第2話 救えなかった、そのあとで
――あれは、本当に正しかったのか。
あの日から、ずっと頭の中をぐるぐる回っている。
美咲にかけた催眠。
確かに、あの時は少しだけ楽そうに見えた。呼吸も落ち着いて、表情も柔らかくなっていた。
でも、それだけだ。
傷が消えたわけじゃない。家庭の問題がなくなったわけでもない。
「……意味、あったのか?」
机に突っ伏しながら呟く。
答えなんて出ない。
それでも――
(もう一度、試さないと)
そう思ってしまう自分がいる。
放課後。
教室に残っていたのは、俺と――クラスメイトの由奈だった。
「まだ帰らないの?」
「ちょっとな」
由奈は少しだけ疲れた顔をしていた。目の下にうっすらとクマがある。
ふと、思い出す。
最近、あいつが誰かに絡まれているのを見たことがある。しつこく話しかけてきて、嫌がってるのに離れない男。
――ストーカー、ってやつかもしれない。
「なあ、由奈」
「ん?」
「ちょっと、試させてくれないか」
「……またそれ?」
半分呆れたように笑う。
「いいけど。どうせ何も起きないでしょ」
「……ああ」
本当は違う。でも、説明できるわけがない。
俺は立ち上がって、由奈の正面に立つ。
目を見る。
(落ち着け……)
あの日と同じように、意識を集中させる。
「……リラックスして」
そして――
パチン。
「……」
一瞬の沈黙。
「……何も変わらないけど?」
由奈が首をかしげる。
(……ダメか)
やっぱり偶然だったのか。そう思いかけた、その時。
「……あれ」
由奈の視線が、少しだけ揺れた。
「どうした?」
「なんか……ちょっと、ぼーっとするかも」
来た。
(成功してる……!)
心臓が早くなる。
今度は間違えない。ちゃんと、助けるために使う。
「怖いこと、思い出さなくていい」
「……うん」
「安心していい。誰も、君に近づかない」
「……うん」
言葉を重ねる。
由奈の表情が、少しずつ緩んでいく。
(いける……これなら)
確信した、その瞬間だった。
「……っ」
由奈の肩が、びくりと震えた。
「……いや」
「え?」
「いや、やだ……来ないで……」
突然、怯えた声になる。
「おい、由奈?」
「いや、いや、いや……!」
後ずさる。呼吸が荒くなる。
目は焦点が合っていない。
(なんだよ、これ……)
「大丈夫だ、落ち着け――」
「触らないで!!」
叫び声。
教室に響く。
次の瞬間、由奈はそのまま走って出ていった。
ドアが大きな音を立てて閉まる。
――静寂。
「……は?」
何が起きた?
さっきまで、うまくいってたはずだろ。
助けるつもりだった。
怖がらせるつもりなんて、なかったのに。
足が動かない。
追いかけることもできず、その場に立ち尽くす。
(俺は……)
何をした?
頭の中に、さっきの声が何度も再生される。
『触らないで!!』
胸が締め付けられる。
その日は、何もできずに帰った。
――そして翌日。
教室の空気が、明らかにおかしかった。
ざわざわとした小さな声。
視線。
そして――
「……あいつ、昨日さ」
「女子泣かせたらしいよ」
聞こえてくる噂。
心臓が止まりそうになる。
席に座ると、前の席のやつがちらっとこっちを見て、すぐに目を逸らした。
(……最悪だ)
由奈は、まだ来ていなかった。
逃げたのかもしれない。
俺から。
「……」
何も言えない。
言い訳も、説明もできない。
だって、実際に泣かせたのは事実だから。
(助けるつもりだったのに)
拳を握る。
震えている。
(なんで、こうなるんだよ……)
催眠なんて、ただの力だ。
使い方を間違えれば――
簡単に、人を傷つける。
昨日、やっと分かったはずなのに。
それでも、またやらかした。
(俺には……)
この力を使う資格なんて、ないんじゃないか。
そう思った、その時。
スマホが震えた。
画面を見る。
差出人は――美咲。
『昨日、ありがとう』
「……」
短い一文。
それだけなのに、胸が締め付けられる。
『少しだけ、楽になった』
続くメッセージ。
指が止まる。
嬉しいはずなのに。
全然、喜べない。
(でも……)
助けられた人も、いる。
傷つけた人も、いる。
その両方が、現実だ。
「……逃げるのか?」
誰に言うでもなく、呟く。
答えは、出ていた。
ゆっくりと立ち上がる。
教室のドアを見る。
足は、まだ少し震えている。
それでも――
「……謝りに行く」
逃げるわけにはいかない。
たとえ、この力を捨てるとしても。
その前に、やるべきことがある。
――俺は、人を傷つけたんだから。




