どう、お兄? ……『殺意』、湧いてきた?
第18話です。
前回、あーん、なお兄ちゃん。
今回は、
「……そうか。じゃあ――」
僕は、目の前にあるカレンの、白くて少し熱い手を、両手で強く握りしめた。
「カレン。だったら、僕に力を『継承』してくれ。そうすれば、カレンだけは今すぐ確実に、生きてこの島を脱出できる」
これが、僕が隠し持っていた、もう一つの案。
全員を救うことが不可能なら、せめて最低条件――僕の命よりも大切な存在を救うための、最後の手段だ。
「……お兄。それ、本気で言ってるの?」
カレンの蜂蜜色の瞳から、一瞬で温度が消えた。底の知れない、暗い情念が揺らめく。
「本気だ。僕は君のお兄ちゃんだからね。愛する妹が無事であるためなら、僕はどんなことだってする。あの魔王は確かに『能力を失えば帰す』と言ったんだ。だから、僕に力を預けて――」
「絶っっっっっっっ対にだめ!!!!」
びりびりと、茂みの葉が激しく震え、周囲の木々が揺れるほどの絶叫だった。
「か、カレン、落ち着いてくれ! 冷静に考えてほしい。生きてさえいれば、また元の世界で会える可能性だって――」
「あたしはいつだって、お兄のことに関しては冷静だよ。お兄こそ、よく考えて」
カレンはガシッ!!! と僕の両肩を掴むと、顔が触れ合うほどの至近距離まで詰め寄ってきた。
「いい? 仮にあたしの『火竜』の力を、お兄に継承したとするよ? ――だからって、お兄がそれをすぐに使いこなせるわけがない。剣に熱を伝える時の感覚、体内で火力を極限まで練り上げて吹き出す感覚。 お兄にそれがわかるの?」
「それは……」
「わからなくていいの。わからなくて当然なんだから。ノーマンのおっさんが持ってた『スライムキラー』みたいな、ただ持っているだけで自動的に効果が出る『常時発動』系の能力とは、訳が違う。 あたしの紅蓮は、技術と感覚が必要な『能動発動』系の能力なの。 そんなもの、ぶっつけ本番で使えるわけがない」
「…………」
言われてみれば、完全にその通りだった。
ノーマンさんの力は「スライムを相手にした時に自動的に強くなる」という、状態変化の特性だった。だからこそ、特別な訓練をしていない僕の身体に収まっても、効果が発揮される。
けれど、カレンの力は「火を自在に操る」という、高度な技術を要するアクションだ。継承したからといって、僕がすぐに彼女のような最強の「灰滅」を撃てるわけがないのだ。
「……そうか。ごめん、カレン。僕の考えが、あまりにも浅くて甘かった。それに、そもそも……まだ本当にノーマンさんの力がちゃんと継承できてるかどうかも、試してないからわからないのにな。ちょっと、力を得たことで浮かれていたよ」
僕が肩を落として自嘲気味に笑うと、カレンは掴んでいた僕の肩の力を緩め、ポンポンと優しく叩いた。
「うんうん、わかってくれればいいんだよ、お兄。でも、おかげでこれからあたしたちが『最初にやるべきこと』は、ハッキリと決まったね」
「やるべきこと……?」
「おっさんから託された、その『スライムキラー』の能力を確かめよう。本当にちゃんと継承が行われているのか。具体的には、どれくらいの性能アップが見込めるのかをね」
僕は、自分の手のひらをじっと見つめた。
ノーマンさん僕を信じて託してくれた、確かな誇りの光。
「……そうだね。性能を確かめるとなると……」
ノーマンさんの話では、この能力は対象である『スライム』を認識した時点で、自動的かつ強制的に発動するはずだ。
だが、あいにくここは魔王の結界に閉ざされた絶海の孤島。隠れ家である茂みの外を見渡してみても岩肌と、草木ばかり、スライムの姿なんて影も形も見当たらない。
魔王の奴、スライムたちに避難指示でも出していたのだろうか?
「いないねぇ」
「……何か、こう、スライムっぽい代用になりそうなものとか、そこらへんに落ちてないかな?」
「例えばどんなもの?」
「例えば……ゼリーとか、粘土とか……?」
「だめでしょ。そんなフワッとした感じで能力が発動するなら、それなりに強いでしょ」
手厳しいツッコミを喰らってしまった。
僕自身が「あれはスライムだ!」と、自我を騙せば、なんとか……ならないか、やっぱり。
僕が腕を組んで、う~んと唸りながら悩んでいると、隣でカレンがポンと小さく手を叩いた。
「――任せてお兄! あたしに、すっごく良い考えがある!
