第三十二話 続きを持ってきました ―コロンダム―
北部の鉱山から大学へ戻ったのは、日が暮れる少し前だった。
馬車から降ろした木箱には、現地で採取した岩石と水の試料、それから調査中に使った器具が入っている。雨のあとを歩いたため、私の外套の裾にも、箱の底にも、乾いた泥がこびりついていた。
「ルドック、その箱は試料室へ。水の方は先に番号を確かめろ」
同行した助手が、荷札を一枚ずつ読み上げる。
「岩石が十二、沈殿物が六、水が八です」
「水は九本あっただろう」
「一本は現地で瓶が割れました」
「誰が?」
「私です」
「……記録へ書いておけ」
「もう書きました」
大学の作業室では、留守をしていた二十日ほどの間に、机の上のものが増えていた。
教授宛ての手紙、分析を待つ試料、借りた器具の返却を求める札。その中に、王都中央学院から戻ってきた本もある。
坑道の排水についてまとめられた、厚い本だった。
裏表紙を開くと、貸出札の最後にシトリン・アザフォード嬢の名前がある。返却日は数日前だ。
すべて読み終えたのだろうか? 途中で読むのをやめたとしても、返却札からは分からない。
「ルドック」
助手が試料の箱を床へ下ろした。
「先に荷物を片づけろ。本を読むのは明日でいい」
「これは、以前貸し出したものです」
「なら、なおさら逃げないだろう」
言われて、本を机の端へ置く。
箱の中から、現地で使った手帳と図面を取り出した。手帳の頁は湿気を吸い、端が波打っている。雨の中で開いたものには泥がつき、鉛筆の線が薄く広がっていた。
今回調べたのは、長く使われていなかった坑道から流れ込む水である。
新しい坑道を掘り進めたところ、奥の岩壁から水が染み出した。以前使われていた排水路へ流そうとしたが、途中で土砂が詰まり、水が逆に戻ってきたという。
現地では、水の量を測り、古い図面と現在の坑道を見比べた。土砂を取り除いて水路を使い直す方がよいのか、新しい水路を作る方が安全なのかも確かめた。
それとは別に、私は沈殿池と水路の図を何枚か描いていた。
――鉱山から出した水を、どこへ流すのか。
最初にアザフォード嬢から尋ねられたことだ。
現地の池は、山の斜面を段々に掘って作られていた。最初の池へ重い砂を沈め、次の池で細かな土を落とす。水は最後に細い水路を通り、集落で使う川より下流へ流される。
図面だけでは分かりにくいと思い、池の高さが見えるよう、横から見た図も描いた。
水路の途中に木の板を入れ、水量を変える仕組みも書き加えた。
「それは報告書へ入れるのか?」
助手が私の手元を覗く。
「いいえ。こちらは説明用です」
「誰への?」
「中央学院の方へ」
「教授から、学院へ追加の報告を出すとは聞いていないぞ」
「大学からの報告ではありません。私が、続きをお話しすると約束しました」
助手は横から見た沈殿池の図を持ち上げた。
「ずいぶん丁寧だな。現地で描いたのか?」
「ええ」
「調査の途中に?」
「夜は時間がありましたから」
助手は二枚目、三枚目も確かめた。
「この『水を流した先で何が起きるか』という札も?」
「説明する順番を忘れないためです」
「誰が忘れるんだ?」
「私です」
「……お前が?」
話しているうちに、先に別のことを説明したくなる場合がある。そうすると、最初の問いへ答える前に、坑道の構造や岩の種類の話が始まってしまう。
合同祭の説明札を作ったときも、それで文字が増えた。
「今回は、最初に尋ねられたことからお話しします」
「その方がいい。相手が帰る時刻も忘れるなよ」
「分かっています」
「前にも同じ返事を聞いた気がする」
図を助手から返してもらい、一つの筒へ入れる。その日のうちに、中央学院へ手紙を書いた。
ラピス殿下とアマンド護衛官への帰還の挨拶に加え、アザフォード嬢へ、以前約束した説明をしたいこと。学院の都合がよければ、放課後に短い時間をいただきたいこと。
返事は翌日の昼前に届いた。
本日の授業後、中央校舎の小実習室を使えるという。
*
中央学院へ着くと、正面玄関の受付で訪問者名簿への記入を求められた。
合同祭の日とは違い、校舎には学院の生徒と教師しかいない。
