第三十七話 また厚い封書 ―シトリン―
新学年が始まって半月ほど経った朝、女子寄宿舎の受付で、二通の手紙を受け取った。
一通は実家から。もう一通は、差出人を確かめるまでもなかった。
大学の封筒は、ほかの手紙より一回り大きい。持ち上げると中で紙が動き、少なくとも三枚は入っている。
「またルドック様からの分厚い封書ですね」
受付の事務員が、手紙を渡しながら言った。
「もう、お分かりになるのですか?」
「毎回、重さが違いますから」
「それは、図が入っているためです」
「今日は、四枚でしょうか」
「そこまでは分かりません」
「先週は三枚でしたね」
「……覚えていらしたのですか?」
「学院へ届く個人宛ての手紙は、受付で記録しておりますので」
事務員は受取簿の今日の日付へ、私の名前を書き加えた。
実家からの手紙は普通の厚さで、コロンダム様の封筒は、その三倍近くある。二通を重ねても、上の封筒だけが少し曲がった。
「また厚くなったわね」
後ろから、アメージュの声がした。
「受付の方にも同じことを言われたところよ」
「だって本当でしょう。最初は、普通の封筒だったのに」
「質問が増えれば、答えも増えるもの」
「シトリンの返事も厚いわよ」
「図を写して送り返すことがあるからです」
「同じことをしているのね」
アメージュは朝食の献立を確かめるため、食堂前の掲示板へ向かった。今日は卵と茸を焼いたものが出るらしく、少し足が速い。
私も手紙を鞄へ入れ、あとを追った。
授業が始まる前に開けば、途中で読むのをやめなくてはならない。コロンダム様の手紙は、どこまで入っているか分からないので、夕食後まで取っておくことにした。
*
実家からの手紙を先に開いたのは、午後の授業が終わってからだった。
談話室の窓際に座り、父の封を切る。
最初には、新学年の授業と寄宿舎での暮らしに変わりがないかを尋ねる言葉が書かれていた。その下から、ルドック侯爵家についての話になる。
――先日の御招待のあと、ルドック家と御本人について、改めて確認した。
「やっぱり調べたのね」
向かいで課題をしていたアメージュが言う。
「まだ何も話していないでしょう」
「顔に書いてあるわ」
「どのように?」
「『どうしてそこまで』って」
「……少し思いました」
手紙へ戻る。
ルドック侯爵家では、予定どおり長兄が家を継ぐ。次兄は領地経営を手伝い、三兄は軍務についている。四男のコロンダム様が家督を争う立場にはなく、兄弟同士の問題も聞かれない。
大学では鉱山、水、運搬について学び、教授の調査へ何度も同行している。学業にも素行にも問題はない。
その次の行だけ、父の字が少し詰まっていた。
――ただし、研究へ夢中になると時刻を忘れ、食事や約束について周囲から注意を受けることがある。
「そこは、調べなくても分かるわね」
「何が?」
アメージュが尋ねる。
「研究を始めると、時刻を忘れるそうです」
「知ってる」
「ええ。学院の教師も知っています」
面会のたびに、寄宿舎へ戻る鐘を気にしてくれたのは、コロンダム様より、同席している教師やラピス殿下だった。
父の手紙は、大学だけでなく、ロルカの公使館を通じてもルドック家を確認したと続いている。
トパーズ様とは以前から親しく、公爵家からも人物について保証を得た。
女性との付き合いを次々に求めるような者ではなく、王都の社交界で問題を起こした記録もない。そもそも夜会への出席自体が少なく、招かれても大学の予定を理由に欠席することが多いらしい。
「ずいぶん詳しく調べたのね」
アメージュが、こちらの手紙を覗かないよう、自分の課題へ顔を向けたまま言う。
「私が尋ねたわけではありません」
「でも、御両親からすれば必要でしょう」
「学問について文通しているだけよ」
「その相手を、御実家へ招いたでしょう?」
「家族が招いたのよ」
「外国の侯爵家の方が、娘へ分厚い手紙を何度も送り、休暇には家まで来たの。何も調べない方が困るんじゃない?」
「……そう言われると、そうかもしれないけれど」
私が便箋をめくると、次の頁の最初に、こう書かれていた。
――これは、ルドック様との縁談を進めるための調査ではない。
思わず、手紙を卓へ置く。
「何て?」
「どうして、私が考えたことまで先に書いてあるのかしら」
「親だからじゃない?」
もう一度手紙を取る。
――お前が今すぐ新しい婚約を望んでいないことは、家族全員が承知している。
――ただし、今後も文通し、学院や我が家で会う可能性のある外国人男性について、家が何も知らずにいることもできない。
――調べた範囲で、人物と家柄に問題はない。これまでどおり、手紙を交わして構わない。
最後に、母と姉からの言葉も添えられていた。
母は、先日の菓子を料理人に尋ねたコロンダム様が、後日、本当に生地の層を数えた図をシトリンへ送ったのか知りたい、と書いている。
姉は、石切り場について尋ねられたことを、領地の管理人へ伝えておくという。
「お母様から、林檎菓子の図が届いたか尋ねられているわ」
「届いてないの?」
「まだです」
「では、今日の封筒かも」
「まさか」
二通目の厚い封筒を見る。あり得ないとは言い切れなかった。
*
封筒を開いたのは、夕食後だった。
