第三十四話 お詫びは、ここまでに ―ラピス―
学年替わりの休暇に入り、トパーズがアルヴェインへ到着した。
公使館での用事は到着した翌日に終わったらしい。その次の日には、わたくしとベリルを訪ね、わたくしの母から預かった手紙と、ロルカの菓子を詰めた箱を届けてくれた。
「これは、君の母上からシトリン様へ」
箱の一つを示す。
「シトリン様へ?」
「君の手紙に、ずいぶん助けてもらったと書いてあっただろう」
「ええ。でも、これは母からの御礼です。わたくしからの御礼は、わたくしがいたします」
「もちろん。私は、預かってきただけだよ」
トパーズは箱をもう一度包み直し、自分の荷物へ戻した。
何かをしてくれることと、わたくしの代わりにすることは違う。
婚約してから何年も経つけれど、トパーズがそこを間違えたことはなかった。
*
アザフォード侯爵家を訪ねたのは、空がよく晴れた日の昼前だった。
王都の屋敷は、通りに面した正門から玄関まで、低い石垣に沿って道が続いている。石垣は薄い灰色で、ところどころに細かな白い筋が入っていた。
馬車を降りると、その石垣の前にコロンダムがいる。
出迎えに来たシトリン様の隣で腰をかがめ、石の表面を見ていた。
「こちらも、領地の石切り場から運んだ石なのですか?」
「ええ。姉が調べてくれました。古い帳面に、正門と石垣へ使ったという記録が残っています」
「建物の土台にも?」
「そちらは別の土地の石です。領地から運ぶには、大きすぎたそうです」
「では、切り出した石の大きさではなく、運べる重さで使う場所を決めたのですね」
「おそらく。領地へ帰れば、もう少し詳しく分かると思います」
トパーズがわたくしの隣で足を止めた。
「コロンダム」
「トパーズ。もう着いたのか」
「招待された時刻より前だ」
「私も、遅れてはいない」
「分かっている。君は、昼食前に石垣の話を終えられるのか?」
「今、始まったところだ」
「では終わらないな」
シトリン様が、少し困ったようにこちらを見る。
「申し訳ございません。中へ御案内するつもりだったのですけれど」
「構いません。いつものことですもの」
「コロンダム様が石をご覧になって、それで……」
「分かります。合同祭でも、展示室へ入る前に話が始まりましたから」
玄関から、アメージュ様が顔を出した。
「皆様。中で御家族がお待ちですよ」
「今、伺います」
シトリン様が答え、コロンダムの手元を指す。
「その白い線については、あとで聞かせてください」
「ええ。石ができる過程と関係があります」
「長くなります?」
「最初から御説明するなら、少し」
「では、食事のあとにしましょう」
話の続きが決まったところで、ようやく皆が玄関へ向かった。
*
アザフォード侯爵夫妻とシトリン様の姉君は、客間でわたくしたちを待っていた。
侯爵夫妻には、学院から王宮へ報告が上がったあと、一度お会いしている。けれど、そのときは正式な謝罪と今後の対応について話すための場だった。
今日の客間には、書類も学院の報告書も置かれていない。
互いの紹介を終えると、トパーズが母から預かった箱をシトリン様へ渡した。
「母から、殿下の留学中に力を貸してくださった方へ、とのことです」
「そのような。私は、最初にお話を伺っただけです」
「その最初がなければ、ラピスは困ったままでした」
トパーズは、わたくしの方を見る。
「そう聞いております」
「ええ。その通りです」
わたくしが答えると、シトリン様は箱を両手で受け取った。
「ありがたく頂戴いたします。御母堂にも、どうぞよろしくお伝えください」
「必ず」
挨拶が一通り済むと、アザフォード侯爵がわたくしへ向き直った。
「殿下。このたびは、我が家の都合で長く御迷惑をおかけいたしました」
侯爵夫人と姉君も、席を立って頭を下げる。シトリン様も続こうとしたので、わたくしは椅子から立った。
「どうか、もうお座りください」
三人が顔を上げる。
「以前にも、正式なお詫びをいただいております。学院も王宮も必要な対応をし、マーチモンド家からも回答をいただきました。この件は、すでに終わったものと考えております」
「ですが、もとは我が家の娘の婚約者でございました」
「いいえ」
シトリン様を見る。
「シトリン様が最初に話を聞いてくださらなければ、わたくしの方こそ困ったままでした」
ジャスパー様が何を言っても、自分の婚約者を庇い、わたくしが誤解しているのだと決めつける人だったなら、もっと長引いていただろう。
けれどシトリン様は、わたくしが困っていると聞き、その意味のまま受け取ってくれた。
「それに、シトリン様も御自身の婚約を解消なさっています。わたくしだけが迷惑を受けたとは思っておりません」
「殿下……」
「ですから、お詫びはここまでにいたしましょう」
侯爵は妻と娘たちを見たあと、わたくしへ一礼した。
「承知いたしました。では今後は、娘の友人としてお迎えいたします」
「はい。その方が嬉しいです」
侯爵夫人が、やっと椅子へ戻った。
「本日は、学院で娘と親しくしてくださっている皆様へ、御礼を申し上げるための席でもございます」
「わたしも、ですか?」
アメージュ様が尋ねる。
「もちろんです。シトリンから、フレグラント様のお話は何度も聞いております」
