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20/29

お二人とも、臭いです。

第20話です。


前回、決意新たなお兄ちゃん。


今回は、謎の詩人との遭遇。

「いくらなんでも、ゆっくりし過ぎたぁっっ!!」


 喉がちぎれんばかりの悲鳴が、白銀に染まりゆく森の奥へと消えていく。


 背後から迫るのは、圧倒的な質量を持った白い怒涛。

 すべてを強制停止させるあの嵐が、すぐ後ろまで迫っていた。


 激しい暴風が、僕の無力な背中を追い立てる。

 すぐ後ろを振り返るまでもない。

 肌を突き刺すような冷気の刃が、すでに衣服を通り抜けて、僕の体温をガリガリと貪り食っていた。


「もうっ! お兄が『――水の気配がする』とか言って、急にうろちょろし出すからでしょ! 結局、水場なんて影も形もなかったし!」


 すぐ隣を、僕の手を引いて並走するカレンが、不満げに頬を膨らませて叫ぶ。


 彼女の足取りは、僕とは比較にならないほど軽やかだ。

 引きずられる僕の腕が、脱臼しそうなほどの速度で引っ張られている。


「だって……! だって水は必要だし! 水浴びしたいんだもん!」


「もう、女の子みたいなこと言ってないで、死に物狂いで足を動かして! そろそろ止まるはずだから!」


 ハァ、ハァ、と自分の肺がひび割れて、内側から血が噴き出すんじゃないかと思うほど呼吸が苦しい。


 激しい暴風の轟音が、耳の奥を破らんばかりに鳴り響く。

 視界の端では、大樹が一瞬でガチガチの氷像へと姿を変えた。


 あと一歩。

 あと一歩でも足がもつれれば、僕もあの氷の彫刻の仲間入りだ。


 カレンの手の温もりだけを命綱にして、僕はただひたすらに泥臭く地を蹴り続けた。


 そして――。


 ――ピタ、と。


 鼓膜を震わせていた世界の崩壊音が、嘘のように遠ざかった。


 背後を恐る恐る振り返れば、木々を飲み込み続けていた白い壁が、まるで見えない境界線に阻まれたかのように、数メートル後ろで完全に静止している。


 どうにか生存領域セーフエリアへの滑り込みに成功したらしい。


「止まった……っ。あ、足が、死ぬ……助かったぁ……」


 僕はその場に崩れ落ちるようにして、両膝に手を突いた。

 ヒューヒューと情けない呼吸音が口から漏れ出る。

 全身から噴き出した汗が、急激に冷えていく感覚が酷く不快だった。


「……でも、確かに水浴びはしたいかも」


 カレンは僕の隣で息一つ乱さず立ち尽くしたまま、ふと自分の脇のあたりに顔を近づけ、クンクンと匂いを確かめるように鼻を鳴らした。


 過酷な逃走劇の後だというのに、彼女の肌からは微弱な熱のせいか、汗臭さなど一切感じられない。


「大丈夫だよ、カレン。カレンは全然臭くない。むしろ、なんかちょっと甘い匂いがする」


「……お兄。それ、ちょっとキモい」


「えっ」


「お兄はすっごく獣臭い匂いがする。でも、あたし的にはめちゃくちゃ興奮するから、全然大丈夫だよ?」


「じゃあいっか! ……って、なるかぁ!」


 妹の性癖が致命的なレベルで歪んでいるおかげで避けられずには済んでいるが、衛生面の問題は依然として深刻だった。


「おやおや。お二人共、実にお疲れのご様子ですね」


 突如、僕たちの背後から、ひどく場違いな声が掛けられた。


 ――ゾクッ、と。

 背筋を、先ほどまでの冷気とはまったく違う質の悪寒が駆け抜ける。


 慌てて振り返ると、そこにはこの凄惨な戦場には、あまりにも不釣り合いなほど優雅な身なりの男が立っていた。


「…………」


 瞬間、僕が繋いでおいたカレンの手が、ギチリ、と骨が鳴るほどの力で握りしめられた。


 カレンの身体が瞬時に熱を帯びる。

 彼女の瞳の奥に、ゆらりと紅蓮の炎が灯った。

 周囲の空気が一瞬で乾燥し、肌を焦がすほどの濃密な殺気が、その細い身体から爆発的に噴き出す。


 だが、男はそんなカレンの殺気を正面から浴びながらも、眉一つ動かさなかった。


「おっと。そんなに怖い顔をしないでください。私はただ、平和的な取引がしたいだけなのです。我々とお二人。お互いにとって、決して悪い話ではないはずですよ?」


 男の衣装は、新緑を思わせる鮮やかな緑色。

