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最初は遊びだった俺の催眠が、気づけば誰かを救う力になっていた  作者: non


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第12話 はじめての声



 図書室の空気は、今日も変わらない。


 静かで、落ち着いていて。


 でも――


「……少しだけ、慣れてきたかも」


 紗月が、小さく言った。


 本を閉じる指が、前よりも迷っていない。


「……いいことだな」


 黒瀬は頷く。


「……うん」


 短い返事。


 でも、それだけで十分だった。


 あの扉を開けてから。


 紗月は、少しずつ変わっている。


 ほんの少し。


 本当に少しだけ。


 それでも――確かに前に進んでいる。


「……なあ」


 黒瀬が、静かに言う。


「もう一歩、いくか」


「……一歩?」


「この前は、廊下までだっただろ」


「……うん」


「今日は――」


 少しだけ、言葉を選ぶ。


「誰かと、少しだけ話してみる」


「……っ」


 紗月の肩が、びくりと揺れる。


 すぐに、視線が落ちる。


「……無理」


 即答だった。


「……そっか」


 黒瀬は、すぐに引く。


「じゃあやめる」


「……」


 沈黙。


 無理に押さない。


 それが、今のやり方だ。


 数秒。


 やがて。


「……少しだけなら」


 紗月が、ぽつりと呟く。


「……いいのか?」


「……うん」


 完全じゃない。


 でも、自分で出した答えだ。


「……分かった」


 立ち上がる。


 紗月も、ゆっくりと続く。


 図書室の扉。


 前よりも、開けるのが早い。


 廊下に出る。


 人の気配。


 声。


 足音。


 でも、前ほど強くはない。


「……大丈夫?」


「……まだ、大丈夫」


 小さく頷く。


 そのまま、歩く。


 ゆっくりと。


 階段の近く。


 ちょうど、一人の女子が通りかかる。


 同じクラスの生徒。


 名前は……確か、里奈。


(……ここか)


 黒瀬は、無理に前に出ない。


 少しだけ、距離を取る。


「……紗月」


「……」


「今なら、いけそうか?」


 小さく問いかける。


 紗月の手が、ぎゅっと握られる。


 視線が揺れる。


 でも――


 逃げない。


「……あの」


 声が、出た。


 小さい。


 でも、確かに。


 里奈が、足を止める。


「え? なに?」


 少し驚いた顔。


 当然だ。


 今まで、話したことなんてほとんどない。


「……その」


 紗月の声が、震える。


 でも、止まらない。


「……おはよう」


 時間は放課後。


 言葉は少しずれている。


 でも――


「……あ、うん。おはよう?」


 里奈が、戸惑いながらも返す。


 その瞬間。


 紗月の目が、少しだけ見開かれる。


「……」


 何かが、変わった。


「……じゃあ」


 紗月は、すぐに視線を落とす。


「……また」


 それだけ言って、小さく頭を下げる。


 そして、黒瀬の方へ戻ってくる。


 呼吸が、少し荒い。


「……っ」


「……大丈夫か」


「……うん」


 小さく頷く。


「……できた」


 ぽつりと呟く。


「……ああ」


 黒瀬も、静かに答える。


「ちゃんと、話した」


「……うん」


 紗月の手の震えは、まだ残っている。


 でも。


 その表情は――


 少しだけ、明るい。


 図書室に戻る。


 席に座る。


 しばらく、何も言わない。


 ただ、呼吸を整える時間。


 やがて。


「……返してくれた」


 紗月が、ぽつりと言う。


「……ああ」


「……ちゃんと」


 その言葉に、少しだけ驚きが混ざっている。


「……無視されなかった」


「……」


 その事実が、どれだけ大きいか。


 黒瀬には、分かる。


「……そっか」


 それ以上は、何も言わない。


 余計な言葉はいらない。


「……変なの」


 紗月が、小さく笑う。


「……怖かったのに」


「……うん」


「……ちょっとだけ、楽しい」


 その一言。


 それだけで、十分だった。


 ――はじめての声。


 たった一言。


 それだけで。


 世界は、少しだけ変わる。


 無理に変えなくていい。


 壊さなくていい。


 ただ。


 一歩ずつ。


 その一歩を、見逃さない。


 それが――


 今の俺にできることだった。

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