第十七話 今度は俺が止める ―ペリド―
午前の授業が終わる少し前、男子部四年生の教室へ学院の書記が来た。
「ジャスパー・マーチモンド。ご実家から、急ぎの書状です」
まだ教師が教卓にいる時間だったので、教室中の目がジャスパーへ集まる。
家紋の入った封筒を受け取ったジャスパーは、礼を言って席へ戻った。表には父親の字で、本人が開封するようにと添えてある。
家から急ぎで届く手紙など、よい知らせであるはずがない。
俺の家から同じものが届けば、その場で開けず、まず最近何をしたか考える。ジャスパーも似たようなことを考えたらしく、封蝋へ指をかける前に一度、教室の中を見回した。
昼食の鐘が鳴り、教師が退出すると、ディアモンとルビアスが席を立つ。
俺も二人につられて、いつものようにジャスパーの机へ向かった。
封筒の中には、二枚の紙が入っていた。
一枚目を読んでいたジャスパーの手が止まる。
「何があった?」
ディアモンが、机の横から紙を覗こうとした。ジャスパーは便箋を少し折り、読めない角度に変える。
「アザフォード家から、婚約解消について正式な書面が届いたそうだ」
食堂へ向かおうとしていた生徒たちが、ジャスパーの机を振り返る。ルビアスは椅子の背へ置いていた上着を手に取ったが、その場を離れなかった。
「それで、マーチモンド伯爵は?」
「受け入れた」
ジャスパーの指が、便箋の端を強く挟む。
「両家の間では、すでに婚約は解消された。今後、シトリンへ婚約者として接することは許さないと書いてある」
ディアモンが眉を寄せた。
「君の同意を得ずにか?」
「父上は、アザフォード家からの申し入れを拒む理由がないと考えている。先方が求めている以上、引き延ばせば家同士の関係まで悪くする、と」
「それは、随分と急だな」
ルビアスは上着を椅子へ戻した。
「先日のダンスの授業で、初めてシトリン嬢から直接聞いたのだろう? その後、一度も話し合っていないじゃないか」
「話し合おうとした。けれど、シトリンが聞こうとしなかった」
ジャスパーは二枚目へ目を通し、手紙を机へ伏せた。
「父上たちは、シトリンが一時的に感情を高ぶらせている可能性を考えていない。学院でのことも、私から詳しく聞かずに決めている」
「なら、もう一度説明した方がいい」
ディアモンは、当たり前のことを勧める調子で言った。
「家同士の返事が済んでいても、本人が誤解したままではよくない。卒業後も顔を合わせる機会はあるだろう」
「ああ。せめて、シトリン自身とは落ち着いて話す必要がある」
「……もう終わってるだろ」
三人が俺を見る。
口へ出してから、自分でも驚いた。
先日の聞き取り以来、同じ席にいても、俺は三人の話へ以前ほど加わらなくなっていた。それでも、正面からジャスパーの考えを止めたのは初めてだった。
ジャスパーが伏せた手紙を折り直す。
「何が終わっているんだ?」
「婚約も、話も。アザフォード嬢は、ダンスの授業で言ったじゃないか。お前とは踊らない。近づかれたくない。話も聞きたくないって」
「あれは大勢がいる場所だった。フレグラント嬢やアマンド護衛官も近くにいた。シトリンも、周囲の目を気にしていたんだろう」
「周囲がいたから、言いたくないことを言ったと思ってるのか?」
「そうは言っていない」
ジャスパーが椅子から立った。
「だが、あの状況で冷静に話せたとも思えない。シトリンは私がほかの女子生徒と踊ることまで気にしていた。あれを単純な拒絶と受け取るのは早い」
「シトリン嬢は、君と踊りたくないと言っただけだろう?」
教室を出ようとしていたオーパスが、こちらを向いた。
脇に抱えていた本の間から栞が落ちかけ、指で中へ押し戻す。
「ほかの女子生徒と踊るなとは言ってない」
「オーパス、これは私とシトリンの問題だ」
「それなら、シトリン嬢の言葉も入れて考えるべきだ」
廊下の向こうで、昼食を急がせる二度目の鐘が鳴った。
オーパスは教室の時計を見てから、俺へ顔を向ける。
「ペリド。食堂へ行くけど、一緒に行く?」
「俺は、もう少しあとで行く」
「分かった。席がなくなる前に来た方がいいよ」
オーパスはそれだけ言って、教室を出ていった。
このまま話を続けても同じところを回るだけだ。そう思いながら、俺はまだジャスパーの机のそばに立っていた。
結局、俺たちが学院食堂へ入った頃には、長卓のほとんどが埋まっていた。
