第4話 人を斬るということ
背後に走った刃の気配。碧依は、考えるより先に体をひねっていた。
ガキィン、と火花が散る。右の剣が、男の短剣を間一髪で受け止めていた。
「ほう。反応がいい」
仮面の男は、感心したように首をかしげた。
「新人にしては上出来です。では、二本目はどうでしょう」
男のもう一本の短剣が、下から跳ね上がる。碧依は後ろへ跳んだが、刃が頬をかすめた。熱い線が走り、HPバーがわずかに減る。
(速い。昨日の猪とは違う。こいつは、考えて動いてる)
「碧依さん!」
ミナが杖を構え、短く詠唱した。淡い光が碧依の頬を包み、傷が塞がっていく。
「ありがとう、ミナ! 彩葉、右から回れるか!」
返事がなかった。碧依がちらりと横を見ると、彩葉はレイピアを抜いたまま、立ち尽くしていた。唇が、かすかに震えている。
「彩葉!」
「……あ、ごめん! 今行く!」
彩葉は我に返って駆け出した。男の右へ回り込み、閃光のような突きを放つ。男は軽々と身を翻して避けた。
「三枚羽……」
彩葉が、小さくつぶやいた。
「あなたの仮面、羽根が三枚ある。下っ端じゃない。幹部に近い人でしょ」
「おや、よくご存じで」
男は愉快そうに笑った。
「ますます興味が湧きますね。あなたのような方が、なぜ彼と一緒にいるのか」
「彼?」
碧依が聞き返した瞬間、男の足が地面を蹴った。狙いは、碧依ではなかった。
「ミナ、危ない!」
男の短剣が、ミナの喉元へ迫る。碧依は割り込んだ。右の剣を振り抜き、男の肩口を狙う。
届く。確実に、斬れる。
その瞬間、腕が止まった。
目の前にいるのは、モンスターではない。人間だ。この刃が当たれば、血が流れ、HPが減り、もしかしたら、死ぬ。
(斬れ。斬らなきゃ、ミナが)
頭では分かっている。それでも指が、動かない。
「……ふふっ」
男は、碧依の剣の下をするりとくぐり抜けた。
「やはり、優しい方だ。人を斬る覚悟が、まだない」
腹に、鋭い衝撃が走った。男の膝が、碧依のみぞおちに叩き込まれていた。
「がはっ!」
碧依は地面を転がった。息ができない。視界が揺れる。
「碧依さん!」
「優しさは美徳ですが、この世界では致命傷です。覚えておきなさい」
男はそのままミナへ短剣を向けた。彩葉が割って入り、レイピアで刃を受ける。しかし、二本の短剣の手数に押され、じりじりと後退していく。
「くっ……!」
「彩葉さん、あなたなら分かるはずです。この世界で、誰かを守るには何が必要か」
「うるさいっ!」
彩葉の叫びは、泣きそうに聞こえた。
碧依は、地面に手をついたまま顔を上げた。ミナが震えている。彩葉が、押されている。
(また、守れないのか。ミヤモトさんのときみたいに)
その瞬間、腰が熱くなった。左の剣だ。柄が、焼けるように光っている。
(抜けるのか?)
必死に引いた。それでも、鞘は動かない。
(くそっ、抜けなくてもいい。今は、これでいい!)
碧依は、鞘ごと左の剣を腰から引き抜いた。そして、立ち上がりざまに、思い切り振り抜いた。
「彩葉、伏せろ!」
彩葉が身を沈める。その頭上を、鞘に収まったままの剣が唸りを上げて通り過ぎ、男の短剣の腹に叩きつけられた。
ガァァァン、と鐘のような音が森に響いた。
男の短剣が、根元から砕け散った。
「……なに?」
初めて、男の声から余裕が消えた。碧依の左手の鞘が、青白く脈打っている。
「斬らなくても、守ることはできる」
碧依は、荒い息のまま男を睨んだ。
「俺は、人を殺したくない。でも、仲間を殺させもしない。次は、あんたの体に当てる。それでも来るか」
沈黙。木々の間を、風が抜けていく。
男は砕けた短剣を見下ろし、それから、ゆっくりと笑い出した。
「……あはは。面白い。面白いですねえ、君」
男は後ろへ跳び、木の枝に着地した。
「今日は引きましょう。その鞘は、少々厄介だ。上へ報告しなければ」
「待て!」
「ああ、そうそう。碧依君、でしたね」
男は、仮面の下でにっこりと笑った。
「昨日の変異種の毒、よく効いたでしょう。あれは、我々の実験でして」
碧依の頭が、真っ白になった。
「……なんだと?」
「感謝していますよ。おかげで、いいデータが取れました」
「お前らが、ミヤモトさんを……!」
碧依が駆け出そうとした瞬間、男の姿は、黒い羽根の嵐となって消えた。後には、一枚の黒い羽根だけが、ひらりと落ちた。
「……っ!」
碧依は、拳を木の幹に叩きつけた。
「くそっ! くそぉっ!」
「碧依さん……」
ミナが、そっと彼の背に手を置いた。ミナの手も、震えていた。
少し離れた場所で、彩葉が膝をついていた。レイピアが、手から滑り落ちている。
「……彩葉?」
碧依が声をかけると、彩葉はゆっくりと振り向いた。笑顔は、なかった。
「ごめん、碧依」
その目から、涙がこぼれた。
「あたし、あの人を知ってる。黒鴉のことも。……全部、あたしのせいなの」
森の奥で、ゴォォォン、と鐘が鳴った。空に、新しい光の文字が浮かんでいた。
【サワダ ヒカル】
まだ、誰かが死んでいる。




