第六話 四人で食べる昼食 ―アメージュ―
今日の昼食は、白身魚の揚げ物に茹でた根菜、玉ねぎのスープ、それからパン。
献立表を見たときから楽しみにしていたのに、私は食堂へ入るなり、空いている席を探して歩き回ることになった。
「アメージュ。こちらでいいんじゃない?」
「だめだめ! 男子側がよく見えるもの」
シトリンが示した卓を通り過ぎ、もう一列奥へ進む。
「では、あそこは?」
「給仕口に近すぎるわ。人が何度も後ろを通るでしょう」
「今日は随分こだわるのね」
「四人で落ち着いて話せる席が欲しいの」
私――アメージュ・フレグラントは、シトリンがラピス殿下に会うより前からの友人だ。
フレグラント家は、上位貴族というほどの家ではない。領地も小さく、王都の屋敷もアザフォード侯爵家とは比べものにならない。
それでも中央学院の四年一組にいるのは、入学してからの成績と素行が、それなりによかったからである。
自分で言うと少し格好が悪いので、普段は言わない。
けれど一組で過ごすには、授業だけでなく、誰がどこで何を話しているかにも気をつける必要がある。王女殿下を交えた昼食なら、男子側から目につきにくく、ほかの女子生徒の邪魔にもならず、逃げ道まで確保できる場所がいい。
……何から逃げるのかは、考えたくもない。
「ここにしましょう」
食堂の奥、太い柱のそばに四人分の席を見つけた。
男子側から完全に隠れるわけではないが、中央通路からは少し外れている。ジャスパー様たちが来るなら、女子側の卓をいくつも回り込まなくてはならない。
「食事をするのに、ここまで考える必要があるかしら」
「普通はないわね」
私たちが席へ着いて間もなく、ラピス殿下とベリル様が食堂へ入ってきた。
昨日の一件を見ていた女子生徒が、二人の方を見る。
以前は、外国の王女殿下への好奇心が強かった。けれど今日は少し違う。
『昨日、はっきり断っていらしたわよね』
『それでも来るなんて、怖くない?』
近くの卓から、そんな声が聞こえた。
囁いている本人たちは、ラピス殿下を見物しているというより、本気で心配しているらしい。
女子側でジャスパー様を立派だと思っている生徒は、もうほとんど残っていないだろう。
最初のころは、王女殿下を気遣うなんて素敵、と話す子もいた。
それも一度や二度までである。
毎日のように男子側から女子側へ来る。断られても来る。三人の友人まで連れてくる。婚約者であるシトリンを放って、王女殿下の後を追う。
しかも昨日は、ラピス殿下から直接、頼んでいないと言われていた。
それでも話を続ける男子生徒を見て、まだ素敵だと思えるほど、女子部の生徒たちは夢見がちではない。
「こちらへどうぞ」
立ち上がりかけたシトリンを、ラピス殿下が手で制した。
「学校の食堂ですもの。そのままで結構です」
四人分の食事が卓へ並ぶ。
ラピス殿下がわたしの向かい、ベリル様がシトリンの向かいへ座った。王女殿下と同じ卓で食事をすることに、少し緊張する。
だからといって、揚げ物が冷めるまで待つつもりはない。
「先に食べません?」
私が言うと、ラピス殿下は小さく笑った。
「そうしましょう。昨日はスープを冷まされましたから」
全員が同じタイミングで食事に手をつける。
揚げ物の衣は、まだざく、と音がするくらいに固い。添えられたソースにはまろやかさの中にも酸味があり、白身魚によく合っていた。
「美味しい……」
「今日は当たりでしょう?」
「アメージュ、献立を決めたのはあなたではないわよ」
シトリンに言われたが、毎週献立表を確認しているのだから、少しくらい自慢してもいいと思う。
ラピス殿下は魚を一口食べたあと、向かいに座る私を見た。
「それで、シトリン様とのお話はいかがでした?」
「食べながら聞いて大丈夫です?」
「食べなければ、また冷めます」
それもそうだ、とシトリンはパンを小さくちぎり、スープへ浸した。
「ジャスパーは、ラピス殿下のところへ行かないとは約束しませんでした」
「まあ」
「危険がない間は、目立つ行動を控えるそうです」
「つまり、何も変える気がないのね」
ラピス殿下の言葉に、ベリル様がうなずいた。
「危険があるかどうかを、マーチモンド令息本人が判断するのであれば、そのとおりかと」
「その危険とやらは、どこにあるんです?」
私が尋ねると、シトリンは困ったように魚を見た。
「学院内のどこかに、起きるかもしれないそうよ」
「何が?」
「万一の事態が」
「だから、何の?」
「そこまでは聞かなかったわ」
ラピス殿下の手から、ナイフが少し下がった。
「……わたくしは、何に狙われているのでしょう?」
「心当たりはございますか?」
ベリル様が真面目に尋ねる。
「あなたが知らないものを、わたくしが知っていると思う?」
「では、現時点では特にございません」
ラピス殿下は切り分けた魚を口へ運び、しっかり飲み込んでから言った。
「それでもジャスパー様は、わたくしを守るのですね」
「そうみたいです」
何だろう。
聞けば聞くほど、怖くなってくる。
ジャスパー様は、自分が欲しいものをラピス殿下に押しつけているわけではない。
宝石や花なら、受け取らずに返せる。けれど彼が押しつけているのは、自分に守られる王女という役だった。
