第七話 それは護衛じゃないだろ ―オーパス―
その時、ジャスパーたち四人は、朝から一斉集会の案内図を囲んでいた。
使っているのは、男子部四年一組の教室に貼られた正式な図ではない。ルビアスが自分の算術の練習用紙へ、大講堂と回廊の形を書き写したものだ。
中央に大講堂、東側に男子部へ戻る回廊、西側に女子部へ戻る回廊。
生徒たちは学年ごとに分かれて退場し、教師の指示に従ってそれぞれの校舎へ戻る。
案内図には、それだけしか書かれていない。
……ところがルビアスの紙には、いつの間にか矢印が増えていた。
「殿下は来賓席の近くへ座られるから、退場は一般の女子生徒より少し遅いはずだ」
ディアモンが、紙の上を指でなぞる。
「なら、ジャスパーは西側の出口で待つのがいい」
「それでは目立つ」
ジャスパーは椅子の背へ片腕を載せ、図を見下ろした。
「昨日も殿下から、周囲の注目を集めていると注意された。四人でまとまって近づくのは控えよう」
――控える。
その言葉が聞こえたところまでは、僕も少し安心した。
僕――オーパス・フレッグは、ジャスパーたちと同じ男子部四年一組にいる。
地方の小さな男爵家の長男で、家柄だけなら、彼ら四人より明らかに下だ。一組へ入れたのは試験の成績がよかったからで、剣術や馬術では、ジャスパーにもディアモンにもかなわない。
だから四人を押し退けて、言うことを聞かせられるような立場ではない。
それでも、目の前でまずいことを始めたら、まずいとは言える。
できれば、一度で聞いてほしい。
「まとまらないなら、どうするんだ?」
僕が尋ねると、ルビアスが練習用紙をこちらへ向けた。
「こうする」
図の上には、四つの印がある。
一つは女子側の出口。
一つは大講堂から中央回廊へ出る角。
残り二つは、女子部へ向かう通路の途中。
「ディアモンが先へ行って、人の流れを確認する。ルビアスは中央回廊。ペリドには最後尾を頼みたい」
「ジャスパーは?」
「殿下の近くだ」
……結局、一人は近づくのか。
「それ、四人で一緒に歩くより悪くないか?」
「なぜだ?」
「教師の指示もないのに、女子側の通路へ四人を配置するんだろ」
「配置ではない。たまたま別々の位置を歩くだけだ」
「今、場所を決めたじゃないか」
ルビアスは練習用紙を半分に折った。
「目立たないための工夫だよ」
「見つかったとき、余計に説明しづらいと思うけど」
「誰に説明する必要がある?」
「教師とか、女子部の生徒とか、王女殿下とか」
ディアモンが、机へ寄りかかっていた体を起こした。
「殿下は大勢の前で、我々が四人も必要だとはおっしゃれない。だから、こちらが人数を見せずに守るんだ」
「昨日、必要ないって言われただろ」
「女子側の席へ四人で行く必要はない、という意味だ」
「そんなふうに言ってたか?」
「殿下は、周囲の噂を気にしておられる」
ジャスパーが答えた。
「シトリンが誤解しないよう、殿下御自身が話してくださったほどだ。こちらも、お立場へ配慮しなくてはならない」
僕は、ジャスパーの机の上にある教科書を見た。
今日の一時間目は法律概論である。教師が来れば、全員席へ戻らなくてはならない。
それまでに、何とかこの話をやめさせたい。
「シトリン嬢は、お前へ注意するために手紙を送ったんじゃないのか」
「話すのは今日の放課後だ」
「だったら、話が終わるまで何もしない方がいいだろ」
「一斉集会も今日だ。話し合いが終わってから準備を始めても間に合わない」
「準備しなくていいんだよ」
ペリドが、折り畳まれた案内図へ手を伸ばした。
「オーパス。大声を出すな。教師が来る」
「僕が悪いのか?」
「そうは言っていない」
ペリドは紙を開き、四つの印をしばらく見ていた。
「ただ、ここまでする必要があるのかとは、俺も思う」
ディアモンがすぐ隣を向く。
「お前まで何を言っている」
「昨日の殿下は、本当に嫌がっておられた」
「だから目立たないようにするんだろう」
「そういう意味だったのか?」
ペリドの指が、女子側出口の印を軽く叩いた。
「『必要ありません』と言われた。アマンド護衛官からも、男子側へ戻れと言われた」
「表向きは、そう言うしかない」
「何でだ?」
「王女殿下が、自国の護衛だけでは不安だと認められると思うのか」
「不安そうには見えなかった」
ペリドの言葉に、僕は思わずうなずいた。
そうだ。ラピス殿下は困っていた。
ただし、護衛が足りなくて困っていたのではない。ジャスパーたちが食事の邪魔をするから困っていた。
「ペリド。お前は、ジャスパーを信じていないのか?」
ディアモンに問われ、ペリドは口を閉じた。
同じ伯爵家の令息でも、ディアモンとペリドでは少し違う。
ディアモンはジャスパーの祖父の話を誰より喜び、軍人の息子や弟として、自分も同じ側に立ちたがる。
ルビアスは皆で何か計画することが好きで、一度面白いと思うと先へ進む。
