第十三話 危険が差し迫ってる場合でも? ―ジャスパー―
父はそう言うが、私は殿下を守ろうとしたのだ。
不誠実な感情で近づいたわけではない。目立つ方法を選んだことや、学院へ事前に相談しなかったことには問題があったかもしれない。
だから正式な命令へ署名した。
今後は学院の指示へ従い、勝手に殿下へ付き添わないと約束している。
「父上。今回のことで、私の方法が適切でなかったことは理解しています」
「方法だけか?」
「事前に教師や警備担当へ相談するべきでした。四人で女子側へ行くことで、殿下へも御迷惑を――」
「必要ないと言われた後も続けたことは?」
「殿下のお立場を考えれば、表立って助けを求められない場合もあります」
父は目を閉じ、片手で額を押さえた。しばらくして、学院長へ顔を向ける。
「……申し訳ありません。学院からの御報告に、間違いはなかったようです」
「父上」
「まだ話は終わっていない」
父は脇へ置いていた革鞄を開き、中から別の封書を出した。
封蝋には、アザフォード侯爵家の紋章がある。
「昨日の朝、アザフォード侯爵家から、正式に婚約解消の申し入れがあった」
すぐには意味が分からなかった。
シトリンとの婚約は、互いが幼いころから続いている。
アザフォード家の跡を継ぐのは姉君で、シトリンは将来、マーチモンド伯爵家へ嫁ぐ。学院卒業後の時期については、両家でこれから相談する予定だった。
「婚約…… 解消?」
「シトリン嬢御本人の希望だそうだ」
「それは、今回の騒ぎで心を乱しているからです」
父の手から、封書が机へ落ちた。
「お前は今、何と言った?」
「シトリンは、ラピス殿下との噂や学院からの聞き取りで、普段より不安になっています。私が直接話せば――」
「なぜ、《《シトリン嬢が自分で決めたことを、お前が別の意味へ変える》》?」
「長年の婚約です。今回の一件だけで、本当に解消を望むとは考えにくいでしょう」
「本人が望んでいると、アザフォード侯爵が書いている」
「父君へ話すときにも、感情が先に立ったのかもしれません」
父は椅子から立ち上がった。
軍務の場でも、父が人前で大声を上げることはほとんどない。家でも同じだ。
その父が、何も言わずに学院長室を一度歩き、窓際で足を止めた。
「アザフォード侯爵からは、シトリン嬢が何と言ったかも聞いている」
窓の外を向いたまま、父が言う。
「このまま結婚したら、お前に近づかれることさえ嫌になる。すでに、手を取られるのも、ダンスで触れられるのも嫌だ、と」
学院長室の時計が、一度鳴った。授業開始までの時刻を知らせる音である。
「シトリンが、そのようなことを?」
「そうだ」
「私には、何も言っていません」
「言う前に、お前が話を違う意味へ変えたのではないか?」
「私は、彼女の言葉を聞いています」
「聞いた後で、《《自分に都合のよい説明をつけている》》」
父が振り返った。
「今もだ。シトリン嬢が《《婚約解消を望んでいる》》と聞いて、お前は《《本人が動揺している》》ことにした。《《近づかれるのも嫌》》だと聞いて、次は何にするつもりだ?」
「……一時的に、私への信頼を失っているのだと思います」
父の肩が下がった。
「そこまで言われても、まだ一時的なものにするのか」
返事を待たず、椅子へ戻る。
「マーチモンド家は、婚約解消を拒まない」
「父上」
「相手が、お前と結婚したくないと言っているのだ。こちらが縛りつける理由はどこにもない」
「一度、シトリンと話をさせてください」
「アザフォード家と学院の許可を得ろ。二人きりで会うことは認めない」
「婚約者同士の話です」
「すでに先方は、婚約解消を申し入れている」
父は封書を革鞄へ戻した。
「今日中に、お前の母とも話す。正式な返答は明日、アザフォード侯爵家へ届ける。お前からシトリン嬢へ手紙を送る場合も、まず私たちへ見せなさい」
「そこまでなさる必要がありますか?」
「必要だと判断した」
私の返事を聞くことなく、父は立ち上がった。