受付の事務員が大学からの紹介状と、学院から届いた面会許可証を重ねて確かめる。図を入れた筒も開け、危険な器具が入っていないことを確認された。
「本日の面会は、女子部四年の授業終了後です。小実習室には、担当教師も同席します」
「承知しております」
「移動の際は、こちらの通行証をおつけください」
胸元へ細い札を留める。
訪問者であることと、許可された場所が書かれていた。
以前は大学の展示準備という理由があったため、大実習室へ何度も出入りできた。今日は、アザフォード嬢へ会うために来たのだから、同じように歩き回るわけにはいかない。
事務員の案内で小実習室へ入り、図を机へ並べる。
学院の教師は、教室後方の卓へ座った。採点するらしい答案の束を持ってきている。
「お話は、寄宿舎へ戻る鐘までに終えてください」
「はい」
窓の外では、午後最後の授業が続いていた。
しばらくすると終了の鐘が鳴り、廊下へ一斉に足音が出てくる。扉の前で案内の事務員が声をかけ、最初にアマンド護衛官が入った。
続いてラピス殿下、フレグラント嬢、最後にアザフォード嬢が入ってくる。
「お戻りになったのですね」
挨拶を終える前に、アザフォード嬢が言った。
「はい。昨夕、大学へ戻りました」
「昨日?」
「ええ」
「では、今日は大学へ戻られて最初の日なのでは?」
「午前中に、急いで確認する必要があるものは済ませました」
殿下が机に並べた図を見る。
「それで、午後にはこちらへ来たの?」
「お約束しましたので」
「帰ってから、ずいぶん早いのね」
「遅い方です。合同祭から二十日ほど経っています」
「あなたは鉱山へ行っていたでしょう」
「それでも、アザフォード嬢をお待たせしました」
本人の前で言ってから、待っていたかどうかを、私は知らないことに気づく。
アザフォード嬢は手にしていた鞄を開き、一冊の手帳を取り出した。
「待っておりました」
そう答えて、机の前へ座る。手帳を開いた頁の上部に、文字が見えた。
――コロンダム様へ尋ねること。
その下には、番号のついた問いが並んでいる。
一、車輪へ使う金属。
二、排水路が詰まった場合。
三、池へ沈めた土の扱い。
……少なくとも、七番まであった。
「本は、最後まで読まれたのですね」
「御覧になったのですか?」
「昨日、大学へ戻ってきておりました。貸出札に、お名前がありましたので」
「では、ちょうどよかったです。本を読み終えてから、尋ねたいことが増えました」
「七つですか?」
アザフォード嬢が手帳へ目を落とす。
「授業中に一つ増えましたので、八つです」
「シトリン。授業中に鉱山のことを考えていたの?」
フレグラント嬢が隣から覗き込む。
「金属を熱する授業だったの。車輪にはどの金属を使うのか気になっただけよ」
「だけ、で手帳へ書いたのね」
「忘れるでしょう?」
アザフォード嬢は、開いた手帳を机へ置いた。
「ルドック様は、今日はどちらのお話を?」
「最初にお尋ねになった、水の行き先です」
筒から図を出し、机へ広げる。
「今回調査した鉱山では、排水を三つの池へ順に流していました。最初の池に重い砂が沈み、二つ目に細かな土が沈みます」
「三つ目は?」
「川へ流す前に、水の濁りを確かめるための池です。雨が降って水量が増えた場合は、この板を動かして、一度に流れる量を変えます」
横から見た図を、隣へ置く。アザフォード嬢はすぐに二枚を見比べた。
「二つ目の池の方が、深いのですね」
「よく気づかれましたね」
「一枚目では同じ大きさに見えますけれど、横から見ると底の位置が違います」
「細かな土は沈むまで時間がかかります。そのため、水を多く溜め、流れを遅くします」
「では、池が浅くなるほど土が溜まったら?」
「いったん水を別の池へ回し、中の土を取り除きます」
アザフォード嬢の指が、手帳の三番目で止まる。
「その土をどうするかが、聞きたかったのです」
「乾かして、鉱石が残っていないか調べます。採れるものがあれば、もう一度選別へ回す。何もなければ、崩れにくい場所へ運びます」
「川の近くには捨てられませんよね?」
「ええ。雨で流れ戻る可能性がありますから」
彼女が、三番目の問いの横へ短く書き込む。
「今回の鉱山でも、その方法を使っていたのですか?」