ペリドは、二年前の馬術訓練で落馬したとき、ジャスパーに助けられた。それ以来、何をするにも彼と一緒にいる。
ジャスパーが間違っているかもしれないと考えることは、自分が恩知らずになることのように感じているのだろう。
「信じている」
しばらくして、ペリドが答えた。
「なら、余計なことは考えるな。俺たちは、殿下をお守りすればいい」
「でも、信じている相手が間違えそうなら、止めるのも友達だろ」
僕の言葉に、ディアモンは露骨に顔をしかめた。
「お前は、いつからジャスパーの友人になったんだ?」
そう言われると弱い。
僕は彼らと同じ教室で学び、授業や課題について話すことはある。だが、昼食を一緒に食べる仲ではない。剣術や馬術の訓練にもついていけない。
四人に何かを言えるのは友人だけだ、と決められたら、僕には黙るしかなくなる。
けれど、問題を起こす場所は学院だ。同じ学年の生徒まで巻き込まれる。
「僕が友達かどうかは関係ない。王女殿下が嫌がっているかどうかだ」
「殿下のお気持ちを、お前が決めるのか?」
「御本人が言っていただろ!」
その時、教室の前扉が開いた。入ってきた法律概論の教師が、こちらへ目を向ける。
「授業を始めるぞ。席へ戻れ」
四人は散り、僕も自分の席へ座った。教師が教科書を開く。
「今日は、王国行政における権限と命令系統について扱う。前回の続きだ」
……ジャスパーたちに、今すぐ聞いてほしい言葉だった。
ところがディアモンは真面目に板書を写し、ルビアスも教師の説明へうなずいている。
――権限を持たない者が独断で動けば、責任の所在が不明確になる。命令を受けていない者は、善意であっても組織の行動を妨げる場合がある。
教師の説明を聞きながら、僕はジャスパーの背中を見る。彼もきちんとノートを取っていた。
だけど、授業の話と自分がしていることを、まだ結びつけてはいないらしい。
*
午後の授業が終わると、男子部の生徒は大講堂へ移動するため廊下に並んだ。
ジャスパーだけはシトリン嬢との約束があり、一度、中央談話室へ向かった。
僕はその間に、もう一度ペリドへ声をかけた。
「やめた方がいい」
「分かってはいる」
「分かってるのか?」
「……分からなくなってきた、という意味だ」
列が進み、僕たちは階段を下りる。
前にはルビアスとディアモンがいる。二人は朝に決めた位置を確認しながら、何度か大講堂の出口へ目を向けていた。
「なら、ペリドから言ってくれよ。僕よりお前の方が、ジャスパーも聞くだろ」
「シトリン嬢と話せば、考え直すかもしれない」
「考え直さなかったら?」
ペリドは返事をせず、大講堂の扉をくぐった。
男子部と女子部の生徒が、学年ごとの区域へ分かれて座っている。教師たちは壁際に並び、退出時に混雑しないよう、出入口の近くにも数人が立っていた。
これだけ人がいるのだ。ジャスパーたち四人が勝手に整理する必要など、どこにもない。
一斉集会が始まってしばらくすると、中央談話室へ行っていたジャスパーが戻ってきた。
入口にいた教師へ遅れた理由を話し、男子部四年の列へ加わる。
「どうだった?」
すぐにディアモンが尋ねた。
「話はした」
「シトリン嬢も分かってくれたか?」
「今はまだ、噂や殿下の言葉に心を乱している。だが、こちらの考えは説明した」
嫌な言い方だった。
シトリン嬢の手紙は、最初から落ち着いて見えた。あの人が何を言ったのか知らないのに、ジャスパーの説明だけで、心を乱していることにされている。
「それで、午後は?」
「予定どおりだ。ただし、くれぐれも目立たないように」
ペリドが顔を上げた。
「ジャスパー。シトリン嬢は、やめろと言わなかったのか」
「危険のない間は行動を控えると伝えた」
「約束したのか」
「一切近づかないとは約束できない」
ディアモンがペリドの肩を叩く。
「ほら、決まっただろ」
大講堂の前方では、学院長が次の合同祭について話している。
保護者や卒業生、大学関係者も招く大きな催しになるため、学院の規則と来賓への礼儀を守るようにという注意だった。
僕は鞄の内側から、授業予定を書き留める小さな手帳を出した。
今日の日付の下へ、一行だけ書く。
『一斉集会後、ジャスパー、ディアモン、ルビアス、ペリドがラピス殿下へ付き添う予定。朝、止めた』
「何を書いている?」
隣の生徒に聞かれ、手帳を閉じる。
「忘れたくないこと」
学院長の話が終わり、教師が列ごとに退出の指示を出し始めた。
男子部四年生の列も立ち上がる。
ジャスパーたちは、最初は僕たちと一緒に東側の出口へ向かった。
けれど中央通路へ出る直前、ルビアスが列から離れた。少し遅れてディアモンが反対側へ回り、ペリドだけが、その場で一度足を止める。
ジャスパーは女子側の出口を見た。
四人で固まっていない分、本人たちは目立たないつもりなのだろう。
だけど僕からは、全員がどこへ向かうのか、かえってよく見えた。