「何を話したの、シトリン」
「いろいろよ」
「いろいろでは分からないわ」
「学院で助けていただいたことも、寄宿舎で一緒に過ごしていることも」
侯爵夫人が言葉を添える。
「それから、困ったときには御令嬢へ尋ねれば、はっきり教えてもらえると」
「それなら、たぶん、わたしです」
「アメージュ」
シトリン様が小さく呼んだけれど、侯爵夫人は楽しそうに笑った。
「ええ。そういう方がそばにいてくださって、安心しております」
次に姉君がベリルへ向く。
「アマンド様には、殿下の護衛だけでなく、シトリンまで何度も守っていただいたと聞きました」
「私は、必要な対応をしただけです」
「その必要な対応を、実際にしてくださったことへ御礼を申し上げたいのです」
「では、ありがたく頂戴いたします」
ベリルが頭を下げた。
侯爵夫人は、コロンダムへも向き直る。
「ルドック様にも、娘が学院で大変お世話になっているようで」
「私が、ですか?」
「ええ。何度も面会へ来てくださり、手紙でも教えていただいていると聞いております」
「御質問に答えているだけです」
「その御質問が、近頃はずいぶん増えているようですね」
コロンダムはシトリン様を見た。
「今は、いくつございますか?」
「どの話について?」
「鉱山についてです」
「鉱山だけなら、十三です」
「前回より三つ増えましたね」
「ルドック様から届いた図を見たら、水門について分からないことがあったのです」
「では、次の手紙で御説明します」
「石切り場についても、まだあります」
「そちらは、領地へ戻られてからの方がよいでしょう。実物を御覧になった方が、分かることも増えます」
「ええ。調べてまいります」
二人の話は、そのまま続きそうだった。
「皆様、そろそろ食堂へ」
姉君が声をかける。
「料理が冷めてしまいます」
*
昼食には、白い根菜を煮た温かなスープと、香草を詰めて焼いた鶏、それに豆と茸を煮たものが出た。
鶏は食べやすい大きさに切り分けられ、皮には薄く焼き色がついている。添えられた酸味のある果実のソースをつけると、香草の香りが少しやわらいだ。
「このソースは、何の実ですか?」
トパーズが尋ねる。
「領地で採れる赤い実です。そのままでは酸っぱいので、砂糖と葡萄酒を加えて煮ています」
シトリン様の姉君が答えた。
「ロルカにも似た実はありますが、肉へ添えることは少ないですね」
「甘い菓子に?」
「ええ。焼いた生地へ挟むことが多いです」
「それもおいしそうです」
アメージュ様が言う。
「殿下は、召し上がったことがあります?」
「あります。冬になると、よく出ます」
「トパーズ様も、お好きですか?」
「私は好きですが、ラピスは種が残っているものが苦手です」
「トパーズ」
「今も?」
「……今もですけれど」
自分から話すつもりはなかっただけで、知られて困ることでもない。
アメージュ様が大きくうなずいた。
「分かります。歯に当たりますものね」
「そうなのです」
そこで、シトリン様が少し驚いたようにわたくしを見た。
「殿下にも、苦手な食べ物がおありなのですね」
「もちろんあります。王女なら、何でも食べられると思っていました?」
「そこまでは。でも、学院ではいつも残さず召し上がっているので」
「学院の料理には、種の残った木苺のジャムがあまり出ないでしょう」
「今度、食堂で出たら見てしまいそうです」
「そのときは、シトリン様へ差し上げます」
トパーズが笑う。
「昔は、私の皿へ入れていたのに」
「昔ではありません。昨年もです」
「では、今年も引き受けよう」
隣に座っているからといって、わたくしの皿へ勝手に手を伸ばすことはない。何を食べ、何を残すかは、わたくしが決める。
差し出せば受け取る。それまでは待っている。
「御二人は、とても仲がよろしいのですね」
シトリン様が言った。
「幼い頃からの付き合いですから」
「婚約してからより、知り合ってからの方が長いですね」
トパーズが答える。
「それでも、意見が違うことはございます?」
「ありますよ」
「よくあります」
二人で同時に答えると、シトリン様が目を丸くした。
「その場合は、どうなさるのですか?」
「話します」
「話して、それでも違えば、違うままですね」
トパーズは鶏を一切れ口へ運んだ。
「いつも同じ意見でいる必要はありませんから」
「決めなくてはならないことなら?」
「誰が決めるべきことかを、先に確かめます。ラピスの留学についてなら、最後に決めるのはラピスです」
「私が反対する理由を伝えることはありますが、決める代わりにはなりません」
シトリン様は、少し考えてからうなずいた。
「そういうものなのですね」
「そういうものですよ」
わたくしは答えた。
侯爵夫妻と姉君が、黙ってシトリン様を見ている。けれど、誰もここで別の婚約の話を持ち出すことはなかった。
食事が終わる頃、扉の向こうを菓子の甘い香りが通った。
アメージュ様が、すぐに顔を上げる。
「林檎ですか?」
「ええ。冬越しの林檎を使った菓子です」
侯爵夫人が答える。
「食後のお茶は、隣の談話室でいただきましょう」
「はい」
アメージュ様の返事だけが、誰よりも早かった。