「使っていました。ただ、古い池の一つは壁が崩れかけていました」
「水が外へ出たのですか?」
「外へ出る前に気づきました。ですが、補修には時間がかかります」
現地で描いた崩れた壁の図を出す。アザフォード嬢は、今度は書き込まず、先に図を自分の方へ向けた。
「ここだけ、石の積み方が違いません?」
「古い部分です。新しく作ったところより小さな石が多く、隙間へ土を詰めています」
「水を溜める場所なのに?」
「建設された当時は、今より流れ込む水が少なかったと考えられます。その後、坑道が広がり、使う水路も変わりました」
「最初に作ったときは足りていたのですね」
「ええ。一度作れば終わりではありません。鉱山の中が変われば、外の設備も変えなくてはならない」
彼女は池と坑道を結ぶ線を目で追っている。やはり、現地でこの図を描いておいてよかった。
「ルドック様」
「はい」
「調査中に、この図を?」
「ええ」
「大学へ提出するためですか?」
「こちらの細かな図は、報告書にも使います」
右側に置いた、池全体を横から見た図を指す。
「ですが、この二枚は、あなたへ説明するために描きました」
アザフォード嬢の手が止まった。
池の上には、専門の名称ではなく、「最初に砂を沈める」「細かな土を沈める」「川へ流す前に確かめる」と書いてある。
「私が、また尋ねると思ったのですか?」
「尋ねられなくても、お話しするつもりでした」
「どうして?」
「面白いものが見つかったら、あなたへお話しすると約束しましたから」
「……覚えていらしたのですね」
「あなたも、続きを覚えていてくださったでしょう」
彼女の手帳には、八つの問いがある。私の筒には、説明するための図が六枚ある。
どちらも、合同祭が終われば必要なくなるものではなかった。
「ところで、ルドック様」
フレグラント嬢が、机の反対側から手を上げた。
「はい」
「今日は、ラピス殿下へ鉱山の報告をなさるために来たのですか?」
「いいえ。殿下への正式な報告は、教授から別に提出されています」
「大学から本を取りに?」
「本は昨日、戻っていました」
「では、本当にシトリンへ会いに来たの?」
「はい」
フレグラント嬢が、アザフォード嬢を見る。彼女は開いた手帳の位置を直し、少しだけ椅子へ座り直した。
「アメージュ。御本人へ、そこまで尋ねなくても」
「だって、シトリンも知りたかったでしょう?」
「私は……」
一度言葉を切り、こちらへ顔を向ける。
「来てくださって、嬉しいです」
「私も、お会いできてよかったです」
答えると、ラピス殿下が壁の時計を見た。
「二人とも、残りは四半刻です」
「まだ最初の問いも終わっておりません」
「だから申し上げているのです。今日は、どこまでにするかを先に決めなさい」
助手からも同じことを言われた。
私は机へ置いた六枚の図を確かめる。現在見せているのは、まだ二枚目だった。
「では、本日は排水の話までにします」
「それだけでも、あと四半刻で終わるかしら」
殿下が尋ねる。
「できるだけ短くいたします」
「ルドック様」
アザフォード嬢が手帳を閉じかける。
「急いで短くなさらなくてもよいのでは?」
「しかし、寄宿舎へ戻る時刻がございます」
「続きは、別の日にすればよいでしょう」
閉じかけた手帳を、もう一度開く。
「また学院へいらしていただけるなら」
私は、後方の卓にいる教師へ目を向けた。教師は採点していた答案から顔を上げる。
「事前に申請し、大学からの紹介状をお持ちになるのでしたら、学習上の面会として認められます。ただし、今回と同じく教師が同席します」
「では、改めて申請します」
アザフォード嬢へ向き直る。
「次回も、お時間をいただけますか?」
「はい。お願いいたします」
「今度は、八つの問いのうち、いくつまでにするか決めておきましょう」
「その前に、また増えるかもしれません」
「構いません。すべて伺います」
アザフォード嬢が笑った。私は三枚目の図を机へ広げる。
「では、今日は排水路が詰まった場合まで、お話しします」
「はい」
彼女がペンを取り、手帳の二番目を開いた。
寄宿舎へ戻る鐘まで、あと四半刻。
持ってきた続きは、おそらく今日だけでは話し終わらない。




