第3話:100円の神火と即席ちゃんこ鍋
ひかりの怒声に背中を押された兵士たちが、必死にジャングルの泥を這いずり回り、飯盒の中にトカゲやヘビを数匹捕まえて戻ってきた。
生きるため、貪欲に泥まみれの獲物を集める男たちを見て、横山少尉はヤシの実のジュースで潤った唇を開いた。
「……だが、看護婦。これらを炊爨するのには火がいる。このブナの湿地帯で火を焚けば、その煙は敵の格好の的になるぞ。米軍の迫撃砲が瞬時にこの壕を正確に吹き飛ばすだろう」
それは前線指揮官としての、極めて冷静で正しい指摘だった。戦場において、煙は自らの位置を敵に教える自殺行為に等しい。
しかし、ひかりはフッと鼻で笑い、自信満々に言い放った。
「心配すんなって。そんなのウチがなんとかしてやっから。おい、動ける奴は全員、そこらの枯れた枝持って来い!」
ひかりの堂々とした態度に、兵士たちが吸い寄せられるように枯れ枝を集め始める。そこへ、片足に包帯を巻いた負傷した主計兵が、どこからか古びた鉄の鍋を抱えて転がり込んできた。軍の物資を管理する主計ならではの執念の調達だった。
「看、護婦殿……! 炊事場からこれを持ってきました! それから、これをお使いください!」
主計兵がボロボロの懐から差し出したのは、紙に包まれた数少ない、貴重な乾燥味噌だった。
「お、主計! よくやった!」
ひかりは主計兵の頭をガシガシと雑に撫で回すと、鉄鍋を這い出た泥の上に据えた。
「よし、捕まえたトカゲもでんでん虫も、全部この中に打ち込みな!」
集まったヘビやトカゲが容赦なく鍋に放り込まれ、そこに泥水を濾した水と、貴重な乾燥味噌が投入される。ジャングルの湿気た空気の中に、うっすらと懐かしい味噌の香りが漂った。
「よし! 野菜はねえけどさ、ちゃんこ鍋、皆で食おうぜ!」
ひかりが腕をまくってそう言うと、鍋の周りを囲んでいた兵士たちの間で、一瞬だけ張り詰めた空気が緩んだ。
「ちゃんこ鍋……?」
泥まみれの佐藤一等兵が、不思議そうな顔でひかりを見上げた。
「……看護婦殿は、相撲部屋の女将さんか何かなのですか?」
「ちげーよ。バカ。」
ひかりは間髪入れずに佐藤の頭をパチンと叩いた。
「ウチは美容師! つーか、ヤンキーのヘッド! 身内全員でひとつの鍋突っつくのは、ちゃんこだろーが!」
「痛っ……! は、はあ……ヤンキーの、へっど……?」
佐藤は首を傾げたが、ひかりのその飾らない、ぶっきらぼうな優しさに、壕の中の誰もが救われるような気持ちになっていた。
だが、そこで横山少尉がハッと我に返り、ポケットを探りながら厳しい表情を浮かべた。
「……いかん、やはり火が点けられん。軍用のマッチが湿気て全滅している。これでは生肉のままだ……」
当時の兵士たちにとって、湿地帯での着火は命懸けの作業だった。マッチが湿気れば、それだけで温かい食事は諦めるしかなかった。
しかし、ひかりはフッと笑うと、国防色の看護婦衣のポケットに手を突っ込んだ。
「だから、心配すんなって言ったじゃん」
ひかりが指先でつまみ出したのは、令和の横須賀のコンビニで、セブンスターと一緒に買った100円の使い捨てプラスチックライターだった。蛍光ピンクの、透き通った奇妙な四角い塊。昭和17年の人間たちには、それが何なのか想像すらつかなかった。
ひかりは集まった枯れ枝の前にしゃがみ込むと、親指でライターのホイールを「カチッ」と小気味よく回した。
火花が飛び散った次の瞬間。
フッ、と小さな、だが力強いオレンジ色の炎が、ひかりの指先に灯った。
「おおおっ……!?」
「火だ! 火が点いたぞ!?」
壕の中に、地鳴りのような驚きと歓声が沸き起こった。湿気も、風も関係ない。ただ指先を動かしただけで、何もないプラスチックの塊から完璧な火種が生まれたのだ。横山少尉は、まるで魔法でも見たかのように目を剥き、ひかりの指先を凝視した。
「看護婦……そ、それは一体、何なのだ!? どこの秘密兵器だ!?」
「あ? これ? ……ただのライターだけど」
ひかりは平然とした顔で、その100円の炎を枯れ枝の山へと移した。湿ったジャングルの木々が、ひかりの気合いに押されるように、パチパチと音を立てて燃え上がり始める。
煙を最小限に抑えるため、ひかりは手際よく火を調整しながら、不敵に笑った。
「ドイツの最新兵器でも、大本営の秘密道具でもねえよ。ウチの時代(令和)じゃ、100円でありえないくらい手に入る『当たり前の道具』。……いいか、テメエらが神様だと思って拝んでる大本営の偉い奴らが『もうダメだ、玉砕しろ』って言ったってな、ウチの時代から見れば、そんなのただの思考停止なんだよ。道具も、知恵も、気合いもありゃ、地獄の底からだって這い上がれんだよ!」
燃え盛る炎が、鉄鍋の中の乾燥味噌を溶かし、トカゲやヘビの肉をぐつぐつと煮立たせていく。
戦場に漂う、圧倒的な「生命の匂い」。
「それはなんだ?」と尋ねた横山少尉の目に、もはや絶望の影はなかった。目の前の金髪の少女が持つ、未来の、そして人間の「生きるための知恵と気合い」に、彼は心の底から未来を託してみようと誓っていた。
(第4話へ続く)