パン籠と水差しが忙しく行き交い、給仕たちが大皿を運んでいる。
オーパスの姿を捜す前に、ディアモンが空いた場所を見つけ、俺はまた三人と並んで座った。
*
午後の授業を終えると、男子部の校舎から生徒が一斉に出てくる。
合同祭を控えているため、そのまま講堂や展示教室へ向かう者も多い。俺たち四人は、翌日に予定されている備品運びの割り当てを確認するため、男子寄宿舎とは反対側の事務室へ寄った。
事務室を出たところで、ジャスパーが足を止める。
中央回廊の先を、アザフォード嬢とフレグラント嬢が歩いていた。
二人とも数冊の本を抱え、女子寄宿舎へ続く渡り廊下の方へ向かっている。アザフォード嬢が上に載せた本には、大学鉱物研究室の名があった。
「シトリン!」
ジャスパーが呼ぶ。
回廊にいた生徒たちが、声のした方へ顔を向けた。
アザフォード嬢も立ち止まったが、すぐには振り返らなかった。フレグラント嬢が何か尋ねると、二人でこちらを見る。
ジャスパーは返事を待たず、二人の方へ歩き始めた。
ディアモンとルビアスも続く。
俺の足は、そこで一度止まった。
――私とシトリンの問題だ。
たしかにそうだ。
それなら俺たちが毎回ついていく必要もない。
だが、女子部の退出経路へ四人で立った日も、俺は同じように考えていた。ジャスパーが殿下を守りたいなら、少しくらい協力してもよい。邪魔になると思えば、途中でやめればよい。
……結局、教師に止められるまで誰もやめなかった。
ジャスパーがアザフォード嬢の前へ着く。俺は鞄の肩紐を握り直し、三人を追った。
「シトリン。家から連絡を受けた」
ジャスパーが差し出した封筒には、昼前に開けた跡が残っている。
「私たちの婚約を、両家が解消したそうだ」
「はい。わたくしも父から知らせを受けました」
アザフォード嬢は抱えた本の位置を直した。
「正式にお返事をいただき、感謝しております」
「感謝するようなことではない。私は承知していない」
「ご当主であるマーチモンド伯爵から、正式なご返書をいただきました。婚約に関する両家の話は、これで終わっております」
「両家の話はそうかもしれない。だが、私と君は話していない」
フレグラント嬢が、アザフォード嬢の腕へ手を添えた。
「シトリン。寄宿舎へ戻りましょう」
「ええ」
二人が歩き出そうとする。
ジャスパーは回廊の中央へ一歩移り、行く手を塞いだ。
「待ってくれ。私はまだ話している」
「わたくしから申し上げることはありません」
「君はいつも、そうやって話を終わらせる。長く続いた婚約を一方的に解消して、私の話を一度も聞こうとしない」
ジャスパーの声が高くなった。近くの教室から出てきた下級生が、こちらを避けて壁際を通っていく。
アザフォード嬢は本を抱えたまま、ジャスパーへ顔を向けた。
「私は何度も聞きました。聞かなかったのはあなたです」
「何を聞いたというんだ? 私が君を大切にしていることも、殿下をお守りしようとした理由も、君は初めから否定していたじゃないか」
「殿下がお困りだとお伝えしました。わたくしも不快だと申し上げました。あなたはそのたびに、遠慮している、誤解している、気持ちが高ぶっていると言い直しました」
「それは君が、私の意図を誤って受け取っていたからだ!」
ジャスパーが、アザフォード嬢との間を詰める。彼女の隣で、フレグラント嬢が本を抱き直した。
「先生を呼んでくるわ」
フレグラント嬢が女子寄宿舎の入口へ顔を向ける。
「必要ない」
ジャスパーはそちらへ手を伸ばしかける。俺は二人の間へ入った。ジャスパーの手が、俺の肩へ当たる。
「退け、ペリド」
「退かない」
「これは私とシトリンの問題だ」
「もう違う。婚約は解消されたんだ」
「まだ話は終わっていない!」
肩を押す手に力が加わった。
乗馬訓練で落馬したとき、迫ってきた馬の前へ飛び込んだのも、この手だった。手綱を掴み、俺が起き上がるまで離さなかった。
あのときは、助けられた。
だからジャスパーのすることには理由があると思ってきた。俺に分からなくても、あとになれば正しかったと分かるのだと。
けれど、アザフォード嬢の言葉は意味をいちいち考える程に難しくはない。ごくごく単純なことだ。
「アザフォード嬢は終わったと言っただろ。今度こそ聞けよ、ジャスパー」