」
「え? なに、カレン。もしかして、どこからか本物のスライムを探してきてくれるのか?」
「ううん、違うよ。――あたしが、なるの」
「……はい?」
僕がその意味を理解して聞き返すよりも、圧倒的に早く。
カレンはその場に、ちょこん、と可愛らしくしゃがみ込んだ。そして、自分の細い両腕で膝をぎゅっと抱え込み、その小さな身体を極限まで小さく丸める。
「ぷるぷる……。ぷるぷるっ」
カレンは、丸まった身体の中から、上目遣いで僕の顔をじっと見上げてきた。
わざとらしく、ぷにっと両頬を膨らませ、不器用なスライムの真似をしてみせる。
「…………」
「ほらほら、お兄、どう? 身体の中に眠る、“キラー”の血が騒ぎ始めたりしない!? ビビッと殺意が来たりしない!?」
「いや、全く来ない。……ただただ、その場に丸まっているカレンにしか見えないな」
細胞の一つ一つ、魂の全領域が「おい馬鹿をやめろ! 目の前にいるのは世界で一番守るべき可愛い妹だ!」と全力で訴えかけてくる。殺意など、1ミリだって湧き上がるはずがない。
「むぅ……。おかしいな、演技力が足りないのかな? もっとこう、身体を粘液質っぽく見せる感じで……」
カレンは至って真剣な表情で悩み始めると、モジモジ、もぞもぞと、丸まった姿勢のまま小さく身体を揺すり始めた。そうして「ぷるぷる」と口で効果音を唱えながら、僕の足元へと擦り寄ってくる。
だが、非常に困ったことに。
上目遣いで、胸元を少しはだけさせた戦闘衣のまま、僕の足元で「ぷるぷる」と健気に揺れるカレンを見つめていると――別の危険な意味において、僕の『兄としての本能』がビビッと激しく反応してしまいそうになる。
具体的には、猛烈な庇護欲とか、可愛すぎて今すぐこの小さな頭を気が済むまで撫で回したいという、理性を揺るがす強力な欲求とかだ。
「どう、お兄? ……『殺意』、湧いてきた?」
「湧かない。殺意の代わりに保護欲と理性の危機が湧いてきた」
「ちぇー。おっさんの能力、やっぱりただのポンコツなんじゃないの?」
カレンは不満げに頬を膨らませると、丸めていた身体をバネのように一気に弾ませ、僕の胸へと勢いよく飛び掛かってきた。
「――とぉっ! 『スライム・アタック』!」
「うおっと!?」
僕は慌てて、正面から飛び込んできた彼女の小さな身体を、両腕でしっかりと受け止めた。
腕の中に収まったのは、柔らかくて、驚くほど温かい、紛れもない「人間」の愛しい感触。スライムが持つような、ひんやりとした不快な粘液の感触など、微塵もありはしない。
「んふふ~。捕まえた~、お兄ゲームオーバー」
僕の腕にすっぽりと収まったカレンは、猫のように嬉しそうに、何度も僕の胸元にその小さな頭をスリスリと擦り付けてきた。
「……はぁ。やっぱり、本物のスライムが目の前にいないと、検証は無理みたいだね」
「まぁ、いいさ。能力の確認はできなかったけど、貴重な『スライムっぽい妹』の姿が見られたから、僕は大満足だよ」
その正体は、すべてを灰にする最恐の火竜なんだけどね。
僕は苦笑しながら、腕の中の温かいカレンの黒髪を、優しく、ゆっくりと撫でた。
――ああ、こんな穏やかで、温かい時間が、ずっと、ずっと続けばいいのに。
魔王が仕掛けたクソみたいな殺し合いゲームのことなんてすべて忘れて。ただの仲の良い兄妹として、こうして隠れ家の中で馬鹿なことをやって、笑い合っていられたら、どれほど幸せだろうか。
僕がそんな幸福の余韻に浸り、カレンを抱きしめていた、その時だった。
『ハーイ、お時間になりましたので、これより結界を縮小させていただきまーす! プレイヤーの皆様、それぞれのバカンスを存分に楽しんでおられるようで、ボクとしても嬉しい限りです! この後もどうぞ、素晴らしいバカンスをお楽しみくださーい!』
冷酷な、ゲームの進行を告げるエリア縮小のアナウンス。
楽しんでいる、だと?
