第3話 先輩プレイヤーと、癒しの少女
翌朝。碧依は、教会の裏庭の長椅子で目を覚ました。
空には、昨日までなかった光の文字が二つ、薄く残っている。【タカハシ ケンジ】【ミヤモト ユウ】。見上げるたびに、胸の奥が冷たくなった。
(俺が、もう少し速ければ)
「おーい、碧依! 起きてる?」
彩葉が、紙袋を抱えて駆けてきた。黒髪が、朝日に跳ねている。
「朝ごはん買ってきた! ここのパン、焼きたてで美味しいんだって!」
「……ああ。ありがとう」
差し出されたパンを受け取ったが、碧依は口をつけなかった。彩葉は隣に座り、同じようにパンを抱えたまま、しばらく黙っていた。
昨日の言葉が、頭から離れない。
『これで、二人目。順番通り』
(聞くべきか。でも、聞いたら、この笑顔が消える気がする)
「ねえ、碧依」
先に口を開いたのは、彩葉だった。
「昨日のこと。あたし、変なこと言ったよね」
「……ああ」
「ごめん。今は、まだ話せない。でも、嘘はつかない。話せる日が来たら、全部話す」
彩葉は、まっすぐ碧依を見ていた。笑顔ではなかった。
「それまで、信じてくれる?」
碧依は、少しだけ考えた。そして、パンを一口かじった。
「うまいな、これ」
「え?」
「信じるよ。彩葉が昨日、俺と一緒に走ってくれたから」
彩葉は目を丸くして、それから、ぱっと顔をそむけた。
「……ずるいなあ、そういうの」
「なんだよ」
「なんでもない! 食べたら行こう! 解毒ポーション、買わなきゃ!」
商店街の大通りは、昨日と別世界だった。
露店の前には人だかりができ、あちこちで情報が飛び交っている。
「第一層の迷宮は、東の森の奥らしいぞ」「ボス部屋まで、最低でも三つ中間エリアがあるって」
その中心で、ひときわ目立つ男がいた。黒い軽鎧に、背中の大きな斧。三十代半ばの、がっしりした体格。周りには十人ほどのプレイヤーが集まっている。
「静かに。順番に聞こう」
男の低い声に、ざわめきが収まる。彩葉が、碧依の袖を引いた。
「あの人、昨日の夜から情報を集めて回ってる人だよ。〈ガルド〉さんって呼ばれてる」
「詳しいな」
「聞き込みは得意なの。観察と一緒でね」
ガルドは、集まった人々に向かって言った。
「昨日、二人が死んだ。俺は、これ以上死者を出したくない。だから情報を共有する。第一層のモンスターの種類、地形、ドロップ品。知っていることを、ここで全部出してほしい」
人々が、顔を見合わせた。
「でも、情報を出したら、俺たちが不利になるんじゃ」
「そうだ。他人に教えて、自分が死んだら意味がない」
ガルドは、ゆっくり首を振った。
「生き残るための情報を独占するのは、結局、全員の首を絞める。……昨日の草原の変異種も、情報があれば、犠牲者は出なかったかもしれん」
その言葉に、碧依の胸が痛んだ。
「あの」
気づけば、碧依は手を挙げていた。
「昨日の変異種を倒したのは、俺たちです。ブラッドボア、Lv.12。突進のあとに必ず一瞬止まって、右の脇腹が弱点でした。第二形態になると、毒の衝撃波が来ます」
人々が、一斉に振り向いた。
「君たちが、あれを……」
ガルドが歩み寄ってきた。
「初日に、二人で?」
「はい。でも、一人、守れませんでした」
ガルドは、碧依の目をじっと見た。それから、深く頭を下げた。
「ありがとう。そして、つらい情報を出してくれて感謝する」
「いえ、そんな」
「君、名前は?」
「碧依です。こっちは彩葉」
「碧依君か。……俺たちのギルドに来ないか?」
人々の間から、どよめきが起きた。
「ギルド、ですか?」
「ああ。〈暁の盾〉。まだ作ったばかりだが、全員が生き残ることを最優先にしている。君たちのような前衛が欲しい」
碧依は彩葉を見た。彩葉は、一瞬だけ表情を固くして、すぐに笑顔を作った。
「いいんじゃない? 情報が集まるし、解毒薬の情報もあるかも!」
「そうだな。……ありがとうございます、ガルドさん。入らせてください」