「君まで、私がシトリンを苦しめていると言うのか?」
「苦しめてるから、嫌だって言われてるんだ」
肩を掴んでいた指が緩む。
「ペリド。君は私が何を考えているか知っているはずだ」
「知ってるよ。自分が正しいと思ってる。相手が嫌だと言っても、いつか分かってもらえると思ってる」
「私は彼女のために――」
「殿下のときも、そう言っただろ」
ジャスパーが口を閉じた。後ろで、ルビアスの靴が床を擦る。
「あのとき俺が止めなかったから、また同じことになってる。だから今度は止める」
「学院の命令に従うことと、婚約者同士の話は別だ」
「もうお前らは婚約者じゃない」
「家同士が勝手に決めたことだ!」
「それでも、お父上が決めたのだろう?」
フレグラント嬢が、アザフォード嬢の前へ半歩出た。
「そうよ、それに、シトリンはずっと前から解消することは決めていたわ! それをお家の方がきちんと聞いて下さったのよ!」
「フレグラント嬢、部外者が口を挟む話ではない!」
「では、あなたも元婚約者として口を挟まないでくださる?」
ジャスパーの顔が赤くなる。彼が今度はフレグラント嬢へ向き直ったので、俺も同じだけ横へ動いた。
「ペリド。そこまで私の邪魔をするのか」
「お前を女子寄宿舎へ入れないのは、邪魔とは言わない」
「私がそんなことをすると思っているのか?」
「ああ。まさかこんなところでアザフォード嬢の道を塞ぐとは思ってなかったよ」
ディアモンが俺の腕を引いた。
「ペリド、いい加減にしろ。ジャスパーは話をしようとしているだけだ」
「話したくない相手を通さないのは、話し合いじゃない」
「それでは、ジャスパーは一方的に悪者にされたままじゃないか」
「悪者にされたくないなら、やめろよ」
ディアモンの手を外す。
「先生に言われたときも、殿下に言われたときも、俺たちは、処罰されるようなことじゃないって思ってた。言われた通りにやめれば、それで済んだのに」
「君は、自分も一緒だったことを忘れたのか?」
ジャスパーの声が低くなる。
「忘れてない。俺も一緒だったから、ここにいる」
俺は回廊の端へ寄り、女子寄宿舎へ続く道を空けた。それでもジャスパーが追おうとすれば、また間へ入れる位置に立つ。
アザフォード嬢が、フレグラント嬢へ頷いた。二人で歩き出す前に、彼女はこちらを振り返る。
「ジャスパー様」
呼ばれたジャスパーが、俺の肩越しに顔を上げた。
「二度と、私を呼び止めないでください」
アザフォード嬢は返事を待たず、フレグラント嬢と並んで渡り廊下へ入った。
女子寄宿舎の扉の前には、当番の女性教師が立っている。二人が中へ入ると、扉が閉まった。
「追わない方がいい」
ルビアスが、ジャスパーの背後から言った。
「女子寄宿舎の教師にも見られている。ここで問題になれば、合同祭の担当から外されるかもしれない」
「そういう話ではないだろう」
ジャスパーが振り返る。
「分かっている。だが、今は戻った方がいい」
ルビアスは俺と目が合うと、すぐジャスパーの方へ向き直った。
ディアモンがジャスパーの鞄を拾い、男子部へ戻る回廊を示す。
「行こう。ここではもう話せない」
三人が歩き出す。
ジャスパーは途中で一度振り返ったが、俺へは声をかけなかった。
俺の足元には、誰かが落とした合同祭の案内紙があった。拾い上げ、曲がった角を伸ばしてから、女子寄宿舎入口の女性教師へ渡す。
男子寄宿舎へ戻る頃には、夕食の鐘が鳴っていた。
*
男子寄宿舎の食堂には、磨かれた長卓が三列に並んでいる。
白い皿と水差しの間をパン籠が行き来し、上級生が大皿の肉を切り分けていた。給仕が蓋を開けるたび、牛肉と根菜を煮込んだ匂いが食堂へ広がる。
ジャスパーたちは、窓側の長卓のいつもの辺りにいた。
ジャスパーが窓を背にして座り、その隣にディアモン、向かいにルビアス。俺が普段使っていた場所だけが空いている。
ルビアスがこちらに気づき、空席を見た。ディアモンも振り返る。
俺は三人の後ろを通り、中央の長卓へ向かった。
オーパスが端の席で、開いた本を皿の横へ置いている。向かいの椅子には誰も座っていなかった。
「ここ、空いてるか?」
「空いてるよ」
オーパスは本へ栞を挟み、卓の端へ寄せた。俺が向かいへ腰を下ろすと、パン籠をこちらへ回す。
「まだ温かい」
「じゃあ、もらう」
俺はパンを一つ取り、二つに割った。




