締める。
その表情すらも、絵画のように美しい。
「騙してなどいませんよ。私はあなた方をこの美しい湖へと案内し、その汚れた身体を洗わせ、そして邪魔な紅蓮を水底で静かに始末しようとした。最初から最後まで、我々の行動原理は一貫していましたよ?」
君なら、理解できるはずだ。
非力だからこそ、頭脳を使い、理知的に物事を組み立てる君ならば。
そちらの、ただ怒りに身を任せて周囲を焼き尽くすことしかできない、脳まで筋肉でできていそうな彼女とは違うのだから。
「お兄、時間の無駄だよ。こんな頭のおかしい奴、相手にするだけ損だって」
カレンの持つ赤熱した剣の先端が、我々の頬の皮膚をチリチリと焦がす。
その熱量が、肌を刺す恐怖ではなく、心地よい刺激として脳を滑り落ちていく。
今にも、それこそ彼女がほんの少し指先に力を込めるだけで、我々の首は宙を舞うことになるだろう。
だが、リンは彼女の剣を手で遮り、なおも我々に問いを重ねた。
「……あなたは自分のことを、水と再生を司る勇者だって言いましたよね。じゃあ、あの湖から湧き出てきた泥人形たちも、あなたの力なんですか?」
「おやおや、我々をあんな『泥人形』などという、風情のない汚い言葉で飾らないでいただきたい」
「……あれは、あなたの能力で生み出したものなのか、と聞いているんです」
「少し違いますねぇ。あれらは元々、この島に集められた『勇者達』の成れの果てですよ。我々と出会い、意気投合し、共に永遠の合唱を奏でることに同意した、美しき同胞たちです」
その言葉を聞いた瞬間、リンの顔から完全に血の気が引いた。
驚愕に目を見開き、信じられないものを見るような目で我々を見つめる。
一方で、隣の彼女は、その身から放つ焔の輝きをさらに強め、怒りを内燃させていた。
面白い。これほどまでに至近距離にいながら、兄妹のリアクションがこうも対称的だとは。
「……つまり、あんたは最初から、お兄も“あれ”と同じ泥の化け物にするつもりだったってことね」
カレンの声は、すでに人間の出すそれではなく、地を這う竜の唸り声に近かった。
「なぜそれほどまでに憤慨することがあるのです? 少女よ。君は、そのお兄さんを、自らの命に変えてでも守りたい、永遠に自分のものにしたいと思いませんか? その歪で純粋な願いを、我々が叶えてあげようと言っているのですよ」
カレンの瞳の焔が、微かに揺らめいた。
図星、というわけだ。
彼女の内に秘められた、狂気的なまでの独占欲。我々はそれを瞬時に見抜く。
自己犠牲。あるいは純愛。
物語におけるそれは美しく描写され、観る者、聴く者に涙と感動を齎すが、現実におけるそれは全く美しくない。
なぜなら、それは自己の感情を満足させるための、極めて利己的で醜い執着に過ぎないからだ。
「生命とは、絶えず流れる水のようなもの。彼という、いつか枯れ果て、消えゆく小さな流れが、我々という広大な大河と一体になり、永遠を生きる。……これほど自然で、これほど美しい摂理が、他にありますか?」
「あんた、脳みそまで腐り果ててるんじゃないの……!」
「我々は決して腐敗などしない。感情に任せて喚くだけの、君のその空っぽな脊髄こそ、とうの昔に干からびているでしょうがね」
「やめ! やめやめ! ストップだ二人とも! 最初から理解し合うつもりなんてないから!」
お互いの殺気と言葉の応酬が臨界点に達する直前、リンが慌ててその間に割って入った。
そう。彼の言う通りだ。
人と人とが、言葉ごときで完全に理解し合うことなど不可能なのだ。
だからこそ、肉体も魂も、すべてを溶かし合って「一つ」になる必要があるというのに。
「そういえば、お兄さん。君も我々に『話がある』と言っていましたね。是非聴かせていただきたい」
「……あー、今言うとカレンに本気で殴られそうなんだけどな」
