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第8話 顧問弁護士

 三島克己の法律事務所は、神崎建設不動産の本社ビルから歩いて十分ほどのところにある。地方都市の中心部にある小綺麗なビルの三階で、由佳は受付で名乗ると、すぐに克己の個室に通された。神崎家は事務所の上得意で、由佳はもう十年近くここに通っている。


 克己は窓を背にして立っていた。由佳が入ってくるのを見て、軽く顎を引いた。


「久しぶりだな」


「先週も会ったでしょう?」

 由佳はそっけなく答えた。


「そうだったか」

 克己は笑った。


 由佳はその笑い方を二十年近く見てきた。大学のディベートサークルで初めて会ったときから、克己の笑い方は変わっていない。人を安心させるための笑いだと由佳にはわかっていた。それが不快だった。安心させようとする意志そのものが、どこか計算めいて感じられるからだ。


 向かい合って座った。秘書がお茶を持ってきて、静かに出ていった。


「取引先との契約更新の件で、いくつか確認したいことがあります」

 由佳は事務的に言った。


「来月の株主総会までに片付けておきたいので」


「ああ、あの件か」

 克己もまた淡々と対応した。


「資料はもう用意してある。ただその前に、誠一さんのことを話しておきたい」


 渡辺誠一は由佳の夫だが、すでに長く仮面夫婦を続けている。


「そうですか」

 由佳は無表情だった。


「誠一さんから君との離婚交渉の依頼を受けた」

 言いながら、克己は由佳の目を見た。


「利益相反になるから、神崎家の顧問は降りる。契約更新の件は、別の弁護士に引き継ぐことになった」


「わかりました」

 由佳はお茶を一口飲んだ。克己がこちらの反応を窺っているのがわかった。


 由佳は茶碗を置いた。

「それだけですか?」


「君の方は、何か言い分はないのか?」と克己。


「私の方は何もありません」

 由佳は無表情に言った。


「誠一さんがそう決めたなら、それでいい」


「そうか」


 しばらく間があった。


「噂で聞いたのだが、由美さんの具合はどうだ?」


「会っていません」


 克己が少し眉を上げた。

「会えないのか、会わないのか?」


 由佳は答えなかった。お茶をもう一口飲んだ。


「どちらでもいいわ」

 由佳はあからさまに不機嫌な顔をした


「今はそれどころじゃない」


「そうか」

 克己は少し間を置いた。


「また風間孝幸が関わっているのだろう?」


「ええ」

 由佳は興味がなさそうに返事をした。


「十年前、あいつが由美さんと結婚した時は驚いたよ」


「変かしら?」と由佳は聞いた。


「サークルではそれほど仲がよさそうではなかったからね」

 克己は探るように言った。


「突然、意気投合したそうよ」

 由佳は皮肉な笑顔を浮かべた。


「わからんな」


「そうかしら」

 由佳は冷ややかな調子で続けた。


「そんな風に女心に疎いから、由美に相手にされなかったのよ」


「手厳しいな。ぼくは平均的な男よりも女性の気持ちは分かるつもりなのだが」


「プレイボーイらしい自惚れね」


「よしてくれ。もう心を入れ替えている」

 克己は苦笑いをした。


「だけど由美のことは気になるのね」

 由佳は容赦なく言った。


「そりゃあそうだ。あんな噂を聞かされればね。サークルの後輩だから」

 言いながら克己は目をそらした。


「そんなに気になるなら、風間君に直接聞いてみれば?」


「それは難しそうだ」


「なぜ?」


「あの男は昔から、俺のことが嫌いだったからな」

 克己は言って、それから少し真顔になった。


「正確に言えば、俺はあいつのことを苦手だった」


「なぜ?」

 由佳はもう一度聞いた。


「見透かされている気がするんだ、あいつには」

 克己は微かに笑顔を浮かべながら言った。


「サークルの頃からそうだった。俺が何か言うたびに、あいつは黙って俺を見ていた。何を考えているのかわからない男だ」


 由佳は何も言わなかった。克己の言う通りだと思った。


「君は今も風間と話せているのか?」


「話せているかどうかはわからない」

 由佳は視線をそらせた。


「話しているだけなら、しているわ」


「それはどういう意味だ?」


「そのままの意味よ」


 立ち上がって、コートを手に取った。


「契約更新の件は、新しい担当が決まってから改めて相談します」


「由佳さん」

 克己は由佳の目を見た。


 由佳は立ち止まった。克己が由佳の名前を呼ぶのは珍しかった。普段は旧姓の苗字で呼ぶ。


「無理をするな」


「無理などしてないわ」


「そうか」

 克己はことさらに、保護者じみた作り笑顔で言った。プレイボーイだった以前の自分とは違うのだ、と言いたげだった。


 由佳はドアを開けて、事務所を出た。廊下に出てから、由佳は少しだけ歩調を緩めた。それだけだった。


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