よくもそんなふざけたことが言えたものだ。この血生臭い地獄のどこに、楽しめる要素があるのか。
「むー……。せっかくいいところだったのに」
カレンは不満そうに口を尖らせて僕の胸から離れたが、その蜂蜜色の瞳は、一瞬で戦闘モードの鋭さへと切り替わった。
「……お兄、動く?」
「……うん、そうだね。カレン。まずは、魔王の結界に飲まれないように安全圏へ移動しよう。道中、何か食べられそうなものも探しながらね」
カレンから自然に差し出されたその手を、僕は優しく握りしめた。
二人で茂みから、ゆっくりと歩き出す。
「……ねぇ、カレン。僕から、もう一つだけ、君にお願いがあるんだ」
「なぁに?」
「これから移動するにあたって、できるだけでいい。本当に、無理のない範囲でいいから――他の勇者を見つけたら、『話がしたい』んだ」
それが、僕にできる、せめてもの足掻きだった。
カレンの言う通り、僕の攻略法は前提から破綻しているかもしれない。けれど、二人でこの絶望の地獄を生き残り、元の世界へ生きて帰る可能性を、1パーセントでも、0.1パーセントでも上げるためには、やはりこれしかない。
僕という「空っぽの器」に、誰かの想いと、その力を積み重ねていくこと。
けれど、僕一人では、他の勇者と交渉の席に着くことすら叶わない。暴力こそが唯一の法であり、正義であるこの狂った島においては、相手に対等に話を聞かせるための『圧倒的な力』――すなわち、カレンの協力が必要不可欠なのだ。
「……ん~~~~。正直に言っちゃうとね、お兄。そんな有象無象の雑魚勇者の能力なんて、いくらお兄が継承したところで、あんまり意味はないと思うよ? 塵をいくら集めたって、結局はただの大きな塵にしかならないんだから」
これ以上ないほどに正直で、そして残酷なまでに『強者としての真理』を突いてくる。
けれど、僕はまっすぐに前を見つめたまま、首を振った。
「それでも……やらないで後悔することだけは、絶対に嫌なんだ。頼む、カレン。僕に力を貸してほしい!」
わかっている。ただでさえカレンの圧倒的な強さに頼り切りなのに、これ以上彼女に不必要なリスクと負担を強いてしまう。
だからこれは、僕のどうしようもない、ただの我が儘だ。もしカレンが、危険すぎるからと首を横に振るのなら、それでいい。その時は、すっぱりとこの案は捨てて、カレンの言う通りに戦うと決めていた。
カレンは不意に足を止めると、じっと、僕の瞳の奥を覗き込んできた。
「……お兄。あたしのこと好き?」
「ああ、大好きだよ」
「……『自分だけ帰れ』なんて悲しいこと、もう二度と言わない?」
僕の瞳を見つめる彼女の目の奥には、すべての勇者を灰にする最凶の化身としての威圧感は、欠片もなかった。
そこにあるのは、ただ一人の『僕の妹』としての、今にも壊れてしまいそうなほどに脆くて、臆病な不安の光だけだった。彼女だって、本当は怖いのだ。僕を失うことが、何よりも恐ろしいのだ。
僕は、握りしめたカレンの手に、さらにギュッと力を込めた。
「ああ、約束する。何があってもずっと一緒だ。一緒に生きて、二人で帰ろう」
僕がそう告げた瞬間。
カレンの白い頬に、パッと大輪の花が咲いたかのような、鮮やかな赤みが差した。その瞳が、蜂蜜色の輝きを取り戻し、喜びで満たされる。
「……ふふっ、お兄がそこまで言うなら仕方が無いないなぁ! じゃあ、できるだけ、本当に『お兄の命に無理がない程度』に、他の勇者の説得、やってみよっか!」
「ありがとう、カレン……!」
「勘違いしないでよね! 『あ、こいつは危ないな』って思ったり、あたしの勘が『こいつは話が通じないヤバい奴だ』って感じたら――その瞬間、あたしの独断で、相手を速やかに『灰滅』させちゃうから」
「もちろんだ。その時はカレンの判断に従うよ」
カレンは満足そうに、ふふん、と鼻を鳴らすと、上機嫌でステップを刻むように僕の手を強く握りしめた。
血生臭い殺し合いを拒絶し、勇者たちを強引に話し合いの場へと引きずり出す、絶望的なまでに前向きで、歪な巡礼の旅。
僕たちの泥臭い、新しい幕が――ようやく静かに、動き始めようとしていた。
第18話お読みいただきありがとうございました。
次回、もう一人の妹。
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