リンはそう言って、おずおずと隣の妹の様子を伺った。
カレンは凄まじい怒りを露わにしながらも、あくまでも兄の意思を最優先し、それ以上の手出しをグッと堪えている。
二人の関係性は、実に奇妙で、そして興味深い。
いっそ二人まとめて我々の一部として取り込んでしまえば、これまでにない面白いリズムが生まれるかもしれない。
「……僕は、“継承ノ勇者”です」
リンの口から語られたのは、驚くべき告白だった。
彼は、自らが持つ『他者の勇者の能力を自分に移し、相手の能力を消滅させる』という特異な権能について。
地獄のような殺し合いには抜け道があること。
そのすべてを、彼は淀みなく、細かに話し始めた。
魔王。
圧倒的な力を持つ理外の存在。
なるほど、実に興味深い。我々の胸が高鳴る。
その理外たる魔王が、この世界に刻もうとしている最終楽章。
それは一体、どのような絶望の音色を奏でるのだろうか。
是非とも、我々の耳で直接聴いてみたいものだ。
「……ふむ。お話は分かりました。それで、君は我々に、その『力を継承させろ』と、そう提案しているのかな?」
「そうです。あなたの言う『一つになる』っていう目的も、僕に力を渡すことで、ある意味で達成できそうじゃないですか? 無駄な殺し合いをするより、ずっと合理的だ」
我々は、しばらくの間、沈黙を守った。
そして――。
「…………フッ。なるほど。ふふっ、あははははははは!」
抑えきれない笑いが、喉の奥からせり上がってきた。
声を大にして、腹を抱え笑う。
「お兄、下がって。やっぱりこいつ、完全にイカれてる」
「…… 僕、そんなに面白いこと言いました?」
「ああ、失礼。お気に障ったら謝りましょう。そうですねぇ、君は……あまりにも大きな勘違いを、二つもしているのですよ」
「勘違い……?」
「一つ。君はこの島を惨烈な“地獄”だと、ここにいる全ての勇者が絶望していると思っている。……それは傲慢というものだ。我々はこの“楽園”を、これ以上ないほどに気に入っているのですよ」
我々は両手を広げ、この灼熱と化した湖畔の空気を深く吸い込む。
「ここには、我々の芸術を咎める邪魔な規則も、鬱陶しい衛兵も、法も存在しない。あるのはただ、他者を喰らい、自らを高めるという、ごくシンプルで美しいルールだけだ」
我々の奏でる音楽を、この場所だけは、決して否定しない。
ここは我々にとって、最高の演奏会なのだ。
「……次の王都の法改正には、精神鑑定を勇者の必須事項にする項目を絶対に入れてもらおう」
「そんなもの。自身を異端だと思い込む、哀れで凡庸な勇者にしか効果はありませんよ」
我々は最初から知っている。
この世界において、我々の存在そのものが巨大な異音だということを。
それを今更、常識という物差しで測ろうなどと、片腹痛い。
「そして、二つ目。君たちは……我々に、“勝った”と、そう思い込んでいることだ。この程度の傷で我々が――」
――。
我々の言葉は、最期まで紡がれることはなかった。
視界が、不自然なほど唐突に、ぐるりと大きく回転する。
天と地が逆さまになり、美しいエメラルドグリーンの湖面が、なぜか真上に見えた。
一瞬遅れて。
ジリジリと肉が焼けるような、凄まじい高熱の感触。
そして、ジュッ、という、肉組織が焦げる嫌な音が、鼓膜を激しく震わせた。
地面が、急速に迫ってくる。
ぽつんと残された、緑色の衣装を纏った「首のない胴体」が、ゆっくりと崩れ落ちていくのが見えた。
あべこべになった視界の向こうで、カレンが剣を振り抜いた姿勢のまま、冷酷に、吐き捨てるように呟いた。
「勝ってるっつーの、バーカ」
第23話お読みいただきありがとうございました。
次回、水の力。
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