第三十八話 説明に必要のないこと ―コロンダム―
その日、アザフォード嬢から届いた手紙には、質問が一つもなかった。
大学の作業室で封を切り、便箋を一枚目から読み直す。
――学院の庭で、私が書いたものと同じ花を探したこと。
――似た形の葉はあったが、花の色が違ったこと。
――植物学の教師へ尋ねたところ、私が見た花は乾いた土地を好むため、水路に近い学院の庭には向かないと教えられたこと。
――アザフォード領の石切り場について、姉君が古い帳面を取り寄せたこと。
以上である。
便箋を裏返す。何も書かれていない。封筒の中をもう一度確かめたが、二枚目も図も入っていなかった。
「何か足りなかったのか?」
隣の机で鉱石を分けていた助手が尋ねる。
「質問がありません」
「誰からの手紙だ?」
「中央学院のアザフォード嬢です」
「ああ。いつも図を送っている方か」
「ええ」
「質問がないなら、答えなくていいだろう」
それは正しい。
これまでの手紙には、必ず何か尋ねたいことが書かれていた。
排水路の傾き。水門の歯車。車輪へ使う金属。石垣の積み方。鉱山で使う灯り。
私は問いへ答え、必要な図を添えて送り返す。その返事に新しい質問が書かれ、また説明する。
今回の手紙には、答えるべき問いがない。
「読んだという返事は、必要では?」
「急ぐ内容なのか?」
「いいえ」
「なら、次に質問が来たとき、一緒に答えればいい」
助手は選別した石へ番号札をつけ、隣の箱へ移した。
私は手紙を作業机の端へ置いた。
今日は、北部から届いた石炭の試料を調べなくてはならない。産地によって燃え方がどの程度違うか確かめるため、同じ重さに分け、燃やしたあとの灰も量る。
その準備をしているうちに昼になった。
大学の食堂では、豆と塩漬け肉を煮たものが出た。パンは朝に焼いたものらしいが、端が少し固い。
向かいに座った学生が、煮込みの中から香草を取り出した。
「今日のは多すぎないか?」
「昨日、厨房へ香草が一箱届いたそうです」
「届いたから全部入れたのか?」
「全部ではないでしょう」
香りは強いが、肉の塩気とは合っている。
*
食事を終え、作業室へ戻る。
机の端には、まだアザフォード嬢の手紙があった。
――学院の庭には、同じ花がなかった。
それについて、私が答える必要はない。だが、私の見た花がどこに咲いていたかは、まだ書いていなかった。
大学の庭に植えられているのではなく、裏門近くの石積みの隙間へ、いつの間にか根づいたものだった。庭師が植え替えようとして、根が思ったより深くまで入っていることに気づいた。
そのため、建物の土台から離れた場所へ移したのである。
便箋を一枚取り出した。
「返事を書くのか?」
助手が石炭の箱を持って、机の前を通る。
「花が咲いていた場所を、まだ御説明しておりませんでした」
「それは、鉱山と関係があるのか?」
「石の隙間へ根を伸ばす植物は、古い石垣にも影響します」
「では、石垣の説明か」
「……それもあります」
最初の行へ、アザフォード嬢の名を書く。
――花が咲いていた場所と、庭師が植え替えた理由。
――今日の昼食に出た煮込みへ香草が多く入っていたこと。
――石炭の試料が届き、午後から燃え方を比べること。
そこまで書き、便箋を見直す。
石炭の試料については、何を調べるのか簡単に書き添えた。だが詳しい図は必要ない。アザフォード嬢は、石炭について何も尋ねていない。
昼食の香草も、庭の花とは別の種類である。
説明に必要なことだけを残すなら、半分以上を消すことになる。
「何枚になった?」
助手が尋ねる。
「一枚です」
「珍しいな」
「何が?」
「君から中央学院へ送る手紙にしては、薄い」
便箋を封筒へ入れる。
「今回は、質問がありませんでしたから」
「では、何を書いたんだ?」
「花と、昼食と、今日の作業です」
「それは返事なのか?」
「手紙に書かれていたことへ、こちらのことを書きました」
「なら、手紙だろう」
「最初から、そのつもりです」
「そうか」
助手はそれ以上尋ねず、試料を燃やす炉へ向かった。
私は封を閉じる。図を描かず、問いへの答えも書かなかった手紙は、これが初めてだった。
*
返事は、五日後に届いた。
