第十五話 鉱山だけのお話ですか? ―アメージュ―
大実習室を出たあと、私たちは中央校舎から女子寄宿舎へ続く渡り廊下を歩いた。
窓の外は、もう夕方の色になっている。
校庭では屋外活動を終えた下級生たちが、使った球や輪を籠へ片づけていた。風が出てきたらしく、女子部の旗が大きく膨らんでいる。
「ねえ、シトリン」
「何?」
「まだ考えてるでしょう」
シトリンの手には、先ほどの実習室で開いていた手帳がある。
廊下へ出てからも閉じず、時々、書いたところを見直していた。
「何を?」
「鉱山のこと」
「ええ」
隠す気はないらしい。
「雪が積もったら鉱石を運べないでしょう。それでも燃料や食料は必要なのよ。どれくらい前から用意するのかしら?」
「また質問が増えてる」
「でも、気にならない?」
「少しは。でも、わたしは石の方が好き」
確かに、標本箱にあった青い石は綺麗だった。
赤い筋の入ったものや、磨く前はただの灰色にしか見えないものもあったけれど、私は、どうせなら飾れる石の方がいい。
「アメージュ様は、鉱物の展示がお好きなのね」
ラピス殿下が振り返った。
「はい。あの青いものは、磨くともっと綺麗になるのでしょう?」
「おそらく。詳しくはコロンダムへ」
「それを言うと、また長くなりません?」
「なります」
ラピス殿下の返事が早かった。
ベリル様が、渡り廊下の扉を開ける。私たちが全員通ったあと、外から吹き込んだ風で大きな音を立てないよう、取っ手を持ったままゆっくり閉めた。
「でも、シトリン様はお楽しそうでした」
「分かります?」
「はい」
ベリル様に言われ、シトリンが手帳を閉じた。
「そんなに顔に出ていたかしら」
「顔より、質問の数に出ておりました」
「それは出すぎね」
女子寄宿舎へ入り、玄関で外靴の汚れを落とす。
寄宿舎の一階には食堂と談話室、それから寮母の部屋がある。二階は上級生、三階は下級生の居室だ。
ラピス殿下の部屋は二階の一番奥にあり、ベリル様の部屋が隣にある。扉は別だが、内側の小さな控え室を通って行き来できるそうだ。
私とシトリンは、同じ廊下の反対側である。
「少し、お茶を飲みません?」
私は談話室の前で足を止めた。
「夕食まで、まだ時間があります」
「先ほども、大学の方が用意してくださったお茶を飲んだでしょう」
シトリンが言う。
「あれは途中で冷めたもの」
「話を聞いていて、飲むのを忘れたのでしょう?」
「だから今、飲むの」
談話室には、上級生が二人いるだけだった。
一人は窓際で手紙を書き、もう一人は長椅子へ座って編み物をしている。暖炉にはまだ火が入っていないが、日中に差し込んだ光が残っているのか、廊下より暖かかった。
壁際の卓には湯を入れたポットと茶葉、それから小さな焼き菓子が用意されている。
今日は、薄く焼いた胡桃入りの菓子だった。
「四人分、持っていきますね」
皿へ八枚載せる。
「一人二枚?」
シトリンが確かめた。
「ベリル様は要りません?」
「いただきます」
「では、ちょうどです」
窓から少し離れた丸卓へ座る。
ラピス殿下が茶を注ぎ、ベリル様が焼き菓子の皿を中央へ置いた。私は一枚取り、端からかじる。
胡桃が少し焦げていて、甘い生地の中でそこだけ苦かった。
「それで」
カップを両手で持ち、シトリンを見る。
「コロンダム様のお話、ずいぶんお好きなのね」
「ええ。面白かったでしょう?」
「鉱山の話はね」
「ほかに何があるの?」
シトリンは本当に分かっていないらしい。
私はラピス殿下を見る。
ラピス殿下も、ちょうどこちらを見ていた。ベリル様だけは、焼き菓子を割り、落ちた欠片を皿の中へ集めている。
「鉱山だけのお話ですか、と聞いているの」
「コロンダム様御本人の話?」
「そう」
「御本人が、どうかした?」
「シトリンは、ずっとお話ししていたでしょう」
「質問しただけよ」
「コロンダム様も、ずっとシトリンへ説明していたわ」
「私が聞いたからでしょう?」
それはそうなのだが、聞かれれば誰にでも、あそこまで次々と模型を出すものだろうか。
少なくとも私は、青い石について一度尋ねただけである。
コロンダム様は、石に含まれる成分と採れる場所を説明してくれた。話は分かりやすかったが、次の図を作ると約束まではされていない。
「ラピス殿下」
私は向かいの席へ助けを求めた。
「コロンダム様は、いつもああなんですか?」