ラピス殿下がその役から降りようとすると、王女だから素直に助けを求められないのだと引き戻される。ベリル様が守れると言えば、護衛官だから力不足を認められないのだと決めつけられる。
シトリンが迷惑だと伝えれば、嫉妬で言葉を悪く受け取っていることになる。
「シトリン。ジャスパー様、あなたの話は聞いたの?」
「聞いてはいたわ」
「聞いたうえで、違う話にしたの?」
「たぶん」
「それ、話し合いっていう?」
シトリンはスープの中で柔らかくなったパンを、匙ですくった。
「同じ話をしていたつもりだったのよ。でも、途中から何について話しているのか、よく分からなくなってしまって」
「わたくしもです」
ラピス殿下がすぐに同意した。
「お願いしていないと言っているのに、最後は周囲の噂に配慮して、もっと目立たない護衛方法を考えるという話になりました」
「もっと目立たない方法?」
「ええ」
「続けるつもりなの?」
「ええ」
私は揚げ物の最後の一切れを食べ、皿へナイフを置いた。
「嫌だわ、それ」
王女殿下にかける言葉として正しいかは分からない。
けれどラピス殿下は怒らなかった。むしろ、少しだけ椅子をこちらへ寄せた。
「わたくしも嫌です」
「ですよね」
シトリンの肩がわずかに下がった。
彼女も昨日から、同じようなことを何度も説明していたのだろう。
「シトリン様。申し訳ありません」
ラピス殿下が、今度はシトリンへ顔を向けた。
「わたくしがあなたへ話したことで、婚約者との間へ余計な問題を持ち込んでしまいました」
「ラピス殿下が持ち込んだのではありません」
シトリンの返事は早かった。
「もともと私の婚約者が、殿下へご迷惑をかけていたのです。学院内で噂にもなっています。殿下から教えていただかなければ、私はジャスパーの話だけを聞いて、ずっと勘違いしたままでした」
「婚約については、どうなさるの?」
「昨日、実家へ手紙を出しました。次に帰ったとき、父と母に話します」
「解消するのですか」
「まだ決めておりません」
シトリンはパンの残りを二つに割った。
「でも、ジャスパーを庇うつもりはないと、本人にも伝えました」
私は思わず顔を上げた。
「何て返ってきた?」
「庇われる必要はないそうよ。自分は恥じるようなことをしていないから、と」
ラピス殿下の皿の上で、ナイフとフォークが止まった。
ベリル様は食べ終えた卵の殻を、皿の隅へきれいにまとめている。
「マーチモンド令息は、たいへんお強い方ですね」
「ベリル、それは褒めている?」
「自分への信頼が、という意味でございます」
「そうね」
ラピス殿下は納得し、食事を再開した。
私は笑いそうになったが、考えてみれば笑い事ではない。
「殿下。次にジャスパー様が来たら、どうなさるんです?」
「今まで以上にはっきり断ります」
「今まででも、十分はっきりしていたと思うけど」
「では、教師のいるところで申し上げます。後から違う意味へ受け取られないよう、ベリルにも聞いていてもらいます」
「それでも続く場合は、学院へ相談なさるべきです」
ベリル様は食事用の布で口元を拭き、膝の上へ戻した。
「正式な護衛の指示を無視し、護衛対象へ近づき続ける者は、身分や本人の意図にかかわらず警戒対象となります」
「ジャスパー様、王女殿下を守ろうとして、自分が不審者になってるじゃない」
口から出てから、少し言いすぎたと思った。
シトリンはうつむき、片手で口元を隠している。肩が揺れたので、どうやら笑っているらしい。
ラピス殿下も目を伏せ、唇を結んでいた。
「アメージュ様」
「はい。申し訳ございません」
「いいえ。適切な表現だと思います」
ベリル様だけが真面目に答える。それで私たちは、しばらく笑いを止められなくなった。
近くの卓の生徒が何事かとこちらを見る。王女殿下を囲んで深刻な話をしていると思っていたら、突然四人で笑い出したのだから当然だ。
笑いが収まるころには、皿の上の料理もほとんどなくなっていた。
ラピス殿下が、最後に残しておいた焼き菓子を半分に割る。
「よかった。昨日より、ゆっくり食べられました」
「今後もここへ座ります?」
私が尋ねると、殿下は窓際の柱と男子側までの距離を見た。
「ジャスパー様から隠れるため、というのは癪ですけれど……」
「この席、午後になると日が入って暖かいんです。それに給仕口から遠いので、人もあまり通りません」
「では、その理由で」
シトリンが鞄から来週の献立表を出す。私が昨日、机へしまったものと同じ紙である。
「アメージュ。来週は何がおすすめなの?」
「水曜日の肉入りパイ。それと、金曜日の焼き林檎」
「木曜日は?」
「豆です」
「豆だけ?」
「豆がたくさん入ったスープ」
ラピス殿下が献立表を受け取り、木曜日の欄をじっと見た。
「では、木曜日もこちらでご一緒してよろしい? わたくしたちだけで食べるには、少し寂しい献立です」
「もちろん」
「焼き菓子と交換できるものがあるかもしれません」
ベリル様が、自分の献立表へ木曜日の印をつける。
シトリンも鞄から鉛筆を取り出した。
私は四人分の紙を卓の中央へ集め、まず水曜日の肉入りパイへ丸をつけた。




