第7話:空を飛ぶ黒い蟻とサンダーバード
横山少尉は、泥の地下壕の入り口に立ち、先ほど光看護婦が目撃したという現地の原住民の子供について、張り詰めた表情で考えていた。
最悪の状況が脳裏をよぎる。もしあの子供が米軍の案内人であり、この野戦病院の位置がすでに敵の司令部に伝わっていたとしたら――。我々が夜間脱出の準備を整える前に、この壕は確実に更地にされる。
少尉がじっと、鬱蒼としたジャングルの隙間から覗く、重苦しい南洋の空を見上げた、その時だった。
青い空の遥か高みに、黒い蟻のような小さな点が、多数蠢いているのが見えた。
それは一見、ただの虫の群れのように静かだった。だが、軍人としての横山少尉の五感が、それが何であるかを一瞬で理解し、全身の血が一気に逆流した。蟻の群れに見えたものは、高度を維持したまま、こちらへ向かって急速に位置を下げてくる、死の軍勢の編隊だった。
「敵機ッ!!! 戦闘機の編隊だ!!! 皆伏せろォーーーーーッ!!!」
少尉の絶叫が地下壕の中に響き渡る。
次の瞬間、ブナのジャングル全体が、この世の終わりかと思うほどの暴力的な金属音と爆音に包まれた。
ドバババババババババババババババババババッ!!!!
米軍戦闘機が放つ12.7mm重機関銃の機銃掃射が、大地を、ヤシの木を、人間の肉体を等しく蹴散らし、粉砕していく。弾丸が泥に突き刺さるたびに、凄まじい土煙が跳ね上がり、辺りの巨木がマッチ箱のようにへし折れて粉々になって飛び散った。
キーンと耳をつんざく、独特の双胴の金属音が頭上を何度もすり抜けていく。地下壕の中にまで、火薬の焦げた匂いと、植物の汁が飛び散った強烈な硝煙の臭いが立ち込めた。
兵士たちは息を止め、頭を抱えて泥の中にへばりつく。ひかりもまた、大森婦長に床へ引きずり降ろされ、ピンクのネイルが泥に染まるのも構わずに顔を伏せていた。
数分後。
大地を震わせていた凄まじい轟音が、波が引くように遠ざかり、南洋のジャングルに、折れた木々が炭化してくすぶる不気味な静寂が戻ってきた。
ひかりは、金髪ウェーブの頭から大量の砂と泥を払い落としながら、フラフラと立ち上がった。そして、煙が漂う空の彼方へと消えていく、二つの胴体を持つ奇妙な戦闘機の後ろ姿を見上げて、呆然と呟いた。
「……何、今の。マジでありえないんだけど。……つーか、なんだあれ。サンダーバードか?」
令和の白ギャルが脳内の引き出しから必死に引っ張り出してきた、SF特撮のような奇妙な飛行物体の名前。
そのあまりにも緊迫感のない、ボケ散らかしたひかりの言葉に、隣で軍刀を握りしめていた横山少尉が、即座に、そして心底呆れたような鋭い声でツッコミを入れた。
「馬鹿。P38 ライトニングだ。」
エリート将校のプライドをへし折られたはずの横山少尉だったが、ひかりのあまりの無知っぷりに、軍人としての「教本通りの知識」が本能的に口を突いて出てしまったのだ。
少尉はフゥと一つ息を吐くと、すぐに指揮官の顔に戻り、壕内を見回して大声で怒鳴った。
「各員、定位置へ戻れ! 負傷者はいないか!? 衛生兵、被害を報告せよ!」
「は、はい! こちらは全員無事です!」
佐藤一等兵がバケツを頭から外しながら叫ぶ。幸いにも、ココヤシの丸太を幾重にも重ねた強固な地下壕は、米軍の機銃掃射を完璧に弾き返していた。
ひかりは、少尉に「馬鹿」と言われたことにムッとしながらも、周囲の兵士たちが誰一人死んでいないのを見て、ホッと胸をなでおろした。そして、自分のセリフに即座にツッコミを入れて見せた横山少尉の横顔を、ニヤリと見つめた。
「へえ……ポンコツ隊長、結構冷静じゃん。P38だか何だか知らねえけどさ、あんな蟻んこみたいな飛行機にビビってたら、ウチらのヘッドは務まらねえからね!」
米軍の容赦ない空中からの洗礼。しかし、ひかりの「サンダーバード」の一言で、兵士たちの顔から再び恐怖の色彩が消え、生きるためのド根性がより一層強固に固まっていくのを、横山少尉は確かに感じていた。
(第8話へ続く)