中から出てきたのは、便箋が三枚と図が二枚。それから、細長い紙が一枚。
「林檎だった?」
向かいの長椅子から、アメージュが尋ねる。
「まだ分からないわ」
一枚目は、前の手紙で尋ねた水門についての返事だった。
水量が増えたとき、板へどの程度の力がかかるのか。板を一人で動かせない場合、どのような仕組みを使うのか。
コロンダム様は、水門を横から見た図と、上から見た図を分けて描いていた。細長い紙は、水門を持ち上げるための歯車を、順番に説明したものだった。
ここまでは、予想していた。
二枚目の便箋の途中から、大学で作っている模型の話になる。
――先日、排水量を測るための模型を作りました。
模型へ水を流したところ、予定より早く車輪が回り、軸から外れて机の端まで転がった。追いかけた学生が椅子へぶつかり、積んであった空箱を倒した。
幸い、壊れたのは模型の車輪と空箱だけだったらしい。
――アザフォード嬢なら、最初にどこを直すべきか尋ねられると思いますので、先に書いておきます。車輪ではなく、水を流す管の太さを変えます。
その下には、倒れた箱の中から、以前なくした定規が出てきたと書かれていた。
「アメージュ」
「何?」
「大学で、模型の車輪が外れたそうよ」
「また床を水浸しにしたの?」
「今回は、机の上だけです」
「それなら進歩したわね」
「でも、空箱を倒したそうです」
「コロンダム様が?」
「追いかけた別の学生が」
「では、コロンダム様のせいじゃないの?」
「模型を作ったのはコロンダム様です」
「どこまでが誰のせいなのかしら」
手紙には、模型の失敗についての図も入っていた。残る一枚を広げる。
生地を一度伸ばし、三つに折る。向きを変え、また伸ばして折る。……重なる層が、数字で示されている。
「林檎もあったわ」
「やっぱり」
「でも、菓子を作るつもりではないそうです」
「何のために描いたの?」
「折るたびに層が増えるのが面白かったから、と」
林檎菓子の絵はない。
あるのは、四角い生地を折り、伸ばし、また折った場合に、油脂を挟んだ層がいくつになるかという図である。
「シトリンに見せるためでしょう?」
「私が尋ねたからよ」
「尋ねたの?」
「一度折ると何層になるのか、と」
「それを覚えて帰ったのね」
「コロンダム様ですもの」
最後の便箋には、模型の失敗と林檎菓子の図へ紙を使いすぎ、水門の説明が入りきらなかったと書かれていた。
残りは次の手紙で送るという。
「また続くのね」
「ええ。次は、歯車を二つ使う場合です」
私は手帳を開き、水門について新しく尋ねたいことを書き込んだ。
その下に、模型についての返事も書く。
――最初に管の太さを変えるとのことですが、流れ込む水が多い場合には、細くすると途中で溢れませんか。
そこまで書いてから、別の行へ移った。
――なくした定規が見つかってよかったですね。ただし、空箱の中へ定規が入った理由は、模型とは関係がないと思います。
林檎菓子については、母から尋ねられたことを書く。
手紙の最初へ水門の質問を書き、次に模型、そのあとに菓子の図と家族の話。
どこまでが研究に必要な返事なのか、自分でも少し分かりにくくなってきた。
*
それから、手紙は週に一度か二度の割合で届いた。
――水門の歯車についての説明――石垣へ使う石についての図。
――大学の講義で、教授が百年前の鉱山図を上下逆に置いたまま説明を始め、学生全員が気づくまでしばらくかかったこと。
――公使館でトパーズ様と食事をしたこと。
――ロルカでは、春の雨が降る前に山道の雪を崩し、安全を確かめる地域があること。
私も、学院で習ったことを書いた。
――新学年の合同舞踏練習で、アメージュが最初にオーパス様と組んだこと。
――ラピス殿下が、木苺のジャムに種が残っていると、トパーズ様の皿へ移すこと。
――歴史の教師が、今年は試験範囲を早めに知らせると言いながら、結局まだ決めていないこと。
――姉が領地の管理人から、石切り場の古い帳面を取り寄せてくれたこと。
質問が三つある日は、封筒が厚くなる。
質問が一つしかない日にも、ほかのことを書いているうちに、便箋は二枚になった。
学院の受付では、大学から大きな封筒が届くと、宛名を見る前から私へ知らせてくれるようになった。
「アザフォード様。また、ルドック様からです」
「ありがとうございます」
「本日は、それほど厚くありませんね」
「図が一枚なのだと思います」
「前回は五枚でしたからね」
「……やはり、数えていらっしゃるのですか?」
事務員は受取簿へ記入しながら笑った。
その日の封筒には、本当に図が一枚だけ入っていた。
けれど、便箋は四枚あった。
最初の二枚は、石切り場から石を運ぶ車について。
三枚目には、大学の庭で今年最初の花が咲いたこと。四枚目には、その花の根が建物の土台へ入り込まないよう、庭師が植える場所を変えたことが書かれている。
石切り場とも鉱山とも、少し離れた話だった。
私は花の名前を手帳へ写した。
翌日、学院の庭にも同じ花がないか探してみたけれど、見つからなかった。
そのことを、次の手紙へ書く。
新しく尋ねたい研究上の質問は、まだなかった。
それでも便箋を一枚取り出し、最初の行へコロンダム様の名前を書いた。




