↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/37

第27話 病室のドア

 由佳は病室のドアの前に立っていた。すでに、由美の二度目の自殺未遂から三日が過ぎている。


 ドアには「神崎」という名札がかかっていた。由佳はその名札をじっと見つめ、しばらく動かなかった。指先がコートの裾を軽く握りしめ、すぐに緩める。何度も繰り返した。


 由佳は廊下のベンチに腰を下ろし、腕を組んだ。考えること——それが由佳の唯一の得意な逃げ方だった。考えている間は、何もしなくていい。考えることそのものが、行動のように見える。


 孝幸を動かすには、何が必要か。由佳は条件を一つずつ整理した。由美の遺言、財産、咲奈の存在。すでに使った手はいくつもある。まだ使っていない手もいくつかある。由佳はそれらを冷静に検討した。


 検討している間、由佳は自分の計算の中に、奇妙な熱が混ざっていることに気づかなかった。孝幸を動かしたいという気持ちが、本当に由美のためだけのものなのか。その問いを由佳は立てなかった。立てなければ答える必要もない。


 スマートフォンが鳴った。克己からだった。


「由美さんは今どんな様子だ?」


 由佳はしばらく黙った。克己の声には、いつものように計算された親しみが混じっていた。相手を安心させるための柔らかさ。彼女はそれを、静かに聞き流した。


「由美さんに会えないのか?」


 克己は重ねて尋ねた。声の端に、わずかな探りを入れるような響きがあった。


「今、考え事で忙しいの。邪魔しないで」

 由佳はぶっきらぼうに答えた。


「すまない。だが、大丈夫なのか?」


「由美なら、もう命に別状はないから」

 由佳はすぐに事実だけを返した。


「そうじゃなくて、君のことだ」

 克己は話題をずらさず、重ねて訊いた。


「私のこと?」


「君はもう疲れ切っているじゃないか。声でわかるくらいに」


 由佳は一瞬、スマートフォンを強く握った。


「いつもと変わらないわ」

 声は平坦に戻っていた。


「だといいが……」

 克己はためらうように言った。


「さっきも言ったけど、私、考え事をしているの」

 由佳は繰り返した。これ以上深入りされたくなかった。


「そうだったね。すまない。だが、君はもう少し自分の素直な気持ちを人に伝えた方がいいと思うよ」

 克己は静かに続けた。


「どういう意味?」

 由佳は警戒の色を込めて訊き返した。


「そのままの意味だ。ぼくはいつでも君の味方だ」

 克己の言葉は親切に聞こえた。しかしその親切がどこまで計算されているのかを、由佳は測りかねていた。


「ありがとう」

 由佳は短く応じた。


「ところで、今晩会えないか? 離婚手続きのことで話したい」

 克己は話題を変えた。


「いいわ」

 由佳は即座に答えた。


「よかったら、夕飯を一緒に食べないか?」


 おそらく、手続きがひと段落したのだろう。由佳はそう判断した。感情ではなく、事実として。


「ええ」


「適当な店を予約しておくよ」


「ありがとう」

 由佳は、再び短く礼を述べた。


 ベンチに座ったまま、由美の病室のドアをもう一度見た。まだ入らない。まだ早い。由佳は同じ言葉を、何度も自分に繰り返していた。胸の奥で、孝幸の顔が一瞬浮かび、すぐに消えた。由佳はそれを、ただの計算の残滓だと思い込もうとした。感情の揺らぎなど、今の彼女の計画には不要なものだった。


読んでくださりありがとうございます。今ここでリアクションをクリックしていただけると、大変ありがたいです。どうかお願いします。


「おもしろい」とか「よかった」という、一言でも感想を残していただけると嬉しいです。さらに☆のクリックをご検討いただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。