第9話:神奈川の天使とCレーション
「軍記はどうなるのだ……! しかし、これは『現地調達』という解釈で通るか……?」
横山少尉は、大本営の規則と目の前の空腹という現実の狭間で、ガチガチの頭を抱えて独り言を呟いていた。大森婦長も「略奪なんて、そんな……」とオロオロと周囲を見分けるばかりだ。
ひかりはそんな二人を見て、ケラケラと笑い飛ばした。
「ハァ? あんたホント石頭だなー、ポンコツ隊長。背に腹は代えらんねえんだよ! ……おい、佐藤! 早く準備しろ!」
「は、はいッ!」
ひかりの気合いに完全に引きずられている佐藤一等兵は、迷うことなく愛銃の三八式歩兵銃の先端に銃剣をシャキインと着剣し、国防色の九〇式鉄帽を深く被って、前線の臨戦態勢を整えた。
「じゃ、ちょっくら行ってくるわ。留守番よろしくねー」
ひかりは濡れた金髪ウェーブの頭を軽く振り、国防色の白衣の裾を翻して壕を出た。見送る兵士たちは、全員が「本当に食い物を持って帰ってこれるのか」という期待と、敵に見つかるのではないかという強い不安が入り混じった複雑な表情で、二人の背中を見つめていた。
◇
「たしか、あのパンチパーマのガキ、この辺りの草むらからウチを見てたんだよね……」
ひかりはピンクの爪先でジャングルの生い茂るシダの葉を掻き分けながら、佐藤一等兵を引き連れて泥道を歩いていく。
ザザッ……、と前方の暗闇から、草を踏みしめる確かな足音が響いた。
ひかりは一瞬でヘッドの鋭い目に戻ると、背後の佐藤へ低く手で合図を送った。
「佐藤、隠れてウチを援護しろ」
「はっ!」
佐藤一等兵は音を立てずに素早く泥の上に伏せ、三八式歩兵銃の銃口を足音のする闇へと向けた。
草むらから姿を現したのは、大きなトカゲを仕留めたと思しき骨突きの古い「刀(山刀)」を持った現地の原住民の子供と、その父親らしき大人の2人連れだった。夜の狩りにでも行く途中なのだろう。
普通なら、銃を構えるか逃げ出す局面。だが、柴山ひかりは違った。彼女はピンクのリップを施した唇を大きく開けると、満面のギャル特有の営業スマイルを浮かべて、堂々と2人の前に歩み出た。
「Hi. I'm very hungry. Please help me.(ねえ、ウチ超ハラ減ってんだけど。助けてくんない?)」
ミッション系女子校をギリギリで卒業したひかりの、拙いけれど度胸だけは満点の英語。
突如現れた金髪の白ギャル看護婦に、原住民の父親は完全に唖然として立ち尽くした。彼はひかりの泥まみれの赤十字の腕章と、奥の草むらに気配を感じる日本兵の影を油断なく見据え、引きつった声で問いかけてきた。
「Are you Jap?(お前たちは、日本兵か?)」
日本軍(Jap)だとバレれば、米軍に通報されるか、その場で山刀で斬りかかられるかもしれない緊迫した瞬間。しかし、ひかりは即座に首を横に振ると、胸を張って言い放った。
「No. I'm Angel from Kanagawa.(ちげーよ。ウチは神奈川から来た天使だよ)」
「え、えんじぇる……?」
父親はますます目が点になり、わけがわからないという顔をした。だが、その背後にいたパンチパーマの子供だけは、ひかりのそのぶっ飛んだハッタリに、昼間と同じようにニカッと白い歯を見せて笑顔になった。
ひかりはさらにポケットを探るジェスチャーをしながら、言葉を続けた。
「I love Smoke.(つーかさ、タバコ。タバコ持ってねえ?セッタきれてんだけど)」
しかし、流石にそのヤンキー特有の「タバコくれ」という要求は、現地の言葉の壁に阻まれて全く通じなかった。父親は不気味さを感じたのか、子供の肩を掴むと、ひかりを無視してそのままジャングルの奥へと引き返していってしまった。
「あーあ、通じねえか。マジ使えねえな」
ひかりはちっと激しく舌打ちをすると、草むらに向かって声をかけた。
「佐藤、帰るぞ。空振りだわ」
「は、はい……。しかし、ご無事で何よりです……」
佐藤一等兵がホッとして這い上がってきた、その時だった。
タタタタタタッ!! と、後方から小さな足音が激しく追いかけてきた。
振り返ると、先ほどの原住民の子供だけが、息を切らせて一人で走ってきたのだ。
その子はひかりの目の前に来ると、抱えていた大きな麻の袋をドンと力強くよこし、何かを叫びながら、再び父親の消えた闇へと疾風のように走り去っていった。
「な、何これ……?」
ひかりと佐藤が顔を見合わせ、恐る恐るその麻の袋の口を開けた。
中に入っていたのは、現地の芋やバナナではなかった。
オリーブドラブ色に塗装された、頑丈な金属製の缶詰の塊――米軍が前線兵士に支給している最新の野戦食「Cレーション」が、数個、ゴロゴロと入っていたのだ。
「これ……敵さんの美味い飯(缶詰)じゃん!!」
ひかりの目が輝く。現地の子供は、米軍に通報するどころか、自分を「神奈川の天使」と言い放った風変わりな金髪の姉ちゃんを気に入り、最高の宝物を分けてくれたのだ。
佐藤一等兵はその缶詰の文字を見て、驚愕のあまり声を震わせた。
「こ、これは米軍の食糧……! 噂には聞いていましたが、こんな贅沢なものを彼らは食べているのか……! 看護婦殿、や、やりました! 本当に調達に成功しました!!」
「よっしゃあ! 戻って速攻で山分けするぞ、佐藤! 気合い入れりゃ、なんとかなんだろ!」
ひかりはCレーションの袋を担ぎ、暗闇のブナのジャングルで、勝利の不敵な笑みを浮かべた。
(第10話へ続く)




