第百四十五章:合宿のショート回路と、写楽の電気工学(校外合宿編・第三話)
#1
五月三日、日曜日。ゴールデンウィーク後半戦の二日目。
昨日の「強制休息」が功を奏し、今日の午前中、文芸部の執筆スピードは目覚ましいものがあった。
しかし午後三時を回った頃から、山の天候は急変し、バケツをひっくり返したような激しい春の雷雨がロッジ『青風荘』を叩きつけ始めた。
王、根露くんは、雨風を完全に防げる屋根付きの広いウッドデッキの奥へとハンモックを移動させ、雨音を最高の子守唄にして今日も深い午睡(お昼寝)に落ちている。
私、さらんと、文芸部員の圭くんは、リビングで熱いコーヒーを飲んで一息ついていた。
「……よかった。涼太先輩、今日はすごく調子が良さそうだね」
私が微笑むと、圭くんも安堵の表情を見せた。
「……はい。昨日の午後と今日の午前中で、遅れは完全に取り戻せました。今は奥の『データ保管室』で、書き上がった全員の原稿をローカルサーバーにバックアップしているところです」
その時だった。
『バツンッ!』という重い音と共に、ロッジの奥にある「データ保管室」の照明だけが、フッと完全に消え去った。
「……えっ!? 停電!?」
圭くんが飛び起きる。
「……いや、リビングの電気は点いているわ。保管室だけよ!」
私たちが慌てて奥の廊下へ向かうと、暗闇に包まれた保管室のドアの前で、涼太先輩と、機材の監視をしていた写楽くんが立っていた。
「……どうしたんですか、先輩!」
「……わからない。急に保管室の電気が落ちて、サーバーのUPS(無停電電源装置)の警告音が鳴り始めたんだ。……でも、ドアの鍵は内側から掛けていたし、誰も入ってきていないぞ!」
ロッジのオーナーが慌てて駆けつけ、鍵のかかった「管理人室」にあるメインの分電盤を確認した。
「……データ保管室の『子ブレーカー』だけが落ちてますね。でも、なんでだろう。あそこの部屋は、パソコンと小さい照明しか繋いでないから、容量オーバー(過電流)で落ちるはずがないんだが……」
#2
「……特定の閉鎖空間における、局所的なブレーカーの遮断か」
写楽くんは、静かに自分のリュックから『デジタル・マルチメーター(回路計)』を取り出した。
「……オーナー。このロッジの『配線図』を見せてください」
写楽くんはタブレットで配線図を読み込むと、鋭い双眸で回路の繋がりをスキャンしていった。
「……なるほど。データ保管室のコンセントは、壁の裏側を通って、ウッドデッキにある『屋外用の防水コンセント』と同一の回路(並列接続)で結ばれている」
写楽くんは、躊躇することなく、激しい雨が降り込むウッドデッキへと歩き出した。
彼はハンモックで眠る根露くんの脇を通り抜け、壁の下の方に設置されている防水コンセントの前にしゃがみ込んだ。
「……完全に見えたぞ」
写楽くんが、雨音に負けない確信に満ちた声で告げる。
「……犯人は、保管室のドアの鍵も、管理人室のブレーカーボックスも開ける必要はなかった。……この『屋外コンセント』から、間接的に保管室の回路をショート(短絡)させたんだ」
「屋外コンセントから……?」
私が覗き込むと、普段は下向きにピタリと閉じているはずの防水カバーが、落ちていた『小枝』を挟み込まれて、ほんの少しだけ口を開けていた。
写楽くんは、そのコンセントの差し込み口の周辺に付着している、白い結晶状の粉末をピンセットで採取した。
「……この白い粉末は、塩化ナトリウム。つまり『塩』だ」
写楽くんは、静かに演繹を開始した。
「……純粋な水は電気を通しにくいが、塩が溶けた『食塩水』は極めて強力な導電体になる。……犯人は、ただの塩水ではなく、塩を溶かした水を棒状に凍らせた『食塩氷』を作った」
写楽くんは、小枝で開けられた隙間を指差した。
「……雨が降り始める前。犯人はこの隙間から、コンセントの左右の穴を跨ぐように、その食塩氷を差し込んだ。……氷の状態では電気は流れない。しかし、一時間ほど経過して氷が溶け出し、強力な導電体である『塩水』となって左右の電極を繋いだ瞬間、バチッとショート回路が形成された」
「……氷が溶ける時間を計算した、時限式の停電……!?」
涼太先輩が息を呑む。
写楽くんは、マルチメーターをしまい、静かに結論を告げた。
「……小枝でカバーを開け、食塩水の氷を仕掛けた人物。……物理的証拠(小枝と塩の結晶、そして配線図)から導き出せる『事実(HOW)』はここまでだ。……僕の領域は、ここで終わる」
写楽くんは、それ以上の憶測……なぜ氷を使ってまで、データ保管室の電気を『時間差』で落とす必要があったのか……を一切口にすることなく、静かに愛瑠来さんへと視線を送った。
#3
「……完璧な物的証拠の提示と、電気工学の証明です、写楽くん」
いつの間にか、全員分の温かいロイヤルミルクティーをトレイに乗せた愛瑠来さんが、ウッドデッキの入り口に立っていた。
彼の灰色の瞳が、降りしきる雨と、コンセントの残骸を優しく見つめる。
「……データ保管室のブレーカーを落とすためなら、ただ針金を突っ込むだけでもショートさせることはできたはずです。しかし犯人は、わざわざ『氷が溶けるまでの時間差』を必要とした」
愛瑠来さんは、涼太先輩と圭くんに温かいミルクティーを手渡した。
「……人間の非効率な行動には、必ず切実な『心理と事情(WHY)』が存在します。……ここからは、私の灰色の脳細胞の出番ですね」
文芸部の合宿を襲う、第二の事件。
写楽からバトンを受け取った愛瑠来が、氷の時限装置に隠された「犯人の真の狙い」へと迫る。
【第百四十五章:合宿のショート回路と、写楽の電気工学(校外合宿編・第三話) - 了】
(第四話へ続く)