「鉱山について尋ねられれば、だいたいあのようになります」
「では、シトリンだからではない?」
シトリンが安心したように茶を飲んだ。
ラピス殿下はカップを置き、少し考える。
「まあ、自分から、次に見せる図を作ると約束するのは、あまり見ませんけれど」
「やっぱり」
「それは、質問の続きがあったからです」
シトリンは焼き菓子を一枚取り、胡桃の多いところから割った。
「人の乗る車を説明するには、図があった方がよいのでしょう」
「シトリン様は、ルドック様のお話を聞くのがお好きなのですね」
ベリル様が確かめた。
「はい」
「ルドック様も、シトリン様へお話しするのがお好きなようでした」
シトリンの手が止まる。
「そうでしょうか」
「説明の途中で何度か、ほかの方から声をかけられておりました。返事はなさいましたが、そのあと必ずシトリン様のお尋ねになったところへ戻っておられましたから」
私は気づかなかった。
ベリル様は護衛のために周囲を見ているので、話している本人たちより、誰がどこから声をかけたかを覚えているらしい。
「それに、シトリン様が模型へ触れたとき、ルドック様は一度も手を出されませんでした」
「壊しそうではなかったからでしょう」
「もちろん、それもございます」
「ほかに何が?」
「御自分で確かめたい方だと、分かっておられたのではないでしょうか」
ベリル様は、割った焼き菓子の半分に口をつける。シトリンは手帳へ目を落とした。
「でも、私は婚約を解消すると決めたばかりです」
「誰も、次の婚約のお話はしていませんよ」
ラピス殿下がくす、と笑いながら言う。
「アメージュ様は、そこまで考えていたの?」
「まだです」
「まだ?」
「今は、気が合っているみたい、という話です」
訂正すると、シトリンが私を見た。
「話が合うことと、婚約は別でしょう?」
「もちろん」
「では、いいではありませんか」
「何が?」
「コロンダム様のお話を聞くことです。婚約するつもりがなくても、お話は聞けます」
「それは、そうね」
ラピス殿下が笑い、焼き菓子を一枚取った。
「シトリン様。今度は、コロンダムについても少し御説明しておきましょうか?」
「鉱山のお話ではなく?」
「本人のことです」
シトリンが姿勢を直す。
やはり興味はあるらしい。
「コロンダム・ルドックは、ロルカのルドック侯爵家の四男です」
「侯爵令息なのですね」
「ええ。長兄が家を継ぎ、次兄は領地経営を手伝っています。三兄は軍務へ進みました。コロンダムは四番目ですので、大学へ留学し、好きなだけ鉱山を調べております」
「好きなだけ、なのですか?」
「御本人は研究にも国の鉱山開発にも役立つと申します。実際、そのとおりですけれど」
「御家族からは、気楽な四男坊と言われております」
ベリル様が付け加えた。
「本人も否定しておりません」
「侯爵家の方なら、御領地にも鉱山が?」
「ルドック家の領地には、大きな鉱山はありません」
「では、どうして鉱山を?」
「そこは、本人へお尋ねください」
「あー、また長くなるやつだわ」
私が言うと、シトリンは少し嬉しそうに手帳を開いた。
「尋ねることが増えたわね」
「今、書くの?」
「忘れたら困るでしょう」
新しい頁に、『なぜ鉱山を研究しているのか』と書き込み、更にその下へ『ルドック侯爵家の領地』と続けた。
「……シトリン」
「何?」
「それ、コロンダム様御本人にも興味があるってことでは?」
鉛筆の先が止まった。
「研究を始めた理由に興味があるの」
「御本人のことでしょう?」
「それは、そうだけれど」
シトリンは鉛筆を手帳の折り目へ挟み、閉じた。
「でも、今は誰かと婚約したいとは思わないわ」
先ほどより、はっきりした声だった。
「ジャスパーとの婚約も、まだ正式に解消されたわけではないし。それに、ようやく自分で嫌だと言えたのに、すぐ次の方を探すのは違うと思うの」
「うん」
それは、私も同じだった。面白がって少し先まで言いすぎた。
「ごめん、シトリン」
「アメージュが謝るほどのことではないわ」
「でも、次の婚約みたいに聞こえたでしょう」
「少しね」
シトリンは焼き菓子の残りを口へ入れた。
「ただ、コロンダム様のお話は聞きたいわ。それだけでいいでしょう?」
「もちろん」
「わたくしも、その方がよいと思います」
ラピス殿下が茶を注ぎ足す。
「コロンダムへ急に縁談の話など持ち出したら、彼、どこへ逃げるか分かりませんもの」