 頭には、先端のひん曲がった長い帽子を乗せてている。


 何より特徴的なのは、その顔立ちだった。

 糸のように細い目は、常に三日月型に笑っているように見える。

 だが、その笑顔の奥底に隠された感情が、まったく、これっぽっちも読めない。


 勇者というよりは、各地を旅する吟遊詩人のような風貌だ。


「あんたみたいなタイプが一番面倒くさい。黙って襲い掛かって来てくれた方がマシなんだけど」


 カレンが地を遍うような低い声で威嚇する。

 彼女の指先から、パチパチと小さな火花が散った。

 いつでも目の前の男を頭から丸焼きにする準備はできている、という明確な拒絶のサインだ。


 男はカレンが何者であるかを正確に把握しているようだった。

 一撃で戦況をひっくり返せる力を前にして、これほど涼しい顔で微笑んでいられる人間が、ただの詩人であるはずがない。


 相当な実力者――あるいは、よほどの性質の悪い能力持ちか。


「竜とは何者も寄せ付けぬ災害そのもの。……ですが、その狂暴な手綱を握る『理性』が隣にいるのであれば、話は別。我々とも、美しく有意義な旋律(メロディ)を奏でられるのではないかと、そう期待したわけです。いかがですか?」


 男の細い目が、カレンを通り越して僕を捉える。

 完全に、この場の主導権がどちらにあるかを見抜いている。


 カレンの暴走を片手で抑えつつ、僕は慎重に言葉を選んで問いかけた。


「……あなたは、誰ですか?」


「おっと、これは失礼。名乗りも遅れてしまいましたね。我々は“翠玉(すいぎょく)ノ勇者”。水と再生を司る、優美なる詩人です」


 そう言って、男――翠玉の勇者は、大裟に帽子を取って一礼した。


 水と、再生。


 その単語を聞いた瞬間、僕の脳裏に電撃が走った。

 水があれば、念願の水浴びができる。

 それだけでなく、「再生」の力があれば、この過酷な環境で負った傷を癒やしたり、体力を回復させたりできるかもしれない。

 今の僕たちが、喉から手が出るほど欲している能力そのものだ。


 しかし、彼の自己紹介には、どうしても引っかかる点があった。


「……さっきから気になってたんだけど、『我々』ってのは? 他にも仲間の勇者がどこかにいるんですか?」


 もしチームを組んでいるのだとすれば、一対多の戦闘になる。

 カレンがどれだけ強くても、不意打ちの危険性は跳ね上がる。僕という足手まといがいる以上、戦力差は一気に縮まるはずだ。


 僕の問いに対して、翠玉の勇者はクスクスと肩を揺らした。


「ああ、よく誤解されてしまうのですが……自身のことをそう呼ぶようにしているだけですよ。内を流れる、大いなる命の奔流(メロディ)。それに常に耳を傾け、対話するためにね」


 翠玉の勇者は、恍惚とした表情で自身の胸に手を当て、うっとりと目を閉じた。

 静まり返った森の中に、よくわからない沈黙の間が流れる。


 ……アカン。

 何言ってるのか、一ミリも理解できない。


 僕の直感と本能が、全力で警報を鳴らし始めている。

 こいつは、絶対に関わってはいけないタイプの手合いだ。

 関わったら、精神的なエネルギーを根こそぎ持っていかれるタイプの変質者だ。


 隣を盗み見ると、カレンの瞳はすでに冷徹な捕食者のそれへと変化していた。

 僕が指をパチンと鳴らすか、「やっちゃえ」と一言呟くだけで、コンマ一秒後には翠玉の勇者の喉笛を炎で焼き千切るだろう。


 しかし、ここで戦うメリットも薄い。

 彼から敵意を感じないのも事実だし、「話をする」と決めたばかりだ。


「今のお二人に、ちょうどいい場所があるのですよ。まずは、そこへ付いてきてもらえますか? お話を聞いてもらうのは、それからで結構ですので」


「ちょうどいい場所?」


「ええ、そうですとも」


 翠玉の勇者は眉間に皺を寄せ、大袈裟に自分の鼻をつまむ仕草をしてみせた。


「率直に申し上げて、お二人とも、臭いです」

第20話お読みいただきありがとうございました。


次回、臭いです。


活動の、もの凄い励みになりますので、高評価やブックマーク、アドバイスや感想を是非是非よろしくお願いします。 

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