第3話 ファミリーレストランでの交渉
風間孝幸が部屋を出たのは夕方近くだった。
アパートの階段を降りたところで、左右から同時に腕をつかまれた。孝幸は一瞬、身体を硬くした。由佳と咲奈だった。
「話を聞いてくれないかしら」
由佳は孝幸に顔を近づけた。
これまで由佳は、孝幸のそばに自分から近づいたことは一度もなかった。まして腕に触れるなど、初めてのことである。孝幸がわずかに眉を寄せ、怪訝な表情を浮かべたのは当然だった。
「そこのファミリーレストランでいいか?」
「ええ、ありがとう」と由佳は答えた。
「手を放してくれないか」
由佳と咲奈は、素直に孝幸の腕から手を離した。
ファミリーレストランのボックス席で、孝幸と由佳が向かい合って座った。咲奈は無言で由佳の隣に座る。ドリンクバーを頼むと、由佳が立ってコーヒーを二つ取ってきた。孝幸の分も含めてである。孝幸は何も言わなかった。孝幸は咲奈を一瞥もしなかった。
テーブルの上のコーヒーカップに視線を落としたまま、静かに口を開いた。
「話というのは?」
「お願いだから、由美に会ってほしいの」
「いやだ」
孝幸は即答した。
「自殺未遂をして、今、病院に入院しているのよ」
「なんで俺が会わなければならないんだ?」
「由美が、どうしてもあなたに会いたいと言っているから」
「断わる」
孝幸はそっけなく答えた。
「少し詳しい話をさせて」と由佳は静かに続けた。「今の話は概要よ。外向けの筋書きに過ぎないわ。もう少し内輪の事情があるの」
「聞きたくない」
「手短に話すわ。聞いてから断っても遅くはないでしょう」
孝幸は何も言わなかった。由佳はそれを黙認と受け取った。
「あなたが由美と離婚したあと、由美は岡山圭一とよりを戻して再婚した。でも結婚生活はうまくいかず、離婚しようとした。ところが夫が強く反対して、話し合いが進まなかった。そのあと由美は最初の自殺未遂をした。半年前のことよ。その後、夫の実家でごたごたがあって、どさくさに紛れるように離婚が成立した」
「なら、めでたしめでたしじゃないか。問題は解決したはずだ」
孝幸は淡々と言った。
「そう思っていたわ」と由佳は答えた。「ところが三日前に、由美は再び自殺を試みたの。幸い未遂だったけれど。今にして思えば、離婚後の半年間、身の回りの整理を進めていたようね」
「気の毒だとは思うが、俺には関係のない話だ」
「そうね」と由佳。「お願いよ。由美の見舞いに来てくれない?」
「断る」と孝幸。
「即答ね」
孝幸はそれ以上何も言わず、席を立った。コーヒーカップには手をつけていなかった。咲奈が小さく唇を噛んでいるのが、視界の端に映った。
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