「逃げるんですか?」
「研究室か鉱山へ」
「すぐ見つかりますね」
「ええ。隠れる場所がいつも同じですから」
四人で笑った。
談話室の入口を下級生が通り、こちらを覗いていく。
王女殿下を囲んで何を笑っているのか気になったのだろう。それでも入ってくる勇気はなかったらしく、そのまま階段を上がっていった。
「そういえば」
私は最後の焼き菓子へ手を伸ばした。
「次の合同授業、ダンス練習ですね」
シトリンの指が、カップの取っ手から離れた。
「ええ」
「学院には、お家から連絡が来ているのでしょう?」
「父の手紙には、そう書いてあったわ」
「なら、ジャスパー様とは組まなくていいのよね」
「そのはずだけれど、教師にも自分から確認します」
「わたしと練習する?」
シトリンが首を傾げた。
「アメージュは男性側を踊れるの?」
「少しくらいなら」
「先月、方向を間違えて私へぶつかったでしょう」
「あれは、シトリンが急に止まったからよ」
「止まっていないわ」
「では、床が滑ったの」
「絨毯の上だったでしょう?」
ラピス殿下が口元へ手を当てた。
「どちらも、自信がないように聞こえます」
「殿下は踊れます?」
「わたくしは、自分の方なら」
「相手側は?」
「ベリルができます」
私とシトリンは、同時にベリル様を見た。
「できるのですか?」
「殿下の練習相手を務めますので」
「護衛官は、ダンスも両方覚えるんですね」
「任務というより、幼いころからの習慣です。女子だけで練習する場合、どちらもできた方が便利ですから」
ベリル様は食べ終えた皿を卓の中央へ寄せた。
「少し練習なさいますか?」
「ここで?」
談話室を見回す。
中央には丸卓が二つあり、その向こうに長椅子と低い卓がある。窓際には手紙を書くための机も並んでいた。
踊れるほど広くはない。
「椅子を少し動かせば」
ラピス殿下が立ち上がった。
「寮母に叱られません?」
「傷をつけなければ大丈夫でしょう」
「殿下がそうおっしゃると、止めにくいんですけれど」
それでも私たちは、使っていない椅子を壁際へ運んだ。
先にいた上級生二人は、何が始まるのかと手を止めている。編み物をしていた生徒は、毛糸の籠ごと窓際へ移動した。
「まず、シトリン様とアメージュ様で組んでください」
ベリル様の指示に従い、シトリンの前へ立つ。手を差し出すと、シトリンは迷わず取った。
「私が男性側ね」
「足を踏まないで」
「まだ踏んでいないでしょう」
「先にお願いしているの」
もう片方の手を、シトリンの背へ添える。
ラピス殿下が横で拍子を取った。
「一、二、三。一、二、三」
最初の三歩はうまくいった。
次の回転で、どちらから動くのか分からなくなる。
「アメージュ、反対」
「シトリンこそ」
「男性側が導くのでしょう?」
「あっ」
私が向きを変えたところで、シトリンの靴とぶつかった。
二人でよろけ、慌てて手を離す。
「やっぱり危ないわ」
シトリンがスカートの裾を直した。
「今のは練習だから」
「合同授業までに直る?」
「ベリル様に教われば」
ベリル様はラピス殿下の前へ立ち、手を差し出した。
「殿下。お手を」
「見本を見せるのね」
二人が組む。
ラピス殿下が一歩下がると、ベリル様は同じ分だけ前へ進んだ。次の三歩で方向を変え、椅子と卓の間をきれいに回る。
音楽はない。それでも靴の音が揃っているので、拍子が分かった。
「すごい」
私が言うと、編み物をしていた上級生もうなずいた。
一周して元の場所へ戻り、ベリル様がラピス殿下の手を離す。
「次は、シトリン様」
「私ですか?」
「一度、正しい方向を覚えた方がよろしいかと」
シトリンがベリル様の前へ立った。
差し出された手へ、自分の手を重ねる。腰へ手が添えられても、先ほどまでと変わらず、ベリル様の足元を見ていた。
「下を見すぎないでください」
「踏みそうで」
「私が避けます」
「それでは練習にならないのでは?」
「踏みそうになれば、お伝えします」
ベリル様が動き始める。シトリンは最初の一歩だけ遅れたが、その後は拍子に合った。
回転すると、濃紺のスカートが二つ、少しずれて広がる。
「シトリン、さっきより上手」
「相手が違うからよ」
「私もベリル様と踊ったら上手になるわ」
「では、次はアメージュ様ですね」
ベリル様がこちらを見た。
私は残っていた焼き菓子を急いで口へ入れ、椅子から立ち上がった。