ガルドは満足そうにうなずいた。
「歓迎する。早速、紹介したい仲間がいる」
ガルドに連れられて、二人は広場の端の小さな噴水へ向かった。
水の縁に、白いローブの少女が座っていた。亜麻色の髪を三つ編みにして、大きな杖を抱えている。年は、二人より少し下に見える。杖の先の青い宝石が、日差しを受けてきらりと光った。
「ミナ。新しい仲間を連れてきたぞ」
「あ、はいっ!」
少女は慌てて立ち上がり、勢いあまって杖を落としかけた。
「わ、わわっ! し、失礼しました! わたし、ミナといいます! 十五歳で、回復職です! よ、よろしくお願いします!」
深々と頭を下げた拍子に、三つ編みが顔にぱしんと当たった。
「いたっ」
彩葉が、ぷっと吹き出した。
「あはは! かわいい! あたし彩葉! よろしくね、ミナちゃん!」
「は、はい! 彩葉さん、お優しいです!」
「碧依だ。よろしくな」
「碧依さん……」
ミナは、碧依の顔を見て、ぴたりと止まった。
「どうした?」
「あ、いえ。……あの」
ミナは、杖をぎゅっと握りしめた。
「昨日の、毒の人。ミヤモトさん、ですよね」
碧依の表情が固まった。
「わたし、あの場にいたんです。遠くから見てました。回復魔法を使えば、毒なら少しは和らげられたのに。……走って、行ったんですけど、間に合わなくて」
ミナの目に、涙が浮かんだ。
「怖くて、足が動かなくて。ごめんなさい。わたしが、もっと早く」
「違う」
碧依は、強く言った。
「誰も悪くない。悪いのは、こんな世界を作った奴だ」
「でも……」
「ミナ。俺たち、同じなんだ。昨日の失敗を、次に活かそう。一緒に」
ミナは、ぐっと唇を噛んだ。それから、涙をぬぐって、顔を上げた。
「……はい! わたし、もう逃げません!」
その決意の顔に、碧依はふと、昨日の自分を重ねた。
「よし、決まりだな」
ガルドが腕を組んで言った。
「それじゃあ、新体制での初仕事だ。東の森の入口で、薬草と解毒草の採集をする。碧依君、彩葉君、ミナ。三人で行ってきてくれ」
「俺たちだけで?」
「ああ。ここからが本番だ。いきなり迷宮に入るのは危険だからな」
三人は顔を見合わせて、同時にうなずいた。
東の森は、昼でも薄暗かった。
大きな木々が空を覆い、足元には湿った苔が広がっている。三人は、ミナの案内で薬草を探していた。
「ここの茂みに、青い花が咲いてるのが解毒草です」
「あ、あった! これ?」
「それです! 根っこごと抜いてください!」
彩葉が、嬉しそうに草を引き抜いた。その横で、碧依は周囲を警戒していた。
(静かすぎる)
昨日の草原と同じだ。静かすぎるときは、何かが起きる。
「……彩葉、ミナ。気をつけろ」
「え?」
そのとき、頭上の木の枝から、ばさり、と黒い影が落ちてきた。
「きゃあっ!」
ミナが悲鳴をあげる。着地したのは、ひとりのプレイヤーだった。漆黒のマントに、鴉の羽根を模した仮面。腰には、二本の短剣。
「こんにちは、新人さんたち」
男の声は、驚くほど柔らかかった。
「その解毒草、いただいてもいいですか? 私たち、これが大量に必要でして」
「あんた、誰だ」
碧依は、右の剣に手をかけた。
「名乗るほどの者じゃありません。ただの、鴉の使いですよ」
男は、にっこりと笑った。仮面の下の目だけが、笑っていなかった。
その瞬間、彩葉の体が、びくりと震えた。
「……黒、鴉……」
「おや。ご存じとは、光栄です」
男はゆっくりと腰の短剣を抜いた。刃が、鈍く光る。
「では、手荒なことは避けたいので。その草と、ついでにあなた方の持ち物を、置いていってください」
彩葉の顔色が、青白く変わった。さっきまでの笑顔は、どこにもなかった。
(彩葉……この男を、知ってるのか?)
碧依は、ミナを背に庇うように立った。
「断る」
「そうですか。残念です」
男の姿が、ふっと消えた。次の瞬間、碧依の背後に、冷たい刃の気配が走った。