学院長と学年主任へ、改めて頭を下げる。
「息子が御迷惑をおかけしました。学院の処分には従います。合同祭についても、役割と行動範囲を明確に御指示ください」
「本日の午後、四年生全体へ役割を伝える予定です」
学院長が答えた。
「マーチモンドたち四名については、教師の監督下に置きます」
「お願いいたします」
父は私へ、授業へ戻るよう命じた。
学院長室を出る前に、もう一度、父の革鞄を見る。
アザフォード家からの封書は、すでに中へしまわれていた。
*
午後の授業を終えると、男子部四年生は教室へ残された。合同祭当日の役割を決めるためである。
教師が黒板へ、会場ごとの仕事を書き出す。
――正門での来賓受付。
――展示室の案内。
――晩餐会場の給仕補助。
――大講堂と舞踏室の椅子や備品の移動。
馬車寄せの整理は学院の警備員と使用人が行い、生徒は入らない。外国の来賓や王族の案内には、教師から指名された上級生だけが加わる。
そして私たち四人の名は、備品移動の欄にあった。
「先生」
ディアモンが手を上げる。
「我々も、来賓の案内を担当できると思います」
「認めない」
教師の返事は短かった。
「先日の一件を踏まえ、マーチモンド、ディアモン、ルビアス、ペリドの四名は、教師の監督下で大講堂と舞踏室の備品を運ぶ。当日は担当区域から出ないこと」
「全員、同じ場所ですか?」
ルビアスが黒板を見た。
「別々にすると、勝手な配置を始めるかもしれないからな」
教室の後ろで、誰かが笑いかけたが、教師がそちらを見ると、すぐ静かになる。
「備品の運搬中に異常を見つけた場合は、近くの教師へ報告しろ。自分たちで人を捕らえたり、来賓を誘導したりしてはならない」
「《《危険が差し迫っている場合》》もですか?」
私が尋ねると、教師は持っていた名簿を机へ置いた。
「……マーチモンド、お前は先週も同じ質問をしたな」
「報告する時間がない場合について、まだお答えをいただいておりません」
「目の前で人が倒れたなら、近くの教師を呼べ。火が出たなら火事だと知らせろ。不審な者を見つけたなら、警備員へ伝えろ」
黒板の脇には、合同祭当日の会場図が貼られている。
教師は大講堂と舞踏室の間にある通路を指した。
「お前たちの担当区域には、必ず教師が一人つく。何か起きても、四人だけで判断する状況には《《ならない》》」
「それでも、教師が気づいていない危険が――」
「マーチモンド」
教師が私の言葉を止めた。
「起きていない事件の中で、自分だけが正しく動ける場面を探すな」
教室の全員が、こちらを見た。
「お前の仕事は、指定された備品を指定された場所へ運ぶことだ。まず、それを正しく行え」
名簿から四枚の役割票が外される。
教師は私たちを一人ずつ呼び、当日の集合時刻と担当区域を確認させた。
ディアモンとルビアスは、何も言わずに署名する。
ペリドは役割票を最初から最後まで読み、教師へ尋ねた。
「備品を運び終えた後は、どうしますか?」
「その場で指示を待て」
「分かりました」
署名した紙を戻し、ペリドは席へ戻った。
私の番になる。
役割票には、先週署名した文書と似た注意が書かれていた。
――担当区域を離れない。
――警備、誘導、護衛その他、命じられていない行為を行わない。
――異常時には教師および警備員の指示に従う。
すべて理解できる。
通常の合同祭であれば、何も問題はない。
教師と警備員が適切に動き、来賓が安全に移動できるなら、私が持ち場を離れる必要もない。
ただし、本当に目の前で危険が起きたときまで、報告だけでよいのか。
判断が一瞬遅れたために、取り返しのつかないことになる場合もある。
「マーチモンド。読んだのか?」
「はい」
教師から渡されたペンを取り、役割票へ名前を書く。
紙を戻すと、教師は署名を確認し、ほかの三枚と重ねた。
「当日は、この内容を守りなさい」
「承知しました」
四枚の役割票は、会場図と一緒に教師の鞄へ入れられた。