アザフォード嬢は、大学の食堂で香草を入れすぎた話を、アマンド護衛官へしたらしい。
ロルカにも同じ香草があり、肉へ使うことはあるが、豆と一緒に煮ることは少ないという。その下には、学院の昼食へ出た魚のソースが酸っぱすぎて、フレグラント嬢がパンを二つ使って食べたと書かれていた。
今回は、最後に一つだけ質問があった。
――石炭を燃やした結果は、どのようになりましたか。
試料のうち、北東のものが最も長く燃えた。ただし、燃やしたあとに残る灰も多い。熱の強さだけでなく、運ぶ距離や灰の処理まで考えなくては、どれが最も使いやすいかは決められない。
返事を書きながら、灰を量った表を写す。
その横へ、大学の食堂では翌日から香草の量が元へ戻ったことも書いた。
魚のソースについては、私には分からない。代わりに、公使館でトパーズと食事をした際、ロルカから届いた乾燥果実が出たことを書いた。
それからも、同じような手紙が続いた。
問いが三つ届く日もある。何も届かない日もある。
何も尋ねられていないときも、学院で起きたことや、読んだ本について書かれていれば、私も大学であったことを書いて返した。
説明のために図を描く日より、便箋だけで済む日の方が増えていく。
封筒は薄くなったが、手紙を書く回数は増えた。
*
長期休暇が近づいた頃、アザフォード嬢から、いつもより大きな封筒が届いた。
中には便箋のほかに、二つ折りにされた地図が入っている。
アザフォード領の中心にある町と、侯爵家の屋敷、それから石切り場までの道が描かれていた。
町から北へ進み、小さな川を渡る。森の手前で道が二つに分かれ、西へ進んだ先が石切り場である。
石切り場からは、別の道が領内の水路へ続いていた。
道の横には、アザフォード嬢の字で説明がある。
――大きな荷車は、こちらを通ります。
――雨のあとは川沿いの道がぬかるむため、丘側を使います。
――古い運搬路は現在使われていませんが、途中まで歩けます。
便箋には、家族とともに長期休暇を領地で過ごすこと、その間に石切り場と古い帳面を確かめる予定だと書かれていた。
最後に、別の一文がある。
――ルドック様が今も御興味をお持ちでしたら、父が正式に御招待したいと申しております。
地図を机へ広げる。
アザフォード領までは、王都から馬車で一日半ほどかかる。途中の町で一泊すれば、翌日の昼前には着く。
石切り場そのものは大きくないと聞いている。
採れるのは薄い灰色の石で、領内の水路や橋、建物へ使われている。
私は、大学の予定表を取り出した。
休暇の最初の十日間は、教授が南部の川へ調査に出る。私は同行しない。石炭の試験も、それまでには終わる。
「今度は、何の図だ?」
助手が地図を覗く。
「アザフォード領です」
「中央学院の方から?」
「ええ。領地の石切り場へ、御招待いただけるそうです」
「ようやく実物を見るのか」
「以前から、お話は伺っていました」
「君が話すのではなく?」
「今回は、アザフォード嬢が御説明くださいます」
地図の下部には、石切り場の簡単な見取図もあった。
切り出している場所。道具を置く小屋。荷車が向きを変える広い場所。雨水を逃がす溝。
「見やすい図だな」
「ええ。必要なものが、きちんと分かれています」
「誰かに描かせたのか?」
「アザフォード嬢の字です。御本人が描かれたのでしょう」
これまで、図を用意するのは私だった。
彼女の質問へ答えるために、池や水路、車輪や石垣を描いた。
今、机の上にあるのは、私がまだ見たことのない場所を、彼女が説明するための図である。
「行くんだろう?」
「はい」
返事を書こうとして、先に地図をもう一度見る。
石切り場について尋ねたいことは、すでにいくつもあった。
――どの深さまで掘っているのか。
――雨水を逃がす溝は、どこへ続くのか。
――切った石を、どの大きさで分けているのか。
――古い運搬路を、なぜ使わなくなったのか。
けれど、手紙の最初には、それとは別のことを書いた。
――御招待いただけるのでしたら、ぜひ伺いたいと思います。
続けて、日程と旅程を書く。質問は、そのあとにした。
アザフォード領へ行けば、今度は彼女の話を聞ける。
机へ広げた地図を見ながら、私は休暇までの日数を数えた。




