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神の一杯

 ふうう、朝早い日のコーヒーはしみるねえ……。

 ホットもいいんだが、気軽に飲むにはアイスの方がいいな。よく動き回るせいもあって、くぴくぴ飲みたくなってくる。猫舌なのもでかいが。

 つぶらやくんは、いつごろからコーヒー飲み始めた?

 ブラックコーヒーは背伸びのステータス。大人を意識しはじめる時分に、たとえ見栄はってでも口にしたくなるものだよねえ。最終的に、苦みに押し負けてミルクや砂糖を足していく人もまた相応にいるけれど。


 私も小さいころにコーヒーを飲みたいなと思ったが、なかなか踏み出す度胸がなくてね。まわりにも同じような子が幾人かいた。

 そのメンバーで集まってとある遊びをしていたんだが、どうやら、お天道様はこのようなささいなこともお見通しだったらしい。少し不思議な体験をすることになったんだよ。

 そのときのこと、聞いてみないかい?



「麦茶にミルクや砂糖をいい具合に入れると、コーヒー牛乳の味になるんだぜ」


 そう友達の誰かが教えてくれて以来、私たちが遊びで飲むものはだいたい、お手製のコーヒー牛乳もどきとなった。

 焙煎の過程を経るという点で、コーヒーと麦茶は似ているし、豆の種類によってはより麦茶に近い味わいを醸すことも、可能かもしれない。

 風味にはまってしまった私たちは、そのうち誰かの家へ遊びに行くおり、喫茶店のマスターにでもなった心地で、互いにコーヒー牛乳もどきを淹れ比べ、飲み比べをしていたんだ。



 この配分が、なかなか繊細なタッチを要する。

 麦茶が多ければその香りがコーヒーとしての雰囲気を崩し、かといってミルクや砂糖を入れすぎれば、それはほとんどお菓子の風味。

 私たちが味わわんとするのは、あくまでコーヒー牛乳。断じて清涼飲料水ではない。

 そのこだわりのもと、私たちはその日の「マスター」は誰なのか。無数のコップを並べて競っていたのだけど、そこへ予期せぬ上級者が参戦してきた。


 ごく最近、転校してきた女の子だった。

 物怖じしないというか、空気を読まないというか。すでにできあがっている人間関係の輪へずけずけ入ってきて、嫌な顔や言葉をぶつけられても、全然懲りないメンタルを持つ、マイペースな女だった。

 男多めな私たちの遊び仲間コミュニティにも、するする入ってくる。来るもの拒まずな姿勢で受け入れる私たちは、外遊びで何度か一緒したあとに、かのコーヒー牛乳淹れを彼女に披露したんだ。

 すると彼女は「ああ、それ知ってる!」と、自ら競争への参加を申し出てきた。

 仮にも、それなりにコーヒー牛乳もどき淹れを経験してきている身。そうそう後れをとるとは考えていなかったんだけれど。


 審査員の舌は、淹れられたいくつものコーヒー牛乳もどきの中から、彼女の一杯を選んだ。

 入れたものを一口ずつ回し飲みしたが、思わず「う〜ん」とうなってしまいかねない味わいで、くやしいが一線を画すクオリティと言わざるを得ない。

 以前に、一杯だけ飲ませてもらった本物のコーヒー。

 あの口に含む前から漂う香ばしさと、舌、鼻、のどの奥にまで絡むほのかな苦みが、後味となって長く席巻する、あの感覚にそっくりだったんだ。

 

 しかし、その味わいもつかの間だけ。

 さっとそこへ混じってくるのが、絶妙な割合のミルクと砂糖。顔をしかめそうになる一歩手前でもたらされる、癒しの甘味。

 辛い思いをしたあとだからこそ、あの甘さがより身体に染み渡る。それでいて、元来の煎れた香りを損なわないあんばい。子供舌にも、コクとまろやかさという語彙をひねり出させる一杯。

 見事と評するよりなかった。

 

 

 彼女に極意を尋ねてみると、手にしたマドラーに秘訣があるという。

 とはいえ、注ぎながらかき混ぜるのではない。彼女はそのマドラーで、ことあるごとにコップを軽く叩いていたんだ。

 祖母がお仏壇の「リン」を鳴らすときにそっくりな、しめやかさとでもいおうか。

 他へ迷惑をかけないほどにおさえた小量こごえ。麦茶、ミルク、砂糖たちを入れるとき、彼女はそれによって変わる音に耳を澄ませていたんだ。

 

 コップに入った水の量によって、叩いたときの音程が変わることは、当時の私たちもすでに心得ていた。

 コップが揺れるのに対し、中の水たちはそれをおさえにかかる。そのストッパーが少ないうち、すなわち水が少ないほど、響く音は高くなっていくわけだ。

 彼女が一度に淹れるコーヒー牛乳もどきは、決して多い量ではなかった。

 彼女自身、身体で覚えているのはこの量までで、それ以上は配分が困難になり、クオリティを維持できる自信はなかったようだ。

 私たちはなんとか、彼女の淹れるコーヒー牛乳もどきを真似しようと、マドラー片手に何度も研究を試みたよ。

 けれどもついぞ、彼女の完全な再現には至らなかった。

 


 その彼女も、ある出来事をきっかけにこのコーヒー牛乳もどきを、淹れることはなくなってしまう。

 学校の林間学校で、飯ごう炊さんをした時だったな。

 作ったカレーと一緒に、例のコーヒー牛乳もどきを所望する声があがったんだ。

 その声があがるのを予期してか、彼女もまた紙コップとは別のガラスのコップを持参していて、麦茶たちの用意も整えていたよ。

 淹れる動作に入る。何度見た人も、はじめて目にする人も、彼女が三種の神器をコップへ注ぎながら、マドラーでチンチン鳴らしていく様子を眺めていた。


 けれども、これまでと違うのはここが屋外ということ。

 彼女は屋内でしか、このコーヒー牛乳もどきを振る舞ったことがなく、はじめてのケースだった。

 いよいよ製作も佳境に差し掛かろうというところで、私は空の遠くの方から雷のとどろきのような音を聞いたよ。

 あまり気づいた人はいないようで、空を見ても、先ほどと変わらない青空が広がっている。多少、白い雲の気配は増したが、あれがいかずちをつむげるとも思えなかった。


 が、彼女が完成を悟り、コップから身体を離したところで。

 一瞬、走った紫の稲光が小さなコップの口へ、降り落ちたんだ。

 見間違えなんかじゃない。ガラスのコップは光が消えるや、たちまち砕け散ってしまったんだから。

 彼女の一杯は、テーブルにベンチに地面にと、あちらこちらへ飛び散る。それらはくっついた端から、熱せられたかのように白い湯気を吐きながら、たちまち乾いてしまったんだ。

 目を見張る一同の前で、湯気たちは一様に空を目指して立ちのぼる。のぼってのぼって、その色は衰えないまま。

 まるで雲の仲間になってしまうかのように、いつまでも色をそこへとどめていた。


 きっと空の神様が、彼女の淹れた一杯を味わおうとしたんだろう。

 口々にうわさになったが、彼女としてはあくまで純粋な楽しみのつもりだったんだろう。

 いろいろもてはやされた彼女はかえってそれを苦にして、もうあの一杯を淹れることも、指南をしてくれることもなくなってしまったんだ